「一瞬で日常が変わりました」西山茉希、中越大震災の体験と上京への思いを振り返る
西山茉希オフィシャルインスタグラム(@maki.nshiyama50)より

モデル・タレントの西山茉希が23日、自身のインスタグラムを更新し、2004年の新潟県中越地震の体験と、それがきっかけとなった上京への思いを振り返った。

西山は当時19歳で、地震発生時刻の2004年10月23日17時56分、アルバイト先の和風居酒屋でレジ脇にいたという。
「聞いたことの無い音。見えたことの無い景色。大きな縦揺れからはじまり、一瞬で日常が変わりました」と当時の状況を詳細に記している。

地震の後は家に帰れず、友人と公民館に避難。カラスが飛ぶタイミングに怯えながら夜を過ごしたエピソードや、車内生活を送りながらも親戚や友人らと支え合った日々について綴った。停止した冷凍庫の食材を家族で囲み、「怯えながらも笑い合いながら食べた」思い出も記している。

西山にとって中越地震は人生の転機ともなった。当時すでに東京での仕事を始めていたが、高速道路や新幹線が止まり、撮影への移動手段は飛行機のキャンセル待ちしかなかった。母親から「笑っているお仕事に就かせてもらったんだから、お兄ちゃんのいる東京にいきなさい」と言われたことが上京のきっかけだったと明かしている。

11月4日の東京行きの際も、機内への通路で余震があり、「家族や仲間を置いて自分だけ逃げるようで、涙しかでませんでした」と当時の心境を振り返った。見送りの際に微笑んでいた母親の表情についても触れている。

現在、復興祈願として打ち上げられるようになった「フェニックス」は長岡花火の名物となり、平原綾香の楽曲「jupiter」についても「長岡市の曲とも思っている」と地元への愛着を示した。


西山は「震災が無ければきっと東京に住むきっかけも見つからなかった」とし、あれから21年が経った現在について「経験を宝物にして、これからも『今日』を大切に生きたいです」と前向きなメッセージで締めくくっている。

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【参照元】
西山茉希オフィシャルインスタグラム

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