事実上の主役は、現在放映中の『舞い上がれ!』でナレーターを務め
2月9日に放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも取り上げられた
さだまさし(1952年4月10日生れ)だ。
(グレープ時代のさだまさし イラストby龍女)
しかし、さだまさし本人を取り上げるのは、早稲田大学の「さだ研」等のガチのヲタがいるのでやりたくない。
そこで今回は、朝ドラのナレーターが以前から結構大物達が担当しているので、そこを深掘りしていきたいと思っている。
先に言っておくが、朝ドラのナレーターを務めた人を全員取り上げる訳ではない。
朝ドラのナレーターには、大きく分けて二つのパターンがある。
まずはNHKのアナウンサーが担当した場合。
今回取り上げるのはもう一つの主に俳優が担当した場合だ。
前者はドラマの進行を分かり易く伝える目的で起用されたパターンである。
後者の場合はケースバイケースなので、更に取り上げる人をしぼっていきたい。
今回除外するのは、主人公がナレーターをした場合である。
あの時自分はこういう気持ちだったと振り返っているパターンである。
残ったパターンは、更に二つに分れる。
ドラマの中の出演者がナレーターを務める。
主人公の肉親が先に死んでしまって見守っている。
もう一つは本編中は一切登場しないが、ドラマの世界観を代表する声の持ち主である。
このパターンが組み合わさった人物もいるので、後で詳しく紹介しよう。
最初は、大物俳優がナレーターを務めた印象深い朝ドラを取り上げる。
『繭子ひとり』(1971)の石坂浩二(1941年6月20日生れ)

(石坂浩二 イラストby龍女)
このドラマは、筆者のうまれる前の朝ドラと言うだけでない。
まだマスターテープが高価で、重ね録りしたために収録した映像が残っていないので、どういう作品だったか?
再放送が観られない状態である。
内容は、八戸の高校から上京して、雑誌記者になった加野繭子(山口果林)が自分を捨てた母捜しと、恋に悩む物語だそうである。
筆者が重視しているのは、この作品のナレーターが石坂浩二であった事である。
石坂浩二の俳優の経歴の中で、ナレーターの仕事は重要な位置を占めている。
初期のナレーターの仕事で有名なのは1966年に放送された
『ウルトラQ』である。
このSFドラマシリーズは、ほぼ映像が残っている。
これはヴィデオ撮影ではなくフィルム撮影されているからである。
保存を当初から考えられた撮影方法だった。
製作した円谷プロが特殊撮影に使うフィルムを妥協せずに、お金をかけたからだ。
石坂浩二はその後、NHK特集で
『シルクロード』(1980年4月~1981年3月、1983年4月~1984年9月)
の悠久の歴史を淡々と語る口調が素晴らしかった。
筆者の幼少期に親と観ていた記憶がある。
もう一つ、ナレーターとしての代表作が
『渡る世間は鬼ばかり』(1990~2011)である。
橋田壽賀子の晩年のライフワークのホームドラマシリーズであった
長年橋田壽賀子と組んでいたTVプロデューサーの石井ふく子とは、デビュー当時からお世話になっている人である。
石坂浩二は、大河ドラマを3作品(『天と地と』『元禄太平記』『草燃える』)主演しただけでなく、朝ドラでも重要な仕事をしていたのである。
『雲のじゅうたん』(1976)の田中絹代(1909~1977)

(田中絹代 イラストby龍女)
大正時代の初の女性飛行士を題材にしたドラマである。
主演は、浅茅陽子(1951年4月2日生れ)。
ナレーターを務めたのは、サイレント時代から活躍した日本を代表する映画俳優の田中絹代である。
最近では、日本における女性映画監督のパイオニアの一人として、再評価されている。
坂根田鶴子(1904~1975)に次ぐ日本で2番目の女性映画監督である。
6本の作品を遺している。
俳優として、清水宏・溝口健二・成瀬巳喜男・木下恵介・黒澤明・市川崑などの日本映画の代表する監督と仕事をした。
国際的な評価としては、イラストで描いた『サンダカン八番娼館 望郷』で第25回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)を受賞している。
出演したドラマで遺作になったのは
『前略おふくろ様』の第2シリーズである。
タイトルにある「おふくろ様」とは、田中絹代が演じた主人公の板前・片島三郎(萩原健一)の母・益代の事である。
『雲のじゅうたん』のナレーターは、『前略おふくろ様』とほぼ同じ時期の仕事の一つである。
田中絹代の生涯を描いたTVドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』(1984年、テレビ朝日)で、晩年の田中絹代を演じた乙羽信子(1924~1994)が、朝ドラのナレーションを務めた様子を再現していた。
バスに乗ってNHKに通う様子が描かれていて、非常に印象に残っている。
『てっぱん』(2010)の中村玉緒(1939年7月12日生れ)

