本誌の読者ならご存じのとおり、「ゲームビジネス新潮流」を冠したこの連載はほぼ1年間にわたりVR関連の企業に対しインタビューを敢行してきました。これらのインタビューで常に遭遇する名前がありました。
GOROman氏(または近藤氏)です。前回のProduction I.Gでのインタビューでは、2014年のとある新年会でGOROman氏と出会い、Oculus Rift DK2を手にしたことがきっかけだと言っていましたし、新清士氏がVRに対しビジネスとしての可能性を実感したのが、GOROman氏が開発した『MikuMikuAkushu』を2014年4月7日に開催されたUnite Japan 2014の会場で体験してからというのは有名な逸話として知られています。そこで必然的に疑問として浮かび上がるのはGOROman氏、本人が実際どのようにVRにかかわるようになり、大手企業などに先駆けて日本において「VRの伝道師」になったのかという点です。そのような疑問が沸々と沸き起こる中、奇跡が起こりました。

左が近藤氏、右が藤原氏
あらゆるHMDがひしめく!
筆者が所属している立命館大学映像学部、京都クロスメディア推進戦略拠点、ITコンソーシアム京都、京都府市などで企画したVRに関するカンファレンス、KYOTO VR EXPERIENCEの際、機材関係で協力いただいたTSUKUMO(ツクモ)の駒形一憲氏の計らいで、本人にお会いする機会に恵まれたのです。そこから数日後、筆者は同氏が経営している株式会社エクシヴィのオフィスを訪問。本稿では、GOROmanこと近藤義仁氏が如何にVRやの邂逅を果たし、その本質を見極めつつやがて啓蒙者になったのか、そしてOculus Japanチームのエンジニアを経てこれからをどう見据えているかについて明らかにしていきます。また、インタビューには近藤氏がOculus Riftを啓蒙時にTwitterを通して出会った、エクシヴィのR&Dプログラマー藤原航氏も立ち会っていただきました。ですので、近藤氏を中心に据えつつ、藤原氏からも補足をしていただきながらのインタビューとなりました。

ファミコン時代から貫いたVRに対する飽くなき好奇心

――VRというものについてはいつごろから興味を持っていたのでしょうか?

株式会社エクシヴィ代表取締役社長 近藤義仁氏(以下、近藤):立体視という視点では、ファミリーコンピュータ時代に販売されたファミコン3Dシステムからでした。映像を交互に高速で切り替えて立体視するんですが、これが任天堂から発売されていたんです。ゲームとしては2~3本位しかでていなかったんですが。
当時はまだ中学生でしたね。これを知り合いの家でプレイしたときに面白くて、早速ハードを改造して、SHARP X68000(以下、X68000)というパソコンにつないだんです。

――既に改造してたんですか?

近藤:シンプルなんですよ。しくみ自体は。シャッターで左と右を高速で交差させるというしくみだけだったので。初代のX68000にはなぜか立体視の端子があったので、ファミコン3Dシステムを改造してそこにつないで遊んでました。X68000は、小6のときに家にきたのですが、その後パソコン通信などで様々な情報を得たので回路図とか。中学生のときに改造しました。市販のソフトがなぜかそれに対応していたんです。『ファンタジーゾーン』とかを立体視で遊んでいましたね。

――その後も立体視に対する興味は続いたのですか?

近藤:高校時代には格闘ゲームとか、『バーチャファイター』とかにもハマっていましたね。そのときから画面の中に入りたい、もしくは、コンテンツに画面の外に出てきて欲しいという思いがあったんです。
もしくは、いずれそんな時代が来るといった感覚ですね。この頃です。インターネットが出てきたのは。で、インターネットをとにかくやれるところを探しながら進学しました。ただ、インターネットをやればやるほど情報が入ってきたんです。怪しいものがいっぱい(笑)。

――笑

近藤:当時から新しいモノが好きだったので。

――インターネットから得た情報でとくに興味を引いたものは?

近藤:やはり、海外の情報ですね。僕らが持っている情報ではなかったので。例えば『Doom』とかですね。あの3D感が好きだったのでとにかくプレイしてました。あと、Blizzardのリアルタイム戦略ゲームも『WarCraft2』の時代からやってました。
その後、日本でも有名になった『Diablo』、そして『StarCraft』などはとにかく大学時代にハマりました。一方でバイトしつつ、その他の時間は『Diablo』のことしか考えられないという時期もあって(笑)

――笑

近藤:ほぼ廃人状態ですね(笑)ネットを介したマルチプレイも出来たので。ただ、このままいくと本当の廃人になってしまうと思い、はやくゲームをクリアしないというマズいという思いからハッキングツールをつくりだして、レベルをマックスにした途端、ゲームが面白くなくなって飽きてしまいましたが...基本的にゲームそのものよりも解析が好きだったんですよね(笑)。シェアウェアとかも開発して200万円とかポンって手に入ったりしていましたし。

学生時代から自然に培われたベンチャースピリット

――ゲームのシェアウェアですか?

近藤:インターネットのルータ制御用ソフトです。当時、インターネットはダイアルアップ接続が主流だったんです。いまはルーターでの接続が主流ですが、当時、ルーターはまだ希少で1台、数十万という時代でした。 そんなときにNTTからMN128 SOHOというルーターが4,5万円で販売されたんです。それを使えばいっぺんに5台とかつながるので人気商品になりました。そこで、そのルーター用の制御ソフトをつくったんです。1本1000円程で販売したら、2000本程売れたんです。

――そのときの心境はいかがでしたか?

近藤:時給650円で働いているのがバカバカしく感じた位です。
その後、上京してPlayStation用のゲーム開発に取り組んだんです。

――どんなプロジェクトに関わったんでしょうか?

近藤: 中小のソフトハウスで、プログラマーになりました。ツール開発からですね。OpenGLの資料などをボンっと渡されてのスタートです。とにかく「やります!」とだけ答え、プロジェクトに取り組みました。これまで主にアセンブリ言語を使ってましたし、大学時代に開発したシェアウェアもDelphiというソフトでPascal言語を使って開発していたのでOpenGLの専門というわけではなかったのですが…とにかくこのようにしてPlayStationやPlayStation2用ゲームから入って、次にXbox向けのゲームエンジンをつくりました。そのようなときから立体視が好きで、定期的に立体視用デバイスとかを買っていました。そのかたわらニコニコ技術部に出会ったんです。

――「ニコニコ動画」の?

近藤:とにかく面白いヤツがいっぱいいたので、そこから刺激を受けて個人としてプロジェクトに関わりはじめました。

――GOROmanさんの誕生ですね?

近藤:いろいろ見ながら自分でもやってみようと思いました。ニコニコ技術部にオンライン上で見ていたひとたちも、後々、本当の友達になっていきましたが。この前の京都のイベントでも、そこで出会った皆さんにお会いできました。
その中に、ARやVRをやっている人たちもいたんです。そして07年12月ごろに、Johnny Chung Lee 氏がアップロードした、動画に出会ったんです。

――WiiリモコンをヘッドトラッキングにつかってPCデスクトップをVRディスプレイ化するという実験映像ですね?

