フィリピンで最も古い歴史を持つ長距離バス会社、フィルトランコ・サービス・エンタープライズ(以下、フィルトランコ)が、その長い歴史に幕を閉じようとしている。2026年3月30日で運行を停止する。
インターネット上や現地の通勤客の間では「サラマット・サ・セルビショ(奉仕に感謝を)」という言葉が飛び交い、一世紀以上にわたり同国の物流と移動を支えた老舗の終焉を惜しむ声が広がっている。首都圏マニラ市のパサイにある主要ターミナルの閉鎖や運行路線の縮小に関するニュースは、単なる一企業の経営問題にとどまらず、フィリピンの近代史と共に歩んだ公共交通の象徴が失われることを意味している。

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 フィルトランコの起源は、アメリカ統治時代の1914年にまで遡る。当時、アルバート・ルイス・アメン氏がルソン島南部カマリネス・スール州のイリガ市において、わずか数台の車両で「アルバート・ルイス・アメン・トランスポーテーション・カンパニー(ALATCO)」を設立したのが始まりだ。同社はフィリピンで初めて法人化されたバス事業者であり、当時の未整備な道路状況の中で、地域住民の貴重な足として急速に成長を遂げた。その後、経営主体の変更を経て1979年に現在の「フィルトランコ」へと名称を変更したが、その伝統ある青と白の車体は、フィリピンの人々にとって信頼と郷愁の象徴であり続けた。

 同社がフィリピンの交通網に果たした最大の功績は、1979年に開始された「多島海連結運行」の実現である。フィリピンは7000以上の島々からなる群島国家であり、かつて島をまたぐ移動は空路か、時間のかかる船旅に限られていた。フィルトランコは、バスごとフェリーに乗り込むRO-RO船(ロールオン・ロールオフ船)を活用し、ルソン島、ビサヤ諸島、そして南部ミンダナオ島を一本の路線で結ぶ画期的なネットワークを構築した。これにより、マニラから南部のダバオやカガヤン・デ・オロまで、乗り換えの負担を最小限に抑えた陸路での移動が可能となり、フィリピンの経済発展と地域間の文化交流を大きく促進させたのである。

 しかし、21世紀に入ると、フィルトランコを取り巻く経営環境は厳しさを増した。格安航空会社(LCC)の台頭により、長距離移動の優位性が揺らぎ始めたことに加え、最新設備を備えた競合他社の参入が相次いだ。
さらに、2020年から世界を襲った新型コロナウイルスのパンデミックが決定的な打撃となった。都市封鎖に伴う長期的な運行休止は、同社の財務状況を急速に悪化させ、車両の老朽化やターミナルの維持管理も困難な状況に追い込まれた。近年では、かつての栄光を知る利用者からも、車両の故障や運行の遅延を指摘する声が上がっていたが、それもまた、苦境に立たされた老舗の姿を象徴していた。

 今回の閉鎖報道を受け、SNS上では数多くの投稿が寄せられている。ある利用者は「子供の頃、父に連れられて初めてマニラへ行くときに乗ったのがフィルトランコだった。あの窓から見えた景色は一生忘れない」と綴り、また別の利用者は「私たちの家族を何十年も繋いでくれた。一つの時代が終わるようで寂しい」と、長年の功績を称えた。フィリピンの公共交通機関において、ジプニーと並んで国民の記憶に深く刻まれているのが、このフィルトランコの長距離バスであった。

 フィルトランコの衰退と終焉は、フィリピンにおける交通インフラの変化を如実に物語っている。政府による公共交通近代化プログラム(PUVMP)が進む中で、安全性や環境性能に優れた新型車両への更新が求められているが、歴史ある企業がその荒波を乗り越えるのは容易ではなかった。しかし、同社が築き上げた「島々を結ぶ」というコンセプトは、現在のフィリピンの物流網の基盤となっており、その精神は形を変えて次世代の交通機関へと受け継がれている。

 112年という歳月は、フィリピンが独立を勝ち取り、激動の近現代を歩んできた時間と重なる。
フィルトランコのバスが走り抜けた道は、そのまま国家の成長の軌跡でもあった。公式な完全閉鎖の手続きが進む中で、多くの人々が口にする「感謝」の言葉は、単なる企業の終わりに対するものではなく、自国の発展を支え続けた功労者への、最大級の敬意の表れといえる。青いラインの入った白いバスが、ターミナルから静かに姿を消していく光景は、フィリピンの交通史における重要な一章の完結として、人々の記憶に長く留まることになるだろう。

【編集:EULA】
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