どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は1961年(昭和36年)の日本の生活を紹介したアメリカの教育番組を取り上げたいと思います。


昭和36年といえば、東京オリンピック(1回目)が開催される3年前にあたり、高度経済成長期の真っ只中の時代でした。映像フィルムはカラーで、英語のナレーションが付いてます。早速見ていきましょう。

※記事中、「 」でくくっている文は、著者がナレーションを翻訳したものです。
※動画はページ下部にあります(見られない場合は元記事にて)。

この記事の完全版(動画・全画像・地図付き)はこちら

初めに番組の趣旨が表示されます。「第二次大戦後、日本の社会慣習は急速に変わってきており、新しい家族間関係も生まれてきています。京都に住むナカムラ・トシロウさんの家族では……」

こちらがナカムラ・トシロウさん。ナカムラさんは京都近くにある製造会社で調査部門の管理者をやっているようです。専用の部屋と立派な机を使用しているところから、大企業(企業名が入った書類が映像に映るので)の結構な上役ではないでしょうか。

こちらが息子のキヨシさん。公立小学校に通う6年生。
写生をしているようです。「小学校で教えていることは西洋のそれとほとんど変わりませんが、キヨシさんはもっと多彩な学習をしています。恐らく、米国の小学生たちよりも期待される度合いが大きいのでしょう。キヨシさんが美術の習い事を始めて4年目が経ちました」。戦後の貧しい時期を脱し、子供の教育に力を注ぐ余裕ができてきた頃だったのでしょう。

キヨシさんのお母さんです。「現在の日本にあって、生活の変化を一番敏感に感じている立場ではないでしょうか」とナレーションは言います。お母さん自身は日本の古いしきたりを知っている一方、新しい日本人像というべき子供たちの面倒を見ていて、そのギャップに時代の移り変わりを感じているということでしょうか。

百貨店に来ているようです。1912年(明治45年)に開店した京都にある百貨店の代表格、『大丸』です。一緒に来ているのは、キヨシさんの姉のキミコさん。「キミコさんは高校を卒業したばかり。
この世代は典型的な新しい日本人像といえるでしょう」。赤紫色のレザージャケット(?)が気に入ったようで試着するキミコさん。サイズも大丈夫だったようで、お母さんに買ってもらいます。

複雑な表情のお母さん。ちなみに、こちらのジャケットは1万3千円なり。人事院発表の【国家公務員の初任給の変遷(PDF)】によると昭和36年の国家公務員大卒上級甲種(いわゆるキャリア組)の初任給は1万2900円なので、かなりな値段です。

早速、ジャケットの包装に取り掛かる店員さんたち。そういえば、昔の百貨店って店員さんがたくさんいた記憶があります。懐かしの、トリコロールカラー(赤・青・白の3色)の大丸の包装紙です。この当時の大丸では紙袋に入れるのではなく、ヒモで持ち手を作っていたのですね。ヒモの持ち手を持って、大丸を後にします。

大丸の化粧箱を持ったキミコさんとお母さんが乗り込んだのは、1978年(昭和53年)9月30日限りで全廃された『京都市電』です。
制帽を被った車掌さんがお母さんの所に運賃の回収に回ってきました。昔の路面電車やバスは、乗降時に運転手に支払うのではなく、こうして車掌さんが集めて回っていました。

「キミコさんは大学に行って薬学を勉強したいと思っています。しかし、お母さんがキミコさんの年の頃は、将来の結婚に供え、花嫁修業をするばかりでした」とナレーション。

車窓から商店街が見えてきます。『三菱鉛筆』『煮豆』といった看板が確認できます。ひときわ賑わっているお店は、食料品店でしょうか。軽トラのサイズが随分とコンパクトです。市電はこの交差点で左折していきます。車通りが随分と少なかったんですね。曲がりきると、市電とすれ違い。さらに前にも近距離に市電がいます。


そして左手奥には『パチンコホンコン』という看板が見えます。閉店したパチンコ店情報を掲載している「グランドクローズinパチンコ編」というブログの情報によると、京都市下京区四条西洞院下ルにあった店だそうです。ブログ内に営業当時の店の写真も載っています。ただ、看板が少し違って見え、むしろ向かいにある『パチンコラッキー』の看板が書体にしろ色にしろ『パチンコホンコン』に近いようです(店名を入れ替えた?)。

『四条西洞院下ル』ということは、四条西洞院の交差点を南に入るということになります。現在の地図(goo地図)にポイントしてみると(※地図は元記事参照)、『大丸』前から『パチンコホンコン』へはこのような経路を通ったのかと予想されます。ということは、先ほど映っていた商店街は、四条通沿いでしょうか。

場面は飛び、キミコさんとお母さんが市電を降りてきました。そこから向かったのは……、なんと『京都大学』。キミコさんが行きたい大学とは、京大だったのですね。キミコさんひとり、構内へ入っていきます。

ちなみに、先ほどの『大丸』と『パチンコホンコン』との位置関係に『京都大学』を絡めるとこんな感じになります(※地図は元記事参照)。
別の日かと思いきや、大丸の化粧箱をまだ持っているので同日なのでしょう。

一方お母さんはひとり戻り、お魚屋さんに立ち寄ります。魚を選ぶお母さんの後ろには、現在とデザインがあまり変わらない京都の『市バス』が通っていきます(下の写真は現在のもの)。


"Kyoto Municipal Transportation Bureau - Kyoto 200 ka 1519". Licensed under GFDL via Wikipedia.