近藤:あれに驚いて、僕もさっそくやってみました。

――あれと同じものをつくったんですか?

近藤:はい。Lee氏はソースコードも公開していたので。それを見ながら全く同じものをつくって、「あ、これスゲー面白れぇ」って。

――すごい、エンジニア魂!

近藤:で、早速ニコニコ動画にあげました。GOROmanでやってますね。単純に面白いなと思ってあげてたんですが、当時は全然話題になりませんでした。すごさが分からないんですよね。

とインタビューを進めていた段階で、同席していた藤原航氏がひとこと。

藤原航(株式会社エクシヴィR&Dプログラマー、以下、藤原):ここに一人いましたけどね。
感動していた人が。これが、近藤社長がやっているものとは知らずに見ていて、僕も「これ、すげえ」と思って見ていたんです。

近藤:ただ、同じようにやっているひとはそんなに日本にはいませんでした。いわゆるChung Lee方式ですよね。通常Wiiでは、センサーバーをまあ、センサーとは言っても赤外線のLEDが2個、両端に設置されているだけですが...をテレビ側に装着し、それに対し、コントローラのほうが赤外線カメラになっててトラッキングするという仕組みだったんですけど、逆の発想にしたわけです。Wiiリモコンのコントローラを固定にして、センサーバーを頭につけたんです。つまり、頭のほうから赤外線LEDを2個発光している状態にしたんです。それによって、ユーザー側のポジショントラッキングを実現したんです。つまり、現在のPSVRやOculus Rift のようなHMD(※Head Mounted Displayの略、以下、HMD)のポジショントラッキングとほとんど同じ仕組みです。

――シンプルですね!

近藤:PCとWiiリモコンをブルートゥースでつなげてしまうことで、他に何も使わずにVRのような表現が出来てしまうという...簡単なのに効果は絶大だったわけです。

――当時、ご自身が関われていた業務もVR関連だったのですか?

近藤:この頃、2社目の会社を立ち上げることになりました。2010年6月18日に、今の会社、株式会社エクシヴィを立ちあげたんです。アミューズメント系の受託開発事業をおこないながら、趣味としてVRやARを続けていました。11年ごろにはソニーから発売されていたHMZ-T1をもっていたので、それを装着しながら、Johnny Chung Lee方式を応用して『Elders Scroll: Skyrim』をプレイしてました。

――当時最も話題だったオープンワールドのRPGですね!

近藤:これで大画面にしながら、ポジショントラッキングで遊ぶというのを会社の中でやってました(笑)。ただ、反応は芳しくなかったですね。「酔う酔う」って言われたりして。

――笑

近藤:そんな延長線上に、クラウドファンディング界隈でPebbleというスマートウォッチの先駆け的なデバイスが出てきました。2012年ごろですね。これが僕にとってクラウドファンディングに注目するきっかけになりました。それで、クラウドファンディングで興味深いプロジェクトなどを探していたら、2012年8月1日にOculusがRiftのDevelopment Kit 1(以下、DK1)のプロモーション映像を流しているのを発見したんです。それは、まさにJohnny Chung Lee方式のような感じでトラッキングして、しかも視野が広いデバイスを紹介だったんです。早速予約しました!そして届いたのが2013年の4月30日でした。

――そのときの印象はいかがでしたか

近藤:感動しましたね。正直、あまり期待してなかったんですよ。これまでもいろいろなヘッド・マウントディスプレイは買ってました。EPSONのMoverioとか。でも期待よりも下の出来だったんです。視野角が狭かったり、トラッキングがなかったりで。なので、DK1を入手した際も、トラッキングがガクつくだろうとか、推定数メートル先に長方形のスクリーンが見えるんじゃないのと想像してたんです。ですが、今振り返ると解像度は低かったですが、ちゃんとトラッキングもするし視野角の広かったので、「これはスゴイぞっ」と。いろんなひとにやって欲しいなと思いました。

――なるほど。

近藤:その日のうちにDK1はすごいという動画をアップしました。その後、ゴールデンウィークを返上して『Mikulus』の前身に当たるコンテンツをつくったんです。もちろん初音ミクを使って。単純にカワイイというのがありますが、ニコニコ技術部がミクを使って何かやるという伝統があったんです。ミライっぽいものはミクを使うというコンセンサスみたいなものがあって。

DK1入手直後にアップした動画。本人の興奮が伝わってくる
――反応はいかがでしたか?

近藤:それでも当初、あまり反応はなかったですね。

――(藤原氏にむかって)どうでしたか?

藤原:正直、あまりよく分からなかったですね(笑).

(次ページ)※VRを経営者たちにひたすら見せ続けるGOROman氏の意図とは?

映像で伝わらないなら、体験させろ!GOROmanのVR伝道がはじまった!

近藤:なので、ノートパソコンを背負って、飲み屋でもどこでも行くようにしたんです。バイトをしていたスタッフでも誰でもとにかくかぶせて反応を見るようにしました。みんなやると「凄い」って言うんです。その延長上でいろいろな企業に回り始めました。例えば、ゴンゾ創業者の村濱さん(※村濱章司氏)などです。その他にものすごいたくさんの人に見せていて、それで出会った人の名刺が片手いっぱいの高さになるほどでした。名刺管理アプリをみたら3900人になっていたので、その位の人にはすくなくとも見せていたと思います。

実に様々なひとたちにDK1のデモをしていた近藤氏
――なぜ、そこまで情熱をもってとりくめたのでしょう?

近藤:なんか、危機感みたいのもありましたね...コレが次のプラットフォームやインフラになるのではといった思いです。

――DK1のときから?

近藤:はい。単純に面白いし、スゴイなと思ったんですよ。Johnny Chung Lee方式でつくったときにピンときた感じが、300ドルで出来るようになったと。PCにさえ接続すれば。このビビビッっていう感覚が、過去、パソコンをはじめて触ったときや、PalmPilotのようなPDAをつかったとき、あとはインターネットの前時代にはやっていたパソコン通信をしたときの感じとすごい似ていたんです。脳がワクワクする感じですね。もともと、僕は凄い早めに手を出して、一般に広がる前に飽きてしまいあまりビジネスにならないっていうことが多かったんです。日本でオンラインゲームが流行る前から欧米ではやった『WarCraft2』とかやってたのもそうです(笑)。TCP/IPに対応していない時代のネットゲームをプレイしてたりとか。時代の一番のはじまりのフェーズに立ち会うんですけど、一般化する前に飽きてしまってるという...継続は力なりでやっていれば儲かっているのではということが結構あります(笑)。で、もどりますが、VRでも同じ気持ちになったんです。これはビジネスになるし、生活を変えるだろな...と。思わずその気持ちをTwitterでも綴ってしまいました。

当時のコメントのいくつかから。VRの未来を見据えたようなコメントがされていた
近藤:そして、その後も、KADOKAWAやDMM など大手企業にはひととおり見せていきました。だいたい各社のトップの方々に見せていました。

――いきなり社長にとかですか?

