※取材場所提供:株式会社インフィニットループ 仙台支社

インターネットの発達により大都市圏と地方との「情報格差」がすっかり無くなった昨今。しかしゲーム業界への就職希望者の多くは、なおも“求人数”“市場規模”といった面で「地域格差」の壁にぶつかっています。


もちろん、一部にはその状況を打開しようと取り組んでいる自治体も存在しており、例えば福岡県のGFF(*)。同団体が3月に主催した福岡ゲームコンテスト「GFF AWARD 2018」は、過去最高の作品エントリー数を記録しました。
(*)九州を拠点とするゲームソフト制作会社による団体「GAME FACTORY'S FRIENDSHIP』の略称。九州・福岡をゲーム産業、 デジタルコンテンツ産業の世界的開発拠点とすることを目的に活動する

そんななか今回、編集部が注目したのが“仙台市”。同市はこれまでも産官学主体のITコンソーシアム「GLOBAL Lab SENDAI(以下、GLS)」によって、独自にゲーム市場の発展に力を注いできた100万都市ではありますが、ちょうど今かつてない転換期を迎えているというのです。

一体何が起きているのか……。その詳しい内情を聞くべく、仙台に拠点を置くゲーム関連会社より5人の代表者をお招きし“仙台ゲーム事情座談会”を実施しました。本稿ではその様子をご紹介します!

◆参加者

株式会社ピコラ 代表取締役
金子篤氏(以下、金子)

株式会社インフィニットループ 仙台支社長
澤田周氏(以下、澤田)

合同会社OCTO CEO
小山正祐氏(以下、小山)

株式会社NIXE 代表取締役
土井康裕氏(以下、土井)

株式会社KITERETSU UI/UXデザイナー
柴田広大氏(以下、柴田)

――本日はよろしくお願いします。まずは今回の座談会にご参加いただいた皆さんの自己紹介を含め、仙台に会社を興した、または支社を設けたきっかけなどを語っていただけますでしょうか。

金子:株式会社ピコラの金子です。それではまず弊社のご紹介から。ピコラは受託開発を主としたゲームの制作会社で、自社での開発・配信も行っています。
代表作は100万DL突破を記録したスマホゲーム『ねこのけ』。それと『Limp Heroes』というスマホゲームを配信しています。会社を興したのは東日本大震災がきっかけの1つで、震災後に地元の学生と話をする機会があったんですね。ゲーム会社に就職したいが、地元に残らねばという使命感、両親からの希望の板挟みになっている姿を見て、「もっと地元に若者が就職できる場があればなぁ」と思っていました。以前は株式会社パオン(*)で開発者として働いていたのですが、そういう気持ちを沸々と抱えているうちに仲間が増えて起業できるようになり、地元で面白いゲームを発信できる場所を作りたいと行動を起こしました。
(*)東京都中央区に本社を置くゲーム会社「株式会社パオン・ディーピー」設立当初の社名。仙台市に開発部があった。

澤田:株式会社インフィニットループ・仙台支社の澤田と申します。インフィニットループは皆さんと違って札幌に本社があり、こちらは支社です。弊社の得意分野はストラテジーゲームのサーバサイドといったところでしょうか。元々インフィニットループはWeb屋で、Web技術を活かして『ブラウザ三国志』というブラウザゲームの開発に携わったのをきっかけに、ゲームにシフトして現在に至っています。規模としては札幌190人、仙台30人ぐらいで、それなりに地方で頑張ってやっている方なのかなと。
僕は札幌生まれ札幌育ちと、仙台に縁も所縁もありません。大学生の時に起業して15年ぐらいやっていましたが、その際に弊社代表の松井と同業の繋がりのようなものができ、ある時、僕の会社の方で仕事がなくなって、何かありませんか?と聞いたら「仙台にある」と言われ、それは面白そう!とはるばるやって来たというノリです(笑)。そもそも弊社は、社長の松井が就職氷河期世代ということもあり、優秀な人材から東京に出ていく状況を見ているだけではなく改善したい……というような経緯があってできた会社なので、転勤はないですし、地元で働くことにこだわりを持っています。