(中村玉緒 イラストby龍女)
広島県尾道市を舞台に、母と祖母がやっていたお好み焼き屋を再開するために奮闘するヒロインを描いたドラマである。
ヒロインの村上あかりは、瀧本美織(1991年10月16日生れ)が演じた。
中村玉緒は日本映画黄金時代には、大映所属の俳優として数々の時代劇で脇を固めていた。
『座頭市』シリーズで大スターになった勝新太郎(1931~1997)と結婚して、一男一女をもうけるが長男の雁龍を2019年に亡くしている。
1994年以降は、明石家さんまの番組で強烈な天然ボケのキャラクターがあらわになり、バラエティ番組にも出演するようになった。
『てっぱん』でのナレーターも、ドラマの世界を覗いている大阪のおばちゃんのようなノリでやっていた。
『花子とアン』(2014)の美輪明宏(1935年5月15日生れ)

(美輪明宏 イラストby龍女)
『赤毛のアン』の日本語翻訳者である村岡花子(1893~1968)の半生を原案としたフィクションである。
村岡花子は吉高由里子(1988年7月22日生れ)が演じた。
美輪明宏のナレーションは、「ごきげんよう」と言う上流階級の女性が使う言葉で締めくくられる。
これは、主人公がミッション系の女学校へ進学したときに出逢うお嬢様達が使う言葉である。
こうした言葉を自然に使える人物、または大正から昭和のモダンな時代の空気を知っていると言うことで、美輪明宏が選ばれたそうだ。
次の頁では、コメディアンが朝ドラのナレーションを務めた作品を紹介する。
『ひまわり』(1996)の萩本欽一(1941年5月7日生れ)

(萩本欽一 イラストby龍女)
弟の不当逮捕をきっかけに、弁護士を目指す女性の物語である。
主役は、松嶋菜々子(1973年10月13日生れ)である。
萩本欽一は、主人公の実家で飼っている犬のリキの心の声という設定である。
70年代後半から80年代の前半まではゴールデンタイムのバラエティ番組の司会者として全盛期を誇った。
浅草で芸人としての腕を鍛え、1966年に坂上二郎(1934~2011)とコント55号を結成。
欽ちゃん、二郎さんの愛称で親しまれる。
今のお笑いの概念では、欽ちゃんがツッコミ、二郎さんがボケと思われている。
実際は欽ちゃんは振り、二郎さんはこなしと言う役割だそうである。
コンビ名に付けたことで、コントを一般的に広めた。
『ウェルかめ』(2009)の桂三枝(現・桂文枝)(1943年7月16日生れ)

(桂文枝 イラストby龍女)
地元の徳島で雑誌の編集者として務める中で、ウミガメの研究に出会う。
主役は倉科カナ(1987年12月23日生れ)である。
当時まだ桂三枝だった6代目桂文枝がナレーターをした。
桂文枝は、吉本興業が抱える数千人あまりの芸人の中でトップの存在である。
少なくとも、ダウンタウンが台頭する前は、西川きよしと共に二大看板であった。
関西大学在学中に落語研究会に属し、1966年に3代目桂小文枝(5代目桂文枝)に入門して大学を中退。
翌年ラジオ番組の『歌え! MBSヤングタウン』出演をきっかけに売れ始めた。
『新婚さんいらっしゃい』は、2022年3月まで51年間務めた。
同一番組の司会の長寿記録として、ギネス記録になっている。
『梅ちゃん先生』(2012)の9代目林家正蔵(1962年12月1日生れ)

(9代目林家正蔵 イラストby龍女)
大田区蒲田を舞台に町医者になる下田梅子が主人公だ。
梅ちゃん先生こと下田梅子を演じたのは、堀北真希(1988年10月6日生れ)である。
下町が舞台の朝ドラと言うことで、江戸落語の大名跡を継いだ林家正蔵が選ばれたのだろう。
筆者は、前名の林家こぶ平の方が馴染みがある。
9代目林家正蔵は、7代目林家正蔵(1894~1949)を祖父に、昭和の爆笑王と呼ばれた初代林家三平(1925~1980)を父に持つ。
1978年に入門、1988年に真打ちに昇格。
2005年3月に9代目林家正蔵を襲名した。
俳優や声優としても活躍しており、1984年の劇団ワハハ本舗の創立メンバーである。
代表作はアニメ『タッチ』の松平孝太郎、映画『家族はつらいよ』の金井泰蔵である。
『なつぞら』(2019)の内村光良(1964年7月22日生れ)