近藤:結局、時間もムダになってしまうので、なるべく最初から偉い人に見せるようにしています。私自身も会社を経営している立場なので。経営者もつながっているので、ある会社の社長に見せると、面白いからということで別の社長を紹介してくれるんです。先ほどの話だと、村濱さんに見せることでKADOKAWAの役員の方につながるという具合です。ネットワークが蜘蛛の巣のように繋がっていく感じです。なので、2013年のときはとにかくいろいろな人に見せました。

――DK1の時代の皆さんの反応はどうでしたか?

近藤:正直、評価は良くなかったですね。私自身は技術者なのでこれが発展したらこうなるというのを予見できるのですが、「解像度が低すぎて酔っちゃうデバイス」という印象を持っているようでした。

――経営者としてはその判断はどう感じましたか?

近藤:経営者としては正しいですね。僕は両面を持っているので理解は出来ます。僕自身はプログラマーをしつつもハードも触りながら今は会社の経営もやっているので、ひととおり全部やってきているんです。なので、経営リスクも分かります。DK1の段階で投資をしても回収の見込みも立たないということは。ただ、これはインターネット初期と同じで、その当時は全然ビジネスにならないという状態が続きました。「NASAのホームページが見れて嬉しい」と歓喜していたような時代です。お金の臭いがしてきたのはプロバイダー業務が事業として成り立ちはじめた頃でしょう。そのような事を言っている間にインターネットのベンチャー企業が続々と出てきたんです。当時は、DeNAやグリーといった会社などは存在もしてませんでした。楽天やAmazonなども突然大企業になっていったわけです。そのような中で、VRというものが便利なモノになる、もしくはみんなが使うものになるというイメージが漠然とですが浮かび上がってきたんです。ということで、どんどんと皆さんに見せていったんです。

――当時から受けがよかったコンテンツとかはあったんですか?

近藤:ジェットコースターの受けはよかったですね。『Rift Coaster』っていうんですが。鉄板ですね。視覚情報だけで浮遊感を味わえるので。あれに、驚くひとも多かったです。同時にVR酔いをしてしまいダメだったひともいましたが...その他にはホラーモノや海の中に入るもの、バーチャル・シアター、そして自分で作ったVRアプリなどを見せてました。相手がどのような会社のひとかで見せるコンテンツは合わせてましたね。

―――準備するのが大変ですね。

近藤:コンテンツ自体はノートパソコンに大量に入れてあって、相手の時間と好みをあわせて適切なタイトルを選んで見せるということをしてました。ソムリエですね(笑)。

――VRソムリエ?

近藤:だって、アニメとか全く興味ない人にアニメキャラのVR体験 をしてもらっても不快な顔をされますからね。逆にコンテンツ会社 にはこれ!映像系だったらバーチャルシアターや実写VR作品を体験してもらってました。使い分けです。

――実際に『Mikulus』などご自身で開発されてどうだったんですか?

近藤:キャラクターと目を合わせることができるということが、どれほどスゴイことかということを実感しました。これまでのゲームソフトでは、キャラクターと目が合ったと実感するまでには至らなかったからです。目線があったとしても、こちらを見てくれているという感覚までは得られなかったんです。それがVRだと出来たんです。これは、『サマーレッスン』などもそうですが、キャラクタープレゼンスや、キャラクターがユーザーを認知していると錯覚してしまうことがすごいですよね。承認欲求を満たしてくれるということで、これまでのテレビやゲームでは得ることが出来なかった感覚だと感じました。それもあってキャラクターモノをつくるようになったんです。

VRの梁山泊?!GOROman主催のVR体験会で次々と集まるVRビジネスのプレイヤーたち

――(藤原氏に向かって)この当時、DK1についてはどう思われていたんですか?

藤原:当時社長がDK1の体験会をするとTwitterで宣言したときにそれが気になって北海道からわざわざ上京したんです。

――体験会?

近藤:そうそう。あの頃、「会社を使ってDK1の体験会をやるのでやってみたい人っ!」とTwitterで募集をかけたんです。そのとき、DK1を持っているひとを募ったら、2人がそれに応じてくれて僕のもあわせて3台でデモをしたのですが、そのうちの1人が当時グリーにいた井口(※Oculus Japanチームの井口健治氏)さんで、もうひとりがドワンゴのMIRO(@MobileHackerz)さんでした。そのときは8人位が来てくれました。

藤原:私が参加したのはその次の会ぐらいですね。当時、私は北海道の釧路市にいたんですが、もともとVRの研究をしていて自作でVR関連のコンテンツをつくっていたり、Kinectを応用したポジショントラッキングを開発したりとかしていたんです。そしたら、ある台湾人のユーザーがOculus Rift向けに何か開発するべきと薦めてくれた。そこに近藤社長が作った初音ミクのコンテンツがリンクされていたんです。そこで、近藤社長のツイートを見ながら、気になって「雇ってください」というツイートを送ったとき、ほぼ同時に私自身のプロジェクトを見ていた社長から「ウチと一緒にやらない」というツイートが送られたんです。ニコニコ学会のマッドネスで発表したとき位にOculusを調べて、その後、近藤社長とTwitterを通して交流するようになり、2013年6月には入社してました。
近藤:すべてTwitterつながりですよね。普通に採用してないんです。Twitterを通して知り合ったほうが相手のアウトプットが明確じゃないですか。履歴書とかを見てもよく分からないけど、Twitterで紹介しているモノは、何をつくっているかも明らかだし。だいたいクリエイターってなにかを作っていないと死んじゃうのでアウトプットが必ずあるんです。そういう人って、自発的に何かをやるひとですしね。(VRデバイスを指さしながら)オモチャを与えるだけであとは勝手につくっていくみたいな...そこからいくつかを僕が選んで「これ商売になるね」っていう判断をして、今度はそれをベースにしてお仕事をしていくというのがいいですよね。実際、弊社でいまやっているプロジェクトはそのように生まれてますし。彼が実験的に作ってきたものを企業に見せたことで「面白いね」ってなって、「では、このIPを絡めてこうしましょう」という流れで事業として具現化したりするんです。

――どんなプロジェクトがスタートしたのですが?

近藤:DK1の時代にはじめたのがKADOKAWAとのプロジェクトでした。

藤原:ああ、やりましたねー。

近藤:ただこのときは検証用プロジェクトだったので外には出てないんです。そのとき、THETA(※RICOH THETA-360°カメラ、以下、THETA)も無い時代だったので、GoProを使用して360度映像をDK1向けに作ったんです。

――ということは御社の最初のプロジェクトは実写系VRということですか?

近藤:コンテンツ開発はどうしてもお金がかかってしまうので。アセットも必要ですし。となると動画で撮ったほうが楽なのではということで実写系VRに落ち着きました。そのつながりで実写VRをやろうということになり、Redbullとつながったんです。そしてはじめて当社の実績として外に示せるコンテンツとしてリリースしたのが、Redbullのための展示イベントとしてプロデュースした『Red Bull X-Fighters World Tour 2014』です。Redbullもこれまで、DK1のコンテンツを見せてきた会社の1社でした。「イベントでVR出したいですね」という提案だったので、バイクのヘルメットのうえにGoProを装着して、モトクロスバイクで運転してもらいました。空中一回転とか。2014年5月に大阪ではじめて公開し、11月には沖縄、翌年4月には香港へと巡回しました。

――御社のスタッフだけで開発したのですか?