木枠のガラスケースの中に陳列された魚。切り身も売っているようです。店員のおじさんに注文をすると、ほいほいと魚を新聞紙にくるんでくれ、持参の買い物ネット袋に入れてくれました。現代のエコ最先端をいってますね。

買い物を終えたお母さんは、家路に就きます。お隣さんと顔を合わせ、深々とお辞儀。

こちらがお宅のようです。堂々たる門構えです。門を入ってから玄関までは広い庭を通って行きます。


家に戻ってきたお母さんは、割烹着姿になってひたすら魚のウロコ取りです。和服に割烹着姿といえば『サザエさん』のフネに代表される、古き良き日本のお母さん像ですね(ちょうどこの記事を公開する9月18日に、フネ役の声優の麻生美代子さんが交代するというニュースがありました)。

気付くとキミコさんがすでに帰ってきてお手伝いをしています。京大の受験を控えているというのに……、偉いです。「日本の台所はこの20年で様変わりしました。冷蔵庫や炊飯器は多くの家庭で使用されるに至ってます」。

壁にはおたま、フライ返し、おろし金など、キッチン用品が掛けられています。もちろんプラスチック製品はありません。

お母さんがひたすらウロコを取っているとき……、キヨシさんは、コタツでミカンを食べながらテレビを見ていました。ぐうたらの黄金の組み合わせ(でも見ている番組は、選挙演説のような固い内容)。

そんなキヨシさんも、何か物音が聞えたのか、急いでテレビを消してコタツを飛び出していきます。料理をしていたキミコさんも手を止め、部屋を出て行きます。

トシロウさんが帰って来たようです。一家総出で迎えます。キミコさんはお父さんのカバンを持ち、お母さんは外套を脱がせます。この頃にはだいぶ弱体化してきていたとはいえ、まだまだお父さんが偉大な時代でした。

キミコさんは、待っていましたとトシロウさんの手を引いて、自分の部屋へ連れて行きます。なにやら書類を見せています。

お父さんが部屋を出て行くと、改めてその書類を見返すキミコさん。その書類とは……、昭和37年度の京都大学の入学願書だったようです。大学受験についてお父さんに伺いを立てていたのですね。うれしそうな表情からして、受け入れられたのでしょう。「一世代前の日本なら、女の子が父親に自分の進路について提言するなんてあり得ませんでした。父親どころか母親にもです」。

夕食の時間のようです。トシロウさんも和服に着替えたようです。今の時代、帰宅後に和服に着替える光景を見るのは、「サザエさん」の波平さんぐらいですよね(遠い目…)。

遅れて入って来たキヨシさんは、キミコさんの頭を小突いていき、キミコさんに叱られてます。微笑ましいですね。

炊飯釜はお母さんの脇に置いてあり、お茶碗を渡してよそってもらっています。この日の夕食は、先ほどの魚にご飯と味噌汁、それから酢の物でしょうか。

文字通りガツガツとご飯をかき込むキヨシさん。それを優しい目で見守っているトシロウさんの姿が、なんかジーンと来ます。

食事が終わり、子供たちは出ていくと、親たちのリラックスタイム。トシロウさんは新聞を読み、お母さんは編み物をしているようです。そして、「キミコさん、キヨシさんの将来についても話し合いがされました」。

寝る前に門扉を閉めるのはお母さんの役目のようです。トシロウさんが帰宅時に閉めればよいのではとも思いますが、そうすると客人が入ってこれないからという配慮なのでしょうか。

先日、ネットのニュースで『「サザエさん」の内容が、現代っ子には意味が伝わらなくなってきている』というものがありました。理由は、黒電話や酒屋さんの御用聞き、ちゃぶ台など、現代ではお目に掛からなくなった物がたくさん登場するからだそうです。そしてこの映像を見ると、食卓に限っては、昭和30年代のままなんだなということを気付かされました。著者は、そんな昔の風習を現代っ子に伝えられる貴重な番組でもある『サザエさん』が、まだまだ続いてくれることを願っています。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

【動画】「Japan in 1961. Changed life of a Kyoto family 昭和京都」
編集部おすすめ