小山:合同会社オクトの小山です。出身は宮城県の塩釜市で、高校を卒業後、上京して専門学校で3DCGを勉強し、そのまま東京のゲーム会社に就職しまして、車のCG作ったり、背景CG作ったり、企画に転向したり、フリーランスになってみたりとフラフラしていました(笑)。その後、前職のメンバーと新会社立ち上げを始めた矢先に3.11の震災があり、これはいかんとその1週間後に宮城へ戻り、そこから9ヶ月ほど被災地でのボランティア活動をしていました。それからもう一度業界の仕事をフリーランスとして受け始め、東京と仙台を行ったり来たりする生活をスタートしたのですが、最初はお金も住む家もないので、取引先の会社の会議室にダンボールと布団を敷いて寝泊まりっていう生活をしていましたね(笑)。月~金曜日は東京、週末に仙台へ帰るという生活を続けながら、オクトを設立したのはそこから3年後。最初はオフィスもなく、自分一人の会社だったので行ったり来たり生活を継続していましたが、やっと最近になって従業員も増えてきて、生活・仕事の基盤を仙台に持ってこられているという状態です。

土井:株式会社NIXEの土井です。NIXEは今年で6期目を迎えるゲーム制作会社です。最初はWebのシステム会社だったんですが、設立後すぐにゲームへと切り替え、今はソーシャルゲームの運用開発が9割といったところ。
サービス名の公表はできないのですが、基本的にはブラウザのソーシャルゲームがメインで、3Dや2Dアニメーション制作もやっています。私の経歴は皆さんと変わっていて、元々はトラックの運転手だったんです。ある時ゲームの仕事をやりたいなと思い立ちまして、独学でプログラムを覚え、実戦を積んでから会社を興しました。トラックの運転手になる前は営業職も経験しましたが、それを考慮しても全くの異業種からこの業界に来たという形になります。

柴田:株式会社KITERETSUの仙台支社の取りまとめている柴田と申します。仕事としてはアートディレクションだったり、実際の制作からゲーム内のアートアセット関連のクオリティ管理であったりとか、マネジメントを中心に行っております。弊社の代表作はアプリで言うと『ZOO KEEPER』ですね。ガラケーからずっとやっているサービスです。私メインではスマホゲーム『ANGRY BIRDS FIGHT!』のUI/UXを、人気アニメーション「紙兎ロペ」のパズルゲーム『紙兎ロペパズル』のUIデザインなどをやらせてもらいました。主にアプリのパズルゲーム関連に携わっていますね。

◆これまで仙台にはゲーム会社がほとんど存在しなかった
――現在の仙台のゲーム会社は、お話しいただいた5社が主立ったところになると思うのですが、以前まではどうだったのでしょう?

澤田:どうだったんですかね?昔のことは金子さんしかわからないから。

金子:ゲーム開発会社と呼べるのは、ちょっと前まではほとんどなかったですね。
小さいところはあるんですけど。コンシューマー系の開発をしていたのはピー・ソフトハウスさんとウチ(パオン)と、2社ぐらいしかなかったかな。

小山:あとはデータイースト(*)さんとか?
(*)かつて東京都杉並区に存在したゲーム制作会社。一風変わった世界観のタイトルを数多く生み出し、一部で「デコゲー」と呼ばれる同社のゲームは現在も愛好家が多い

金子:データイーストもパオンも同じ系図なので(笑)。その2社はスタッフもそのまま移動しているし同じ一本のライン。ピー・ソフトハウスさんとは当時直接関わりはなかったのですが、地元企業としてやっていたので凄いなーと思っていました。

――この中では唯一、金子さんが仙台でバリバリ活動し続けられていたんですね。

澤田:ざっくり