藤原:さすがにそれはありません。撮影は株式会社HOME360 の中谷さん(同社代表取締役中谷孔明氏)にお願いしました。

――そのようにVR技術に関する活動の幅を広げていった後の反応は?

近藤:2013年の8月には桜花一門さんと一緒にOculus Festival Japanというイベントを秋葉原で行いました。その際に、「MikuMikuAkushu」を出したんですが、かなりバズりましたね。それを見たドワンゴの人からニコニコ超会議に出してくれという依頼が来て、2014年のニコニコ超会議に出すことにもなったんです。

――その他にどんな人からアプローチがありましたか?

近藤:経済産業省の外郭団体である財団法人デジタルコンテンツ協会が主催するデジタルコンテンツ協会の須藤さん(※須藤智明氏、財団法人デジタルコンテンツ協会技術部部長)ですね。

――DCAJですか!デジタルコンテンツに特化した協会ですよね!

近藤:その須藤さんが僕にTwitterのDMでアプローチしてくれたんです。彼らが2013年のデジタルコンテンツエキスポの企画をしている際に、同団体と交流があるVR研究の権威、稲見昌彦氏(※東京大学大学院 情報理工学系研究科教授)からOculus Riftが流行っているというのを聞いて、その第一人者を調べていたら僕が出てきたということらしいんです(笑)。

――DC EXPOといえば国内最大規模のデジタルコンテンツに関するカンファレンスですよね!

近藤:で、さっそく須藤さんにお会いして、個人的に開発していた『MikuMikuAkushu』を体験してもらったら、「すごい、すごいっ」って大興奮して、是非、登壇してくれっていうことになりました。

――すごいですね。

近藤:当日はハコスコの藤井直敬氏とご一緒したりしてましたが、そのときに『MikuMikuAkushu』も特別展示させていただきました。

――反響はどうだったんですか?

近藤:なんか、一番人気になったということらしいです。アンケートの回答数自体がすごく増えたということでした。僕らのコンテンツはアンケートに回答すると出来るということにしていたので。だから、『MikuMikuAkushu』を体験するために来た人がそれだけ体験してアンケートを置いていくというのもあったみたいです。

――いままで、DCAJのイベントに来たことが無い人たちが来たという…

近藤:当日は台風だったのに。ミクファンがいっぱい来たんです(笑)。午前はそうでもなかったんですが、午後からどんどん人が増えて人気コーナーになってました。 あと、このときに出会ったのが、後に弊社の社員となる荒木だったり(※株式会社エクジヴィエクゼクティブ・アシスタント荒木氏 )

――次々に面白い方が集まってきますね!Production I.Gさんの 皆さんともであったのはこの頃でしたか?

近藤:『MikuMikuAkushu』が既にあったときですからこの頃ですね。村濱さんが、恵比寿で新年会を開いていてそこに招待されたのですが、そこで、VRのデモをやっていたのでその頃だったと思います。それ以外にもたくさんの方々とお会いしました。村濱さん人脈だったと思います。その後、先方のオフィスも訪問させていただいてVRについて話しました。以降、直接お仕事でご一緒することはなかったのですが、いい刺激にはなったようです。

――なるほど。この頃の心境はどのような感じだったのでしょうか?

近藤:この頃になると、頭の中ではOculusが日本に来てもらえるようにするにはどうしたらいいか考えるようになりました。Oculus Japanが設立される様子もないので、日本でOculus Riftがちゃんと発売されるかも不安になってきたんです。危機感のようなものを感じるようになっていて。そこでUnity Technologies Japanにいる伊藤さん(※伊藤周氏)がカナダのUNITEに参加しているときにTwitterで実況するなかでOculus担当者に直接聞いたところOculus Japanは今は無いよって言っていたんです。同時に当時、KADOKAWAにいた池田さん(※池田輝和氏、現Oculus ジャパンチームPartnerships Lead)と話を進めていてOculus向けコンテンツの開発について思案していたのですが、11月末ごろに、池田さんから2014年1月のConsumer Electronics Show2014(以下、CES2014)で新型のプロトタイプ(後のDK2となるCrystal Cove)が発表されるので見に来ないというお誘いを受けたんです。パスポートも切れていたのですが、慌てて3日か4日で急きょ再発行の手続きをして、航空券も当時高価になっていたのですが購入し、池田さんたちと一緒にいきました。

当時のOculusブースは非常に小さかったんですが、ブース担当者と話していたら、なんと、パルマー・ラッキーがブース内にばーっと入ってきて、「KADOKAWAって『ソート・アート・オンライン』(以下、『SAO』)の会社だよね!」と言って僕らに話しかけてきたんです。彼はアニメオタクで、『攻殻機動隊』や『初音ミク』も大ファンだとは聞いていたんですが。で、彼はVRのことは全く話すことなくゲームやアニメの話だけで終わってしまいました(笑)。

あと当日、THETAの第一世代機を持ってきていたので、それで一緒に撮影したりしているうちに、またどこかにいってしまいました。結局ビジネスの話はゼロでした。まあ、創業者っていうのはけっこうそういう傾向にありますが。そこで僕らはビジネス担当と話をしてここでのOculusとの会合はそれで終了しました。そうこうしているうちに、次は、シアトルのSteam Dev Daysというイベントでパルマーが話すという情報を得て、米国在住の知人にお願いしてチケットを入手し、すぐに会いにいくことにしたんです。ただ、飛行機などの関係で一度日本に戻らなければならなかったので、CESでの出張終了後、一旦日本に戻りまたとんぼ返りのように今度はシアトルへと向かいました。

――それはもったいないですよね!

近藤:せっかく一旦日本に帰国したので、パルマーがアニメ、とりわけ『SAO』が大好きということで献上品として『SAO』のグッズを持っていくことにしたんです。当時、ちょうど1番くじの懸賞が『SAO』グッズだったので、それを箱買いして、グッズを入手、さらにフィギュアなども購入したうえで箱に詰め込んでもっていたんです。そこで、パルマーに会ったときは、「君の好きなものを持ってきました」と伝えて、グッズを提供すると「Thank you、Thank you」と喜んでくれたので、あらためて日本でOculusを展開したいという意向をその際に提案しました。そこである程度の関係を築き上げることが出来たんです。

――なるほど

近藤:次にパルマーとあったのが2014年のGDCでした。そのときも話す機会をもらって話し、そこから帰国したときにFacebookによる買収が明らかになったんです。その次パルマーとあったのが2014年、日本で開催されたUnity TechnologiesJapan主催のカンファレンス、UNITEでした。Unity TechnologiesJapanの大前さん(※大前広樹氏)が基調講演にパルマーを招き、来日することになったのです。実は私も個人的にパルマーにメッセージを送ってアプローチはしていたんです。なんと、彼は単身で日本に来ました。レトロゲームが好きと聞いていたので秋葉原のスーパーポテト(※中古ゲーム販売店大手)や六本木、そしてニコファーレに連れていったりしました。なんかアメリカ人はみんなスーパーポテトが好きになるらしいですね。パルマーもゲームボーイのソフトとかを買っていたようです。ポケモンもすごく詳しかったですね。この時期はずっとDK2を触っていたわけですが、解像度の向上や位置トラッキングの追加で機能が各段に改善されたという実感はありました。ただ、まだこれで儲けてやろうとい意識よりは好奇心をもって触れているという感じでした。

――UNITEには出展もされてたんですよね?

