(所属事務所プロダクション尾木の宣材写真から引用 イラストby龍女)
取り上げるのは、朝の連続テレビ小説(以下朝ドラ)『らんまん』で、ヒロイン西村寿衛(浜辺美波)の叔母・みえとして、5月12日の第30回に初登場したからである。

(『らんまん』の笠崎みえ イラストby龍女)
実は筆者は、宮澤エマを昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の終盤に取り上げることを考えていた。
イラストも下書きまで用意していた。
ネタが変更してしまいペン入れをしなかったが、どこかの機会を待っていた。
筆者は、宮澤エマが出演したドラマはタイトルで取り上げた以外は『相棒 season21』の初回スペシャルの前後編(2022年10月12日・19日)しか観ていない。
だから俳優としての宮澤エマ推しの方には非常に申し訳ない。
それでも、観た範囲の作品だけでも、筆者は彼女の俳優としてのポテンシャルが凄いことは分かっているから、内容に関してはご了承願いたい。
と言うことで、かなりはしょるがざっくり宮澤エマの俳優としての経歴を振り返っていこう。
宮澤エマの生い立ちは、ご存じの方も多いだろう。
大蔵(現・財務省)官僚出身の第78代内閣総理大臣(在任期間1991年11月5日~1993年8月9日)宮澤喜一(1919~2007)を母方の祖父に持つ。
宮沢喜一は旧学制時代の東京大学法学部出身で、妻になる伊地知庸子(1920~2014)は東京女子大学英語専攻部卒業。
学生時代に1939年の「日米学生会議」で出逢ったそうだ。
その間に生れた長女が宮澤エマの母になる宮澤啓子である。
父は元駐日アメリカ合衆国首席公使(1998~2001)のクリストファー・ラフルアー(1949年12月12日生れ)である。
テストの採点が100点が当たり前のエリート一家の出のため、90点でも落ちこぼれの部類だったそうだ。
エマの姉は優秀だったそうだが、小学校の時に歌の稽古をしている時に
「これなら私は勝てる!」
と、思ったそうだ。
さて同じ頃に、有名なエピソードがある。
スポニチ2021年10月6日付の記事より筆者の補足を付け引用する。
「おじいさまと遊びに言った記憶」を問われると、
「本当に仕事人間だったので正直そんなに記憶にないんですよ」
と前置きした上で、
「でも唯一、一緒にお買い物に行ったって思い出がありまして」
とエピソードを切り出した。
宮澤が「7歳くらい」の誕生日のこと。
喜一氏から
「何が欲しいの?」
と尋ねられたという。
当時は「たまごっち」が大ブーム。
宮澤は「たまごっちが欲しいって言ったら(喜一氏が)『今から買いに行こう』って急に言い出して。SPさんを引き連れて、原宿のおもちゃ屋さんめがけて」
と振り返った。
「その時は祖父がどういう存在か、いまいち理解できていなかった」
宮澤だったが、目の前には信じられない光景が。
「原宿の町を歩いていると『モーセの十戒』みたいに人が開けていって。私のおじいちゃんヤバくないって気付いて。あれはビックリしました」
と笑った。
玩具店(原宿のキデイランドと思われる)に到着すると、たまごっちを求める人々で行列ができていた。
「どうするんだろうなって思っていたら、おじいちゃんがすごい大きな声で『たまごっちください!』って言った」
と明かし、
「みんな並んでいるのに、何言いだすんだろうって。店員さんも権力に屈したらいけないと思ったと思うんですけど、『並んでください』って言って。その日は別のものにしてって、帰ったんですけど」
と懐かしそうに話した。
宮澤はその後の展開も説明した。
喜一氏が原宿を訪れたその様子が、メディアに写真とともに伝えられたとし、
「記事になって後日(発売元の)バンダイさんから、たまごっちが送られてきました。一番の私の自慢エピソードです、これが」
と話し、盛り上げていた。
エマはその後、高校は聖心インターナショナルスクールに入る。
合唱部(グリークラブ)で重要な出逢いをする。
それは宮本師門である。
誰?
と思いになるだろうが、この人物はあの演出家宮本亞門(1958年1月4日生れ)の異母弟である。
宮本亞門の父・亮祐の再婚相手の子供で年の差が20歳以上である。
宮澤エマは、アメリカのオクシデンタル大学の宗教学(1年間だけケンブリッジに留学)を卒業後、2012年の春に芸能界にデビューする。
初めての出演は、『ネプリーグ』で第74代総理大臣竹下登の孫のDAIGO(1978年4月8日生れ)と同じ「総理の孫」枠での起用であった。
先程の「たまごっち」エピソードでバラエティに出たが、DAIGOと比べるとお爺さんエピソードが多いわけではない。
ほぼこれは唯一と言って良い。
一通りバラエティ番組に出ると、すぐにお声がかからなくなった。
これではまずいとなった頃に、声をかけてくれたのが先程の宮本亞門である。
「ミュージカルのオーディションを受けませんか?」
その作品『スウィーニー・トッド』は役に合わないと不合格だった。
別の作品『メリリー・ウィー・ロール・アロング~それでも僕らは前へ進む~』(2013年11月~12月)で、メアリー役に抜擢された。
これ以降はテレビでは、情報番組のコメンテーターなどと並行して、舞台俳優としてミュージカルを拠点に活躍し始める。
宮澤家はインテリの一族で、大金持ちのイメージもあるかもしれない。
上流階級の中では決して裕福な方ではない。
家訓は「働くモノ食うべからず」だそうだ。
祖父の喜一は学生の頃(太平洋戦争中)、なけなしのお金を能に費やしていたそうで、舞台芸術には関心があった。
また父方の祖母も、アマチュアの舞台俳優をしていたそうで、彼女の芸能界入りには応援していたようである。
本人は当初は踊りの稽古はしていなかったようで、ミュージカルに出られるとは思っていなかったようだ。
地道な努力家ではあるので今ではミュージカル俳優として名作のヒロイン役や重要な脇役を数多く演じている。
映像メディアでの活躍の転機となったのが、朝ドラの『おちょやん』(2020年11月~2021年5月)である。