(内村光良 イラストby龍女)
東京で空襲に遭って戦災孤児になった奥原なつが北海道・十勝で育った後に、アニメーターになって、数々の名作に関わっていく物語だ。
モデルとなった実在の人物は奥山玲子(1936~2007)である。
奥原なつを広瀬すず(1998年6月19日生れ)が演じた。
内村光良の起用は「ヒロインの亡き父として彼女を天国から見守っている」設定なので、第68回の紅白歌合戦の司会の優しい雰囲気が好まれて選ばれたそうだ。
内村光良は横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科の同期生の南原清隆と1985年にウッチャンナンチャンを結成した。
『お笑いスター誕生』をきっかけにTVに出始めた。
ショートコントという形式を広めた。
とんねるず・ダウンタウンと共に「お笑い第3世代」の一角である。
筆者が大好きなウッチャンナンチャンのショートコントは、レンタルビデオショップシリーズで、倉本聰や山田太一がもしもレンタルショップのドラマを書いたらどうなるか?
と言う設定が面白い。
次の頁では、朝ドラのナレーターを複数務めた俳優を紹介する。
その理由についても考えてみよう。
宝塚から映画・TVドラマの名作に最後まで出続けた国民的俳優八千草薫(1931~2019)

(八千草薫 イラストby龍女)
『風見鶏』(1977)、『ロマンス』(1984)、『君の名は』(1991)でナレーターを務めた。
筆者は出演しているイメージの方が多かったので、ナレーターをしていたことが意外であった。
筆者の幼少期は、『岸辺のアルバム』(1977)で不倫する主婦役など、奥様の役が多かった。
晩年で印象深い役柄は、倉本聰作品が多く、『拝啓、父上様』(2007)の料亭の女将・坂下夢子や、最晩年の『安らぎの郷』の九条摂子役など、主役ではないが重要な役を演じた。
元NHKアナウンサーの野際陽子(1936~2017)

(野際陽子 イラストby龍女)
『京、ふたり』(1990)、『ほんまもん』(2001)、『ゲゲゲの女房』(2010)でナレーターを務めた。
『ほんまもん』では主人公の師匠にあたる精進料理を作る尼僧役で出演もしている。
NHKの女子アナウンサーから俳優に転向した。
パリに一年留学した後、ミニスカートで帰国したので、日本におけるミニスカートをはいたタレントの走りと言われている。
『キイハンター』(1968~1973)で出逢った千葉真一(1939~2021)と結婚。
二人の間に生れたのが、俳優の真瀬樹里である。
(千葉真一とは、1994年に離婚)
1992年の『ずっとあなたが好きだった』の冬彦(佐野史郎)の母親役が強烈な印象を残したお陰で、着物姿の姑役として90年代はTBSのドラマで定着していった。
八千草薫と同じく、遺作は倉本聰脚本の『安らぎの郷』シリーズであった。
橋田壽賀子御用達の奈良岡朋子(1929年12月1日生れ)

(奈良岡朋子 イラストby龍女)
奈良岡朋子は、『おしん』(1983)と『おんなは度胸』(1992)と『春よ、来い』(1994)と3回朝ドラのナレーターを務めた。
いずれも橋田壽賀子(1925~2021)の作品である。
大河ドラマで橋田壽賀子が脚本を担当した作品の内、『いのち』(1986)と『春日局』(1989)のナレーターを務めた。
後に大河ドラマ『篤姫』(2008)のナレーターも担当するが、これは春日局へのオマージュだろう。
奈良岡朋子は、大河ドラマの第1作『花の生涯』にも出演している大ベテランである。
現在は新劇の大手、劇団民藝の代表を務めている。
民藝の俳優は多くが60年代まで日活の映画に出演していた関係で、石原裕次郎(1934~1987)と交流があり、たった12話の『太陽にほえろ!PART2』では後任のボスの篁朝子役で出演している。
『釣りバカ日誌』シリーズでは、スーさん(鈴木建設社長・鈴木一之助)の妻・久江を9から20まで演じた。
奈良岡朋子のナレーションは定評があり、テレビ東京の教養番組『極める』(1986~1995)は、大好きな番組であった。
父親の奈良岡正夫(1903~2004)は洋画家で、奈良岡朋子自身も女子美術大学洋画科を卒業している。
ホームドラマの松竹映画を代表する倍賞千恵子(1941年6月29日生れ)

