どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeにて公開されている「燈火管制」というタイトルの内務省制作の映像をピックアップしました。
※動画はページ下部にあります(前編、後編に分かれています)。
燈火管制(以下、灯火管制)とは、太平洋戦争中を描いたドラマや、昨秋公開された劇場アニメ「この世界の片隅に」などでご存知の方も多いとは思いますが、敵機による空襲の標的にならないよう、地上の明かりを極力上空から見えないようにする取り組みでした。
なお、この映像が制作されたのは昭和15年(1940年)のようで、昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦より前になります。これを制作した側、見た側の人たちは、どのくらい真剣に、今後実際に空襲されることになると考えていたのでしょうか。

「まず減光かつ遮光の方法から説明しましょう」とナレーション。テレビの代わりにラジオがあるくらいで、あまり古さを感じない和室です。

「3平方メートル(≒六尺平方)あたり10燭の割合とし」と明るさの基準が示されます。当時使われていた明かりの単位である「燭」は燭光(しょっこう)とも呼ばれ、1燭はロウソク1本分の明るさを表しています。10本分のロウソクの明かるさといわれても、いまいちピンときませんが。

そして、光が外に漏れないように、このような遮光具を付けるのだそうです。

明るくモダンな洋間も……、

遮光具を付けると一気に物悲しくなります。

続いては、商店の官制方法だそう。外観からは何のお店か分かりにくいですが。

呉服屋さんのようです。

商店も家庭と同じように遮光具を付けることになります。

続いて別の商店。履き物屋さんのようです。

吊り下げ灯とショウウィンドウの電気は、「消しましょう」とのこと。暗い。

店内の照明も、これでは3平方メートルあたり10燭を超しているようで、

1つは消灯、もう1つには遮光具が付けられます。

画像引用:埼玉県平和資料館HP
この映像には登場しませんが、戦時中には「灯火管制用電球」(「防空電球」とも)という、遮蔽する塗料が塗られた電球も販売されていました。

遮光具が正しくない付け方として紹介されているのがこちら。

工場など仕事場もこの通り。必要な場所だけを照らしています。


映像の3分50秒ごろから約40秒にわたって、ナレーションなしでいろいろな職場風景が捉えられていきます。女性たちの事務仕事に。

工場でのシーンは、ヤスリがけをしているように見えます。

前編の4分35秒くらい、既視感のある字幕と和室が。どういうワケか、冒頭の部分と同じ説明が繰り返されます。

ただ、まったく同じでなく、省略されている部分があったり、前半には出てこなかった下駄作りの職人さんが登場したりと、なかなか謎な編集となっています。

映像の6分8秒ごろからは、街灯についての説明になります。1灯の明るさは16燭以内とし、水平線に対して20度以上(横に広がらないように)など細かい決まりがありました。

「これらの燈火を残置燈と呼んでいます」とナレーション。

自動車のヘッドライトも規制の対象で、3ルクス以下にしなければならないようです。黒金巾<固く縒 (よ) った糸で目を細かく織った薄地の広幅綿布-goo辞書>2枚で覆えばよいそう。

ここから映像の後編に入ります。先程も登場したモダンな洋間です。遮光から隠蔽の説明に替わります。

明かりを外にもらさないよう、窓という窓は、光の通りにくいカーテンで覆ってしまいましょう、ということです。

全部覆ってしまうとこの通り。

雨戸があるならもちろん閉めて、隙間があれば目張りします。

雨戸のない部分も忘れずに隠蔽していきます。

完全に隠蔽できるなら、電球に遮光具を付けなくてもよいそうです。


台所もこの通り。木製のキッチン台が新鮮に映ります。しかし、すべての窓を遮光カーテンで覆うとなると、費用も結構かさみそうです。

床屋さんです。椅子などの設備は時代を感じますが、洗髪やシェービングのサービス内容はあまり変わりがないようです。

床屋さんは店内が暗いと困るので、隠蔽したほうがいいでしょうとナレーション。

入り口扉の中に黒幕がまず1枚あり、

さらにもう1枚、黒幕を用意しておけば、客が入ってきても光がもれないですむとのこと。

工場での隠蔽方法の説明に移ります。これは電球工場でしょうか。昭和15年でここまでオートメーション化されていることに驚かされます。
GIFアニメで切り出したのがこちらです(クリックまたはタップすると再生/停止します)。※見られない場合は【関連記事】の(元記事)にて。


「農家では夜仕事ができるよう隠蔽の方法を考えましょう」とナレーション。当時の農家の厳しい台所事情がうかがい知れます。

最後は「空襲官制」について。再び警報音が鳴り出します。

「空襲官制」とは、まさに敵の爆撃機が接近してきたときの対応についてです。サイレンやラジオで知らせる他、画像のように自転車で知らせ回ったりということもあるようです。「空襲官制」になったら、即消灯をし……、

ナレーションいわく、「タバコの火までに注意をして」とのことですが、さすがにそこまでは。




一方で、これら特別な標識については、消灯せずに使うのだそうです。

神田駿河台のニコライ堂(東京復活大聖堂)を北の方角から映しているようです。空襲での被害はなかったので、現在とほぼ変わらぬ姿です。

ニコライ堂周辺をグルリと撮影。「いざというとき、慌てずに早く、正しい灯火管制ができるように心がけることこそ、国民の義務なのであります」というナレーションをもって映像は終了します。
しかしながら、日本各地を度々襲ったB-29爆撃機には爆撃照準レーダーが搭載され、夜間でも地形が把握でき、地図と照らし合わせてピンポイントに爆撃ができたため、戦争後半には灯火管制はほとんど意味をなさないものとなってしまいました。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
【動画】「燈火管制《前編》昭和15年 内務省製作映画」
【動画】「燈火管制《後編》昭和15年 内務省製作映画」