笠井信輔アナ、パラ水泳の女王・成田真由美さんを追悼「あちらの世界では思い切り自分の足で歩いてね」
笠井信輔オフィシャルインスタグラム(@shinsuke.kasai)より

フリーアナウンサーの笠井信輔が9月6日未明、自身のインスタグラムを更新し、がんのため55歳で亡くなったパラリンピック水泳界のレジェンド・成田真由美さんへの思いを綴った。

成田さんは6大会にわたってパラリンピックに出場し、水泳競技で20個のメダルを獲得、そのうち15個が金メダルという輝かしい成績を残した。
「パラの女王」「水の女王」と呼ばれ、パラスポーツ界の象徴的存在だった。

笠井氏は42年前、駆け出しアナウンサー時代に昼のワイドショー「タイム3」で「明るい車いす少女」として当時中学生だった成田さんを取材したのが出会いのきっかけだったと振り返る。半身不随で車いす生活を送っていた成田さんは当初「治療がうまくいったら歩けるかもしれない」と屈託のない笑顔を見せていたが、一生歩けないという状況が明らかになると「もう生きていけない」「死にたい」とメッセージを送ってくるようになったという。

しかし10年後、成田さんは水泳と出会い人生が一変する。まだマイナーだったパラリンピックに出場するようになり明るさを取り戻し、次々と結果を残していった。笠井は「マイナスの先にプラスはある。そのことを真由美ちゃんは実践してくれました」と当時の感動を綴っている。

その後も成田さんは幾度となく体調を崩し入退院を繰り返していたが、笠井ががんになった際には「パラの選手は、みんな乗り越えた先に、パラスポーツと出会ってるんだよね」と励ましのメッセージを送っていた。

今度は成田さん自身ががんを患うことになり、笠井は7月にお見舞いに訪れ、猫とちいかわのTシャツをプレゼントした。最後に会ったのは亡くなる11日前の8月25日。弱音を吐かない成田さんが「苦しいよ」とLINEを送ってきたため、笠井は慌てて自宅を訪問。家族5人で食卓を囲み、食が進まない成田さんに「なんでもいいから食べなさいね」と励ましたのが最後の言葉となったという。


成田さんは献身的な在宅看護を続けた姉や長年支え続けた母親ら大好きな家族に見守られながら自宅で息を引き取った。笠井氏は「55年の人生で、とてつもない困難を体験し、乗り越え、日本中のいや世界中の人を励まし続けた真由美ちゃん」と偲び、「あちらの世界では思い切り自分の足で歩いてね」と天国への旅立ちを見送った。

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【参照元】
笠井信輔オフィシャルインスタグラム

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