こんばんは、バブル時代研究家のDJGBです。
残業時間の上限規制、プレミアムフライデー、テレワーク、最低時給1500円…“働き方改革”に関するニュースを耳にすることが増えています。
こうした話題でよく引き合いに出されるのが、バブル期を代表するこのCMです。
●三共製薬「リゲイン」(89~91年ころ)
「24時間戦えますか。」というキャッチコピーは、ワークライフバランスが叫ばれる現代の感覚からすればなかなか過激に聞こえます。TwitterなどのSNSにおいても
“信じられないCM”
“今考えると相当ブラックなキャッチコピーだ”
“このCMがブラック企業の後押しをした”
といったコメントもチラホラ。
はたして「リゲイン」のメッセージは”ブラック”なのでしょうか?
今日は「24時間戦えますか。」のキャッチコピーが生まれた背景と、栄養ドリンクの時代をふりかえります。
■「リゲイン」に24時間戦わせたライバルたちの存在。
「24時間戦えますか。」の背景を理解するためには、当時の栄養ドリンク事情を知る必要があります。「リゲイン」の発売は88年6月。栄養ドリンクとしては後発で、市場にはすでに大正製薬の「リポビタンD」(62年発売)をはじめとした多くのライバルがひしめいていました。
もともと男性向けの強壮剤というイメージが強かった栄養ドリンクは、80年代中盤、ある男の一言がきっかけで、一気にメジャーなものに変わります。
●「疲れがタモレば、ユンケルだ!」(佐藤製薬、85年)
「ユンケル」は56年(昭和31)発売。当初は錠剤でしたが、のちにアンプル型の「ユンケル黄帝液」が登場。
このビン型「ユンケル」を大ヒットに導いたのは、まだ密室芸のギラギラ感が色濃かったタモリです。85年、「笑っていいとも!」放送終了後のフリートークで「ユンケルを飲んで風邪を治した」と話したことが関係者の耳に届き、CM起用が決まりました。タモリはこの後16年にわたりCMキャラクターを務め、佐藤製薬も”ミスター・ユンケル” として認める存在です。
●「5時から男の、グロンサン」(中外製薬、87年)
60年(昭和35)に発売された「グロンサン」。おなじみのメロディーは当初ザ・ワイルドワンズが「♪サンサン30代も、グロンサン!」という歌詞で歌っていたものですが、87年(昭和62)に「グロンサン強力内服液」のCMに起用された高田純次による「♪5時から男も、グロンサン!」というパターンで一気にブレイク。彼のひょうひょうとしたキャラクターは「働きすぎ、飲みすぎ、遊びすぎ」の男30代のみならず、女性からの支持も集めます。
●「GOOD CONDITION」 (タケダ、87年)
大手のタケダも黙っていません。87年、知名度の高い「アリナミン」ブランドでドリンク剤に殴り込み。他社製品とは一線を画し、フルスルチアミン独特の苦みをあえて残した「アリナミンV-DRINK」で新風を吹き込みます。CMに起用されたのは俳優のマイケル・ハーダー。TAKE FIVEのオシャレなジャズにのせ、仕事に、そして子育てに奮闘するニューヨークのビジネスマンをスタイリッシュに描き、マッチョな世界観の「リポビタンD」との差別化を図ります。
●「ONがあるからOFFがある」 (大正製薬、88年)
対する大正製薬はメガブランドの「リポビタンD」に加え、男性ビジネスマン向けの「サモン内服液」を販売。CMにはビートたけし、古舘伊知郎らを起用していましたが、1987年からは「アリナミンV-DRINK」を意識してか、スーツ姿で働くビジネスマンのカッコよさを描くイメージ戦略にシフト。「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」(89年)というコピーも話題となりました。
CMソングはOSCER BROWN Jr.による、その名も「ワークソング」です…が、当時の小中学生には、製品名以上に、CMソングのごく一部のみが強烈なインパクトを残す結果に。
ユンケルの大ヒットがきっかけとなり、ミニドリンク剤の市場規模は85年の約270億円から、87年には一気に約520億円へと拡大(参考:片岡寛 「拡大する栄養ドリンク市場」)。
各社のCM合戦も熱を帯び、88年の新語・流行語大賞では、「5時から(男)」が流行語部門 大衆賞を、「ユンケルンバ ガンバルンバ」が特別賞 人語一体傑作賞(なんだそりゃ)をそれぞれ受賞します。
すなわち後発の「リゲイン」は、これらのいずれとも異なるポジショニングを取る必要がありました。
■「勇気のしるし」2番には“希望”が描かれていた。
“渡辺裕之、野村宏伸コンビによる「ファイト!一発!」はちょっと汗臭い。
マイケル・ハーダーのようなエグゼクティブでもない。
“遊びの達人”タモリほど器用じゃないし、“平成の無責任男”高田純次のように達観できるわけでもない。”
「リゲイン」は、そんな若手ビジネスマンの気持ちを、当時29歳の時任三郎と「24時間戦えますか。」というコピーに託しました。
●「リゲイン」 (三共製薬、88年)
時任演じる牛若丸三郎太が登場するのは1989年に入ってから。
●「リゲイン」 (三共製薬、89年)