近藤:はい。クリプトン・フューチャー・メディアやUnityに許可をもらって『MikuMiku Akushu』を展示していたんです。隣はViteiの村上さん(※村上雅彦氏、当時はリードアーティスト、後にVitei Backroom代表取締役を経て現Skeleton Crew Studio代表取締役社長)が『The Modern Zombie Taxi Co』のDK2対応版を出展してました。そこに新さん(※Yomuneko代表取締役社長 新清士氏)がひょいっと表れて、『MikuMiku Akushu』を体験したんです。そのとき、僕はブースにいなくて、ウチのスタッフが対応したのですが、あまりにも感動したようで、ずっとそこにいて握手をし続けたみたいなんです。本人に聞くと、その場でDK2をオーダーして、帰宅後もニコニコ動画で『初音ミク』の動画を探していたらしいです(笑)。で、その後、自身のコラムで「あと何センチでミクに届くのに!」というような記事を書いてました。 やっぱり、実在感がとんでもなかったんでしょうね。なんか、それまではVRに対するイメージが悪かったらしくて...「私は酔う」みたいな...「相性が悪い」とかいろいろなメディアで話していて、僕らも悩んでいたんです。なので、よくTwitterで、僕や、Unity Technologies Japanの伊藤さんや、今はgumiにいる野生の男さんと(※渡部晴人氏、VRゲーム『The Gunner of Dragoon』開発者)とかと「どうしたらいいのか」って作戦会議をしてたぐらいでした(笑)。

――笑

近藤:ですが、『MikuMiku Akushu』によって新さんもVRに対して「酔う」というイメージから「キャラクターに恋が出来る」というイメージに変わっていったんです。この後、彼は『Mikulus』も見つけてきて、それもプレイしたんです。DK2が発売されてからすぐに『Mikulus』のDK2版も出したので。その後、新さんも目覚められていろんな人にOculus Riftを見せ始めたんですよね。なので、『MikuMiku Akushu』でビビッて...でも『MikuMiku Akushu』は別デバイスが無いと出来ないので、『Mikulus』がダウンロードできるようになってから、エヴァンジェリストのようになってそれを皆に見せ回るようになったみたいなんです。

――実際、DK2向け『Mikulus』はいつごろ発表したんですか?

近藤:わりと早かったですね。先ほど説明したアメリカの出張時にCrystal Coveを特別に入手して、ハンドキャリーで持ってきたんです。それで開発は進めていたので。

こちらはDK2の前のバージョンにあたるOculus Rift HD Prototype
――そういえば、『Mikulus』が実績として、会社のホームページにはあがっていませんが...

近藤:あれは完全に個人プロジェクトなので入れてないんです。逆に、それがご縁となってクリプトン・フューチャー・メディアさんとも繋がりが出来、会社のプロジェクトとして正規にスタートした案件もあります。

――GOROmanさんとして一番の代表作を会社ホームページに出せないのは皮肉ですね。

近藤:『Mikulus』も『Miku Miku Akushu』も個人的な趣味で作ったものですからね。

ーーなるほど。

※(次ページ)デモ開発、そして経営者からFacebook社員への転身

GOROmanネットワークでVR事業のシードを育み、そして、Oculus ジャパンチームへの参画

――『SAO』Oculusのプロジェクトが立ち会ったのもこの時期ですか?

近藤:1月にパルマーにはじめてあった際に『SAO』が好きであるということを聞いて、KADOKAWAの人たちとも同行していたことから早速企画書を書いたんです。バトルシーンと添い寝シーンの2つを提案しました。KADOKAWAグループの方に直接企画を提案して、プロトタイプまでをつくりました。草原のシーンでアスナが横になっているシーンです。そこで、開発費用は持ち出しででも、作りたいと訴えて、2014年7月にロサンゼルスで開催されるAnime Expoでの出展を目指してバトルシーンを作り出したところで、バンダイナムコゲームス側のチームからコンタクトがありました。紆余曲折の結果、バンダイナムコさんとエクシヴィでそれぞれ別のパートを担当することになったのです。今思えば、そのチームとの顔合わせで出会ったのが『鉄拳』シリーズで知られる原田勝弘プロデューサや『サマーレッスン』を手掛けた玉置絢さんでした。弊社はバトルシーンを担当することになりました。GDCの際にプロトタイプを開発してはいたのですが、正式にバトルシーンの開発が決まってからは、社内の『SAO』好き4-5人で一気に開発を進めました。当時、スタッフが20人位だったのでかなりのスタッフをこのプロジェクトに投入したことになります。メイン事業はこの段階でもまだ、受託開発事業でしたから。とにかく、そのような形でAnime Expoで発表されたAnime Expo 2014『ソードアート・オンライン』デモの開発にも関わったんです

――この時点で玉置さんなどと顔合わせするというのも運命ですよね。

近藤:結局、僕が思うに、このプロジェクトの影で進められたのが『サマーレッスン』だったと思うんです。でも普通、『鉄拳』チームがやると聞くと、自然にバトルパートを担当すると思ってしまうものですが、そうじゃないということが意外ですよね。幸いうちのスタッフもゲーム開発会社出身が多いので問題ありませんでしたが。

――その他のスタッフは何をしていたんですか?

近藤:実はこの時期、同時にフランスのJapan Expo出展向けの『ドラえもんのどこでもドア』を同時進行で開発してたんです。ロスのAnime JapanとフランスのJapan Expoがかぶってしまい本当に大変でした。『どこでもドア』は藤原が主に開発していたのですが、結局つくった本人がフランスにいくことなく、代理人を立てていくことになりました。もともとこれは2013年の半ばに長野に本社があるプロノハーツの早稲田治慶さんが東京出張中に、僕のツイッターを見て、日曜日にDK1のデモを見せてくれとお願いしてきたのがきっかけでした。さすがに日曜日にデモを見せてくれという依頼には驚いたんですが、面白い人だからいいかなと思って、休日に会社にいって、デモをするとすごく興奮して、次回は社長を連れてきますっていうことになったのです。そして後日、プロノハーツの藤森匡康社長と飲んでいるときに、「来年、Japan Expoに行きたくない?」っていう話になったので、勢いで「行きましょうよ!「ドラえもん」をやりましょうよ!」といったのがきっかけだったんです。そのときはあくまでも飲みでの話だったのですが、だんだん盛り上がってきて、小学館の関係者に会うことになったんです。

――どうやって、小学館に話をもっていったんですか?

近藤:これはDC Expoのときに、須藤さんに仲介をお願いしました。

――なるほどDCAJさん、顔が広いですよね!

