「笑う門には福来る。」
日本では、笑顔は幸福や前向きさの象徴として語られてきた。

その他の写真:タイの微笑み(イメージ)

 ところが「微笑みの国」タイでは、日本人の多くがふと違和感を覚える。

「なぜこの人たちは、こんな場面でも笑っているのだろう。」
真剣な話の最中なのに、困っているはずなのに、どこか口元が緩んでいる――。
その様子が、つい「いつもヘラヘラしている」と見えてしまうことがある。

 結論から言えば、それは誤解だ。タイにおける笑顔は、感情そのものではなく、感情を処理し、人間関係を円滑に保つための手段に近い。

 朝、目が合えば自然に交わされるのは「挨拶の笑顔(イム・タックターイ)」
敵意はない、あなたを受け入れている――そんな合図を、言葉より先に伝える。

 仕事や生活の中で困難に直面したときに浮かぶのは、「きっと何とかなる」と自分を奮い立たせる踏ん張りの笑顔(イム・スー)。
暑さや渋滞、理不尽な出来事をやり過ごすための耐える笑顔(イム・オットン)も、日常的に使われる。

 意見が食い違っても、正面からぶつからない。代わりに現れるのが、距離を取るための皮肉の笑み(イム・タクターン)や、状況を飲み込んだ末の乾いた笑顔(イム・ヘーン)だ。答えたくない話題には、さらりとかわす話題回避の笑顔(イム・リアン)が現れる。

 相手を立てる必要がある場面では無理に作った笑顔(フーン・イム)。
公的な場では社交辞令の笑顔(イム・ターム・マラヤート)。
本心よりも、その場が壊れないことが優先される。

 褒められたときに浮かぶのは照れ笑い(イム・クーン)。
失敗したときには、開き直りにも似た照れ隠しの笑顔(イム・イェー)。
どうにもならない現実の前では、運命を受け入れた諦観の笑顔(イム・ヨームラップ・チャター)が現れる。

 感情が追いつかず、笑おうとしても笑えない引きつった笑み(イム・マイオーク)。
悲しみを抱えながらも表情を崩さない悲しみを含んだ笑顔(イム・サーオ)。
それらは感情を押し殺しているというより、周囲にぶつけないための選択だ。

 年長者が若者の失敗を見守るときには、叱責でも説教でもなく、ただ理解を示す「年長者の微笑み(イム・プーヤイ)」が向けられる。

 もちろん、笑顔は優しさだけを意味しない。優位を示す「不敵な笑み(イム・チュアットチュアン)」、相手を小馬鹿にした「嘲笑(イム・ヨ)」、何かを企む含みのある笑顔(イム・ミー・レーサナイ)も、確かに存在する。

 努力が報われた瞬間にはしてやったりの笑顔(イム・サッチャイ)。
感情があふれたときには泣き笑い(イム・タン・ナムター)となる。

喜びと悲しみが同時にあっても構わない、という感覚だ。

 そして忘れてはならないのが、怒りや不満を表に出さず、互いの体面を守るための面子を保つ笑顔(イム・ラックサー・ナー)である。
そこに、相手を評価する称賛の笑顔(イム・チュンチョム)、深刻さを和らげる謝罪の笑顔(イム・コートート)、距離感を保つ丁寧な笑顔(イム・スパープ)が重なっていく。

 こうして見ていくと、単純でお気楽に見えていたタイの人々が、実は複雑で多様な笑顔を使い分けながら、人間関係に細やかに配慮していることがわかるだろう。そこにあるのは軽さではなく、衝突を避け、相手を尊重し、場を壊さないための知恵だ。

 福を招きたいのは、タイ人も日本人も同じ。怒りや不満をぶつける代わりに、角を立てず、笑顔で受け流す。そんな姿勢こそが、「微笑みの国」を支えてきた。

 新しい年に少しだけ肩の力を抜いて、行き交うタイの人々がどんな笑顔を浮かべているかを眺めてみると、また違ったタイの姿が見えてくるだろう。もしかしたら、そこには福が手招きしているかも知れません。
 
【編集:そむちゃい吉田】
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