もともとの曲名は「リゲインの歌」というシンプルなものでしたが、CMが話題になったことで、89年11月には牛若丸三郎太名義で「勇気のしるし」としてシングルCD化。作詞は、「リゲイン」のCM制作も手掛けていた電通映画社のCMディレクター(当時)、黒田秀樹氏です。
黒田氏の狙い通り「リゲイン」のCMは大きな話題を集め、「24時間戦えますか」のコピーは89年の新語・流行語大賞で流行語部門 銅賞を受賞。CDも累計販売数60万枚の大ヒットを記録します。
※牛若丸三郎太が一度だけ歌番組に出演した際のレア映像は元記事で。
●「夜のヒットスタジオ SUPER」(90年2月14日放送)
2017年の現代に、
「黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか。」
というフレーズだけを聴くと、 “どれだけブラック企業なんだよ” と感じるかもしれませんが、実は2番にはこんな歌詞が続きます。
有給休暇に希望をのせて
北京・モスクワ・パリ・ニューヨーク
(中略)
年収アップに希望をのせて
カイロ・ロンドン・イスタンブール
「24時間戦えますか。」は経営者側の言葉ではなく、ジャパニーズビジネスマン自身のセリフです。バブル景気に沸いた89年。彼らには有給休暇と、働けば働くほど年収アップ(少なくとも、そうした希望)が約束されていました。
同じ年、新語・流行語大賞で特別部門 特別賞を受賞したのは、当時ソニー会長の盛田昭夫と、こちらも当時衆議院議員だった石原慎太郎の共著『「NO」と言える日本』。
当時のジャパニーズビジネスマンは、世界に「NO」を突き付ける強さが求められていました。「リゲイン」のCMと「勇気のしるし」は、そんな彼らへの応援歌でもありました。
■24時間「戦えますか」が消えた理由。
世界を股にかけて快進撃を続けていた牛若丸三郎太に、思わぬ国際事情が立ちはだかります。
湾岸戦争の開戦(91年1月)です。
“戦えますか”のフレーズが時世にそぐわないとして、好評を博していた牛若丸三郎太のシリーズはこの年で終了。「24時間戦えますか。」が表舞台から姿を消したのは、世界情勢と、消費者からの印象をふまえてのことでした。
余談ですが、この余波を受け、セガ・メガドライブで発売予定だった「牛若丸三郎太物語~24時間戦えますか?」というゲームソフトも開発中止に追い込まれています。
翌92年、コンセプトを一新した「リゲイン」のCMに起用されたのは、モックンこと本木雅弘でした。
●「全力で行く。リゲインで行く。」 (三共製薬、92年)
88年のシブがき隊“解隊”後、映画やドラマで活躍し始め、このころにはアイドルから完全に脱皮していた本木。91年には篠山紀信によるヘアヌード写真集『white room』で物議を醸し、翌92年の紅白歌合戦ではコンドームを首からぶら下げた奇抜な衣装で「リゲイン」CMソングの「東へ西へ」を歌い、お茶の間の度肝を抜きました。
こうして「リゲイン」も、新たな時代を歩み始めたのです。
■まとめ:「24時間戦えますか。」は“ブラック”なキャッチコピーか?
三共製薬は2005年、第一製薬と合併し第一三共ヘルスケアとなりましたが、「リゲイン」は現在も健在です。発売から29年目を迎え、その顧客層はビジネスマンだけでなく、「頑張る奥さま、受験生の皆さんをはじめとした幅広いお客さま」に広がりました。
第一三共ヘルスケアは今年に入って『週刊朝日』の取材に対し、「24時間戦えますか。」に込めた真意を
「コンセプトは、一歩先を行くビジネスマン。だからこそ、“オンとオフを使い分けて戦おう”というメッセージを込めています」
と説明しています。
[出典:「24時間戦えますか」が消えた理由は? 流行語が生まれる4ポイント]
公式ウェブサイトにも、現在の「リゲイン」が持つメッセージがしっかり明記されています。
(以下引用)
発売当時はまさにバブル全盛の時代、ただモーレツに仕事に打ち込んでいたあの頃とは違い、現在は自分の時間を大切にする人が増えてきました。“だからこそ、24時間、仕事も生活も頑張らなければいけない!”。でもやっぱり仕事に追われてしまっている人たちを応援するドリンク、それがRegainシリーズです。
24時間戦える身体をつくることで、“仕事も生活も楽しく過ごしていただきたい・・・”Regainシリーズはこの思いで、これからも頑張る皆さまのお役に立てるような製品がご提供できるよう、製品の開発に取り組んでまいります。
(引用ここまで)
[出典:「リゲイン」公式サイト]
時代とともに、言葉の持つニュアンスも変わります。
「24時間戦えますか。」は、もともと「24時間働け」という意味ではありませんでした。
そしてその言葉がいちど表舞台から姿を消した理由は、人々の労働に関する意識が変わったからではなく、戦争という要因に影響を受けてのことでした。
いっぽう、そのキャッチコピーを生み出した会社で、現在“働き方改革”が議論されていることもまた事実です。
第一三共ヘルスケアさん、これからも仕事に生活に、24時間戦い続ける私たちを「リゲイン」で応援しつづけてください!
ただ「オンとオフを使い分けて戦おう」は「サモン」のキャッチコピーとそっくりだから気をつけて!
(バブル時代研究家DJGB)