藤井フミヤ、軍艦島クルーズで歴史に触れ感動「胸にジンときた」
藤井フミヤオフィシャルインスタグラム(@fumiya_fujii_ff)より

歌手の藤井フミヤが9月8日、自身のインスタグラムで「47都道府県コンサートツアー2025-2026 FUTATABI」の長崎編として、世界遺産の軍艦島クルーズを体験した様子を投稿した。

軍艦島の正式名称は端島で、約50年間という短い期間に多くの歴史的物語を刻んだ島である。
南北約480メートル、東西約160メートルという小さな島に、1960年の最盛期には約5000人が暮らしていたという驚異的な人口密度を誇っていた。

藤井は当時の生活環境について詳しく言及し、「当時は日本で一番近代的な暮らしをしていた」と振り返った。大正時代には日本初のコンクリート高層集合住宅が建設され、日本全体のテレビ普及率が20%だった頃に端島では100%の普及率を誇り、どの家庭にもテレビ・冷蔵庫・洗濯機が完備されていたという。危険と隣り合わせの炭鉱夫の給料は当時の大卒初任給の3倍という高給だったことも明かした。

数ヶ月前にTBSドラマ「海に眠るダイヤモンド」を視聴していた藤井は、「島を目の前にした時、ドラマのキャストがそこにいる気がして不思議と涙腺にきた」と感動を綴った。1974年の閉山時、自身は小学生だったことから「昭和生まれの自分には、遥か遠い歴史でもない」とノスタルジックな思いを抱いたという。

軍艦島デジタルミュージアムで事前に歴史を学ぶことを推奨し、解説スタッフが中学生まで端島で暮らしていた元島民だったことも紹介。島民全員が顔見知りで親戚のような関係だったという当時の生活に思いを馳せ、「軍艦島はなぜか胸にジンとくる島だった」と締めくくった。

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【参照元】
藤井フミヤオフィシャルインスタグラム

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