近藤:はい。いろいろなIPとつながるにはそういった団体が必要ですね。そこで、関係者にVRのデモをしたうえで、頭を下げてやらせてもらうことになりました。結局、どこでもドアの設備などはプロノハーツが製作してコンテンツをウチが提供するということをしてました。ただ実はこのプロジェクトも持ち出しだったです。

――えーっ。会社は大丈夫だったんですか?

熱心に当時を述懐する近藤氏
近藤:あくまでも「遊び」だからいいんです(笑)。まあ、受託開発事業で利益があったので。当時。ただ、当時の事業も近い将来ダメになっていくという思いがあったので新規事業を打ち出さないと会社経営がなりゆかなくなると思ってたんです。なので、持ち出しでやるのも新規事業の可能性も意識してやってました。そんなときに元ハドソンの方で、私の活動を自主的にプロモーションしてくれる方がいて、その方の引き合いで、タカラトミーの方に飲み屋で知り合いになったときにVRの話をしたら「やりたい!」と言ってきたんです。この方は早速翌日には当社に来たので、HMDとか見せたら大興奮して『トランスフォーマー』30周年にあわせてやりましょう、ということで、開発が決まったのです。そのイベントが2014年8月9日~17日に横浜パシフィコで開催されたのですが、その出展のためにお仕事をいただいたんです。

――では、受託開発事業とVR関連の事業の両方を今でも続けているわけですね?

近藤:いえ、いまはVR関連の事業だけに絞りました。(藤原氏を指さしながら)彼は、VRやるぞって当社にきたので、納得していたのですが、元からいたスタッフからしたら「え~っ」という感じでしたよ。そりゃそうですよね。すごく儲かっている事業があるのに、社長は会社に来ずに1日中VRばっかりお客さんに見せまくっているわけですから。毎日来る人たちもVRのために来るわけですし。2013年の段階ではもうVRの話しかしてませんでしたね。

――社員の皆さんのリアクションは?

近藤:あ、もうやべえとなっていたでしょうね(笑)VRをやりたいやつは残って喜んでやってましたが、全然VRに興味ないスタッフは離れていきました。ただ、まあ、彼らにとっては幸せだったと思います。やりたくないこと無理にやるのはつらいので。結局、半分ぐらいはやめていきました。

――このような方針に異を唱えたスタッフとかは?

近藤:いないですよね。ここは僕が完全に100%出資の会社なので。

――私も近藤さんのイメージは『Mikulus』をつくったGOROmanさんか、Oculus Japanチームのひと、というイメージでした。

近藤:Anime Expoが終わったあたりで、Oculusのコントラクターとして契約書にサインしてそれから3か月後に正式にFacebookの社員になりました。

――会社経営をしながら社員になったというわけですか?

近藤:エクシヴィからの役員報酬を0円にして、更に定時は自分の会社へは出社しないという項目にサインをして入ったんです。

――会社はどうなっちゃったのですか??

近藤:放置!(一同笑)

――えっ?(藤原氏のほうに振り向く)

当時の模様を述懐する藤原氏
藤原:副社長の古澤(※古澤大輔氏)に任せる形になったんです。

近藤:たぶん、もう来ないから!みたいに言って(笑)。よくわかんないですよね?

藤原:説明もなかったんですよ~

近藤:もともと(会社)に来なかったので。ただ、Facebookの正社員になったらあくまでもサラリーマンで、予算も人事権もその他の権限もつかないということが明らかになったんです。新人1年目みたいな感じでした。

――年商数億円単位の経営者だったのに?

近藤:なにも出来なくなってしまいました。そのとき一緒に入ったのがKADOKAWAにいて、CESなどのときに同行していた池田さんや、体験会の際ご一緒した井口さん(※井口健治氏)でした。とにかく2014年10月にはFacebookのOculus Japanチームの正社員として入ってました。ただエンジニアとして採用されたのでエヴァンジェリストのような活動も出来なくなってしまったんです。レジュメ(履歴書)を書いたときにゲームプログラマー出身であることを強調してしまい、以前の実績を書きすぎてしまったからですかね...ここ10年はずっと経営者だったのですが...なので、本来はエヴァンジェリストがむいていたと思ったのですが、パートナーエンジニアという職種で採用されて、サポートに特化することになってしまったんです。

――社長から技術サポートですか?

近藤:実際、その職種は希望していないという意向は伝えたのですが、なかなか後から変更は難しかったようです...

――では、だれがエヴァンジェリストになったのですか?

近藤:それは米国本社がやることになったんです。グローバルスタンダードなのに、日本で勝手にマーケティングなどをやられても困るということなのかもしれません。ただ、開発者向けセッションとしてUNITE、UNREL FEST、CEDECなどには出ることができました。なので、そこでOculus用コンテンツの開発方法などを解説してました。

藤原:当時、社長の講演に行ったのですが、「あれ?どうしたんだろう?」という感じで。いつものハキハキした説明じゃなくて、用意された台本を間違いなくしゃべるという感じでした…

近藤:ただ、何を言ったらダメなのかというのが分からない状況でしたね。自分の会社の立場なら何を話しても自分で責任を負えるのですが、Oculus Japanチームでの立場だと自分の発言に責任が負えなくなると困ると思ってしまったんです。なので、技術説明ですね。僕がしたのは。

――そのような中で、ジャーナリストの新さんがエヴァンジェリストとなって活躍したり、グリーがTokyo VR Summitを立ち上げたりしていったと...

近藤:そうです。この時期、幸い、ソニー・インタラクティブエンターテインメントがVRビジネスに参戦し、その後、HTCもViveを発表したりでどんどん盛り上がっていったんです。これは嬉しかったですね。Oculusという一社ではなく、ソニーのような大手も参戦するということは、それだけ投資をする企業が増えたということになるので、市場全体の本気度が高まったという意味なので。これは自分が、この新しい技術に突撃していったのが認められたということになるので。最初はこれがビジネスになるかは全くわからないというのが正直なところだったので。

――近藤さんがOculus Japanチームにいた間、会社はどうなってたんですか?

近藤:さすがにプロデュースの最初の部分は関わってますが、開発は全くタッチしてないです。

藤原:ほぼ口出しはしていないですね。

近藤:THETA S VRというアプリは、個人でつくってましたけど。これは、Gear VRから撮影できるTHETAの制御用ソフトですね。あとのプロジェクトはOculus Japanチームに入る前に作った僕の人脈からです。

――『劇場霊360°』というのは

藤原:Gear VR用に開発したものですね。

近藤:映画用プロモーションで作ったコンテンツですね。まだ、Gear VR発売前に開発しました。

――これらはVRのエヴァンジェリスト的な立場で動いていた結果として得られたプロジェクトだったわけですね?

近藤:実際、ビジネスという意味ではこれらのプロジェクトは赤字、またはトントンといったところなのですが、それでも知見も蓄積するし、いいのではという判断からです。それが2014、2015、2016までの活動ですね。

自らの会社に凱旋を果たす近藤氏が見据える未来

――で、いよいよ戻ってきたわけですね。

近藤:そうです。戻ってきて、今年からはちゃんと収益をあげようと思っています。

――最初に作ったのが『Mikulus』のCV1版ですよね?