(『おちょやん』の竹井栗子 イラストby龍女)
宮澤エマは、ヒロイン竹井千代(杉咲花)の父・テルヲ(トータス松本)の再婚相手、継母の竹井栗子を演じた。
この役は三味線が得意な設定なので、徹底的に稽古したようだ。
ドラマの最初と、後半の方に登場して最初冷たい継母だと思ったら、実は…と言う展開であっと言わせた。
筆者も宮澤エマを大体知っているつもりになっていたが、別人格になっていたのでその名演技に唸らされた。
この名演で、TVドラマへのオファーも増えるが、あくまでも彼女の俳優としての軸は舞台にある。
舞台のスケジュールは2年先まで押さえられているのが、業界の常識である。

(『鎌倉殿の13人』の実衣 イラストby龍女)
次にドラマの大きな役は、『鎌倉殿の13人』の北条時政(坂東彌十郎)の娘で、政子(小池栄子)の妹で、主人公の義時(小栗旬)の姉である実衣である。
政子は源頼朝(大泉洋)の妻になった。
実衣は、頼朝の異母弟で義経(菅田将暉)の同母兄にあたる阿野全成(新納慎也)の妻になる。
実衣は、政子の次男に当たる実朝(柿澤勇人)の乳母になり、政治的に徐々に大きな影響力を持つようになる。
ちなみに実朝を演じた柿澤勇人とはミュージカルデビュー作で共演して以来の旧知の仲である。
さて実衣は姉政子に対する嫉妬心などの兄弟姉妹間ならではの感情が良く伝わってきた。
筆者は一人っ子であるが、母が3人姉妹なのでややこしい人間関係は遠くから観ていた。
芸能界は実力の世界であるが、その内実は運もコネも含んだモノである。
近年はずっと2世俳優やセレブ出身の俳優が目立ってしまうので、非常に理不尽に感じるかもしれない。
しかしそれはスタートラインが有利なだけで、年月を積み重ねていけば業界の中で信用を得た者だけが生き残る厳しい世界である。
筆者の出身高校は演劇の授業が芸術の選択科目にあった影響もあって、芸能人の子息が多い。
その中で今も活躍している人もいれば不祥事で消えていった人も数多く知っている。
筆者の出身高校とは関係ないが、宮澤エマと同じくミュージカル繋がりで例を挙げてみよう。
松田聖子の娘である神田沙也加(1986~2021)の舞台を筆者は直接観たことがある。
舞台映えする高く美しい歌声に非常に感動した。
今でも忘れられない。
あの『アナと雪の女王』の直前のことである。
実力がある人でも、メンタルをやれてしまう世界で生き残ることは非常に厳しい。
一見恵まれた環境にいても、人の悩みはそれぞれである。
筆者が観てきた傾向では、芸能界でのかなりのトップクラスにいた人の子息の方がメンタルをやられやすい様な気がする。
さて、宮澤エマは自分の生れた環境をポジティブに捉えているのが興味深い事実である。
それが少し遠回りながら自分がやりたい道を進んでいる秘訣かもしれない。
エリート一家に育っても、親から将来は〇〇になりなさいと押しつけれればそれは虐待である。
そういう環境では無く、本人の自由に委ねられた時点で、非常に運が良かったようだ。
両親が芸能に理解あったがその業界に入っていない、ほどよい距離感である。
宮澤エマは調子が悪い時でも不遇ではない。
むしろ出遭いの引きが強い。
その理由は、常に周囲への感謝を振りまいて、誠実に答えてきたからだ。
仕事仲間に敵をなるべく作らなかった。
筆者は、それが現在のブレイクに繋がっていると思う。
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