(倍賞千恵子 イラストby龍女)
倍賞千恵子は、『わたしは海』(1977)、『ひらり』(1992)、『すずらん』(1999)でナレーターを務めた。
倍賞千恵子は、山田洋次監督の『男はつらいよ』で主人公・車寅次郎(渥美清)の妹・さくら役を長年勤めた。
それ以外でも、『幸せの黄色いハンカチ』(1977)、『小さなおうち』(2014)にも出演しており、山田洋次作品には欠かせない俳優の一人である。
歌手としても『下町の太陽』(1962)『さよならはダンスの後に』(1965)のヒット曲がある。
近年はジブリ映画『ハウルの動く城』の主題歌『世界の約束』(2004)が親しまれている。
平易でノビノビとした口跡からナレーターとして聞き取りやすい。
最後に、俳優・アナウンサー以外でナレーターを務めた人物を紹介しよう。
『だんだん』(2008)の竹内まりや(1955年3月20日生れ)

(竹内まりや イラストby龍女)
島根と京都を舞台に離ればなれになった双子のヒロインの物語。
主役は三倉茉奈と三倉佳奈(1986年2月23日生れ)である。
竹内まりやは、島根出身と言うことでナレーターを引き受けたのだろう。
夫の山下達郎は、『ひまわり』(1996)で、『ドリーミング・ガール』を主題歌として提供している。
竹内まりやは、『だんだん』の主題歌として『縁の糸』を書き下ろした。
挿入歌として提供した、マナカナが歌った『いのちの歌』は、東日本大震災が起った2011年以降好まれて歌われるようになった。
『ひよっこ』(2017)の増田明美(1964年1月1日生れ)

(増田明美 イラストby龍女)
茨城県と東京を舞台に、高度経済成長期に集団就職した女性を描いた物語である。
主役は有村架純(1993年2月13日生れ) である。
主な時代が1964年の東京オリンピック前後だったために、ロス五輪代表の元マラソン選手で現在は解説者の増田明美が選ばれた。
増田明美の解説は、マラソン選手の私生活を盛り込んだある意味どうでも良い情報のオンパレードで、非常に面白い。
その語り口が面白がられて、ナレーターに起用されたようだ。
ちなみに、シドニー五輪の女子マラソンの金メダリストの高橋尚子は最初、増田明美の解説の真似っぽかったが、今は正統派のペース配分や走るときの姿勢を中心とした解説をしている。
増田明美の解説は、マラソンの解説としては邪道だと考えても良いだろう。
しかしこのお陰か、バラエティ番組のナレーションとしても活躍している。
『舞い上がれ!』(2022)のさだまさし

(さだまさし イラストby龍女)
空とパイロットに憧れて、五島列島と東大阪を舞台にした物語である。
主役は福原遥(1998年8月28日生れ)である。
さだまさしは、長崎県出身ということで起用された。
五島列島の名物、ばらもん凧という設定の語りである。
しかし、方言を使ったナレーションではない。
この頁で取り上げたナレーターは皆、方言は使わず標準語で語っている。
ドラマの展開を説明をする役割も担っている。
登場人物とは一定の距離を置いているのだろう。
さだまさしと朝ドラの関係は、『カムカムエブリバディ』(2021)で、NHKの英語講座の人気講師だった平川唯一(1902~1993)を演じた事に始まっている。
さだまさしは日本で最もコンサートを行っている有名ミュージシャンなので、時間を拘束されるドラマには滅多に出られない。
コロナ禍でスケジュールが空いたことから、実現したのだろう。
民放のドラマ『石子と羽男ーそんなコトで訴えます?ー』(2022年7月~9月)では弁護士を演じた。
朝ドラでは、ナレーターの存在が世界観の構築に重要なことが分かったと思う。
朝食をとりながら観る時間帯のドラマでもあるので、ナレーターの存在は、ついつい見逃しがちな内容を振り返ったり、確認するのに役にも立っている。
だから、時に声の仕事でもある歌手が起用されることも納得する。
次の朝ドラの『らんまん』(2023年4月スタート)では、『純情きらり』のヒロイン役を務めた宮﨑あおいが担当するそうだから、非常に楽しみだ。
今後もナレーターに注目して、朝ドラを観てみよう。
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