近藤:それは2016年10月に例によって個人的に開発しました。新さんにCV1向けにアップグレードにしてくださいと言われて。なので、すぐ出したんですよね。そしたらユーザーからいろいろなリクエストが追加されたので、それにも対応しました。当時は単なるエンジニアだったので時間もあったんです(笑)。

――別のメディアでは、VROSをつくるっといった話もしていましたが

近藤:あれは完全に趣味です(笑)。仕事にすると締切を決めて、金を稼がなくちゃいけないじゃないですか。

――納期ってやつですね。

近藤:納期がいやなんで、VROSの開発はライフワークなんです。みんなで話してTwitterでつくっていくという。会社でやろうとすると作りずらいですよ。VROSで10億円くださいって投資家に聞いたとしたら「じゃあ、何年後にそれを100億円にしてくれるの?」っていう話になっちゃうじゃないですか。ベンチャー企業ならマネジメントバイアウトしてキャピタルゲインを得るとかじゃないですか。これはそういったことが出来るモノじゃないですよね。未知のものなので。事業計画が書けないですよね。いろいろ予測が出ていますがデタラメですよ。VRとかでもいろいろ出てますが。

――実際、体感値としてはどうですか?

近藤:正直、以前より冷え込んじゃったというのはあります。あんな高いスペックのパソコン、普通のひとは買わないでしょう。だから、スタンドアローンかスマホにインサイドトラッキングが実装されて且つキラーコンテンツが生まれる必要があると思うんです。マイクロソフトのHoloLensとか、GoogleのTangoが実装されたデバイスとか。ポジトラ(ポジション・トラッキング)が、携帯単体で出来る様になって、ARもVRもハイブリッドみたいになっちゃうみたいな。人々が、それがないと不便だね、というものにならないとダメでしょうね。エンターテインメントだけだとパイがちっちゃいです。ただ今は、ゲーマーの中のゲーマっていう具合でかなり限られたユーザー数なんです。それが悪いかというと悪いことはないのですが。パソコンの歴史とかでも最初は皆ゲーマーが買ってましたし。

――とすると、今の段階はどうするべきなのでしょう?

近藤:いまはもっとクリエイターを増やすべきだと思いますよ。だから、学生さんや大学でVRをやりたい人を増やす必要があるんです。もしこんなデバイスが大学時代にあったとしたらめちゃくちゃワクワクしてただろうなって思います。やっぱり身近で触れるというのはでかいです。だから若い人に環境を与えたいです。おっさんが作ろうとしても無理なんです。発想に限界があるから。むしろ脳が常識に縛られない中学生や高校生がHoloLensを触ったとしたらそれが彼らにとってのクリエイティブの座標系の原点になりますよね。僕らはどうしてもHoloLensをテクノロジーの頂点として見てしまいます。8ビット時代からやってるから。8ビット時代の技術が座標系の原点なんです。だからどうしてもすごいモノという目で見てしまう。「HoloLensってSFじゃん、ドラえもんの世界だよね、電脳コイルじゃん」的な。でも子供たちにとってはそれが原点になるからそこを起点としてスケーラブルに発想しますよね。そうするとすげえもんが出てくるのではと。

――いまのクリエイターは創造出来ない?

近藤:出来ないですね。例えばSF作家って近未来とかについて出来もしないことを書くわけですよ。その当時の科学者が不可能と言っていたことを。でも10年もすると本当に出来る様になったりするんです。今のスマホとかドラえもんの道具ですよね。解像度も高くて、タッチパネルで...とか。スゴ過ぎですよ。完全にドラえもんとか21エモンとかに出てくる世界じゃないですか。ここにあるデバイスって。ただ、僕の小学生の娘がこれを触ったとしたら、自然に使うと思うんです。2歳の子供も、自然にiPhoneのロックを解除してYoutubeを見たりするわけですし。彼らにとってはそれが当たり前なんです。僕らからみたらなんでそんなことが出来るか不思議に思うんです。なんの躊躇なく出来てしまっているわけなので。操作もめちゃくちゃ速いです(笑)。これがインターネットネイティブ世代っていうことですよね。こういう人たちが未来をつくっていくんです。

VR伝道師GOROmanが思い描く10年後の世界

――GOROmanさんとして、HoloLensをさわってみてどう感じたのですか?

近藤:そうですね。『Mikulus』と同じですが、フレームに囚われることがなくなることがうれしいですね。モニターの中の限界というのがあって、クリエイティビティを阻害しだしたなと。Altタブとかスクロールとか、画面という狭い中でのUIに苦労させられているんだけど、誰もこれを不便だと思っていないっていう状態なんだけど、これって本当は不便なんだよっていう。HoloLensとか、『Mikulus』とかは空間上で仕事が出来たりクリエイティブな活動が出来るというのは、人類を更に一歩先に進めることが出来ると思うんですね。そこをやりたいなっと思っています。

――いまは平面を前提としたUIということですね。

近藤:デスクトップという言葉が示すとおり、「紙のパラダイム」ですよね。もうそれはやらなくていいんじゃないの?っていう。「コピー&ペースト」ってまさに紙の扱い方法じゃないですか。「糊で貼る」っていう概念でしょ。紙時代の作業をコンピュータに落とし込んだのがワードプロセッサーだとかだし。

――全部、紙でやれることをしているという

近藤:紙のパラダイムの作法をコンピュータ上に持ってきたという。それにいまだ囚われているんです。VRとなればもう重力も無視出来るから、空間に情報をおけばいいし、海に関する何かについてクリエイティブなことをしたければ、作業する空間に海を再現すれば新たなインスピレーションを得られるでしょう。こういったことはいままでは出来なったことです。宇宙の曲を考えるとか言って、頭の中でイメージしたり、宇宙に関する本を買って読むんだけど、宇宙空間に入りながら作曲したらより作業に没頭できると思うんです。

――百科事典とかも

近藤:すべていらなくなりますよ。Wikipediaとかも空間に並べるわけですよ。『マイノリティ・リポート』ですよ!例えば「源平時代の資料出して」って言ったら、その資料が空間にバーッと広がるわけです。それを見ながら作業をする、とかです。物書きとか圧倒的に変わると思いますね。文字入力はまあ、おいておくとして。資料を見ながらなにかするというのはものすごく効率が上がると思います。その場に置いておけるわけですから。

――これらを実現するうえで必要になるソフトはどんなものでしょう?

近藤:既存のソフトでというと組み合わせになりますけど、まずは『Toy Box』のようなものあって、これは共同作業とかに向いてますよね。あと資料をVR空間に置くという意味では『Big Screen』がいいと思います。あ、どれもゲームじゃないですね(笑)

――たしかにそうですね。

近藤:コンピュータもそうなんですが。もともとはゲームをやりたくて買ったりするんですが、ゲームは飽きるんですよ。いずれ。で飽きた後何をするかというとソフトを改造したり、自分でゲームを作り出したりするんです。なんかつくっているんですね。結局。作っている限り人は飽きないんです。『Minecraft』はその典型ですよね。つまり、クリエイティブなモノって飽きないなって。しかも今の時代だとシェアもできるし。『Google Tilt Brush』もそうですけど。あとコラボできると嬉しいですよね。『Google Tilt Brush』はひとりでやるものですけど、あそこにディレクターが入ったり、作曲家が入ったりするとすごいですよ。あとは、京都と東京っていう別空間で同じ時間に入って、一人は曲を担当して一人は絵を描くみたいなセッションをしたりするとか。そのうちこれらが非同期でも出来る様になるといいですよね。作業工程を倍速再生しながらそこになにかを追加するとか。そうすると、これまでのコンピューティング・パラダイムとは違ったパラダイムが生まれますよね。

―――では、経営者としての近藤さんがいまやっていることは?

近藤:これまでのVR関連のプロジェクトは全部受託した案件なんです。受託って結局限界があるんです。下請けなので。パブリッシャーさんの依頼で受託してやるのでヒットしてもお金を得にくい構造なんです。いまのようにマーケットが無い場合は受託のほうがお金をもらえます。だから開発費分はペイできるのでリスクはないですよね。これが自分で、開発費用持ち出しでヒットを狙うとなるとギャンブルになっちゃうじゃないですか。そのギャンブルをやるほど正直いまはマーケットが存在していません。例えばいまOculus向けに有料ソフトを出しても厳しいです。あれだけたくさんの面白いソフトが無料であるのに有料ソフト買う人が出てくるわけじゃないじゃないですか。そうなるとビジネスとしてはまずペイできないですよね。

――ただ、『Job Simulator』など億単位の収益をあげるスタジオも出てきました。

近藤:でもそれ以上のプロモーション費用をつかってそうですよね。2、3年やってますからね。彼らはけっこう売上を出したとはいいますが、ほとんどバンドルなんです。結局、Valveのプロモーションに入りこめたのが大きいんですよ。しばらくHTC Viveを購入したらバンドルされてましたから。もし、このバンドルが無かったら彼らがあそこまで売上を上げあれたかというと分からないですよね。それでさらにマルチプラットフォームでやっても3億円だったわけで。

――このような厳しい見解がGOROmanさんから出たらみんな驚いちゃんのでは?

藤原:それはないと思いますよ。

近藤:これが現実ですから。

――ただ、PS VRはいまでも予約が瞬殺で完売されてますよね。全世界レベルで。

近藤:あれはマーケティング先行で足並みをそろえて需要と供給をあわせているっていう気がしますね。部品が不足しているという可能性もありますが。有機ELが特に。ドットがひとつ欠けてもダメですから。ノートPCでのドット欠けはまだ許容範囲ですが、VRの場合、虫眼鏡で拡大されたような状態になっているのでドット1つでも欠けると本当にストレスなんです。パネルの歩留まり問題ですよね。有機ELはもともとソニーのお家芸だったのですが…

――では、近藤社長としてはどうしたいんですか?

近藤:なのでコンテンツは限界があるのでキャラクタープラットフォームをつくっていこうかなと。そういうのがウチは得意なので。みんながクリエイティブを共有できる何かを出したいですね。『Mikulus』ではないですが、いろんなIPをみんなで持ち寄って、更にライブが出来るみたいな、しかもクリエイティブな要素を入れられるVR空間のデザインですね。『ミクつく』というのを 、2月に札幌で開催したSNOW MIKU 2017で初披露したんです。

さっそく『ミクつく』をプレイ。ライブ空間を箱庭感覚で自由にデザイン!
――ではデバイス的にこれから一番可能性があると感じているのはどれでしょうか?

近藤:僕がいま、HoloLensを推しているのは日常利用できると思ったからです。VRのHMDって結局毎日かぶらないじゃないですか。つまり家電化しずらい。スマホやパソコンがここまで普及したのは仕事でつかえたり、無いと不便になっているからです。 便利の中毒者ですよ(笑)。 スマホをなくして1週間使えないと不安になりますよね?

――確かに。

近藤:つまり、便利を知ると、人はもう不便には戻れない。ドーパミンが出てくるので、不便になるとストレスが生まれるんです。(スマホを指さしながら)昔はこれが無いのが当たり前だったんです。Google Mapも無いから、地図を見たり、事前に本で調べたりしているわけだけど、今や手のひらに全部の情報があって、それがある前提でみんな行動しちゃうんです。で、いまさら前に戻れないんです。つまり、VRも同じように、いまはエンターテインメント要素で使われているけど、その内、無いと困るものになると、売れるし、毎日使ってもらえるものになるんです。

――気になるキーワードなどは?

近藤:やはり人とつながるっていうことですね。PlayStation 4になってShareボタンがついたんですよね。自分がやっているゲームをみなで共有したり、スクリーンショットをシェアしたり...つまりゲームはひとりで遊ぶものじゃなくなっているんです。ただ、VRはまだひとりで遊ぶものになっているんですよね。これがみんなでシェアできるものになればいいなと思っています。HoloLensもそうですが、見ている人が置いていかれる感があるんです。それがなくなればすごくいいですよね。みんなが持っているという前提になれば。スマホだったらLINEと同じですよね。みんながLINEに入っているから、自分も入らないと疎外されちゃうという意識。疎外されたくないから買うという。

――みんなで遊ぶ空間がいつ生まれるか..

近藤:遊びに限らず、例えば勉強だったり、VR空間の中で授業をしたり、産業界では金型をチェックするとか...みんながVRをつかってその中で共同作業が出来るようになったら一気にキラー化するんだろうなと思います。

日本の土壌があればVRで世界に勝てる!

――ここまで エヴァンジェリストと して築き上げたネットワークを活かして何をしたいですか?

近藤:やっぱり、日本ってヘンな人が多いんですよ(一同笑)。

――(笑)

近藤:ユニーク。あとAR/VRが認知されやすい土壌がありますよね 。『攻殻機動隊』や『電脳コイル』が人気になったり。『SAO』でもオーグマーっていうARデバイスが紹介されたりしてますし。なので、認知されやすいですよね。こんな感じで受け入れてくれる土壌があることがデカくて、得体が知れないモノにはなりにくいんです。「アニメでやってたやつだよね」、「『SAO』にあったよね」という形で比喩が出来ることが重要なんです。アニメ見たことがない人たちに『SAO』みたいなデバイスだよと言っても「なにそれ?」っていう状態になりますよね。なので、これだけコミュニティをつくってきたので今度は日本から海外へ発信していきたいと思っています。この一環として3月末にSVVR(シリコンバレーVR)というイベントが海外があるんですよ。サンノゼ で開催されるのですが、そこで僕も登壇することになりました。日本組のコンテンツを集めてデモをしたいと思ってます。IPもいっぱいあるし、発想も面白いので。

――では、ズバリ、日本はVRで世界に勝てると思いますか?

近藤:勝てると思いますね!アニメひとつをとってもAR的だったり、MR的だったりするので。ずいぶん昔のアニメ『機動戦艦ナデシコ』にしてもすげえARっぽいですし。機動戦士ガンダムとかの操縦席も全天球コントローラになっていますし。土壌があるんです。その頃はあくまでアニメの中の世界でもふたを開けてみると実は具現化しているという。具現化した後はその先にもむかえるわけですから。

――ありがとうございました!
編集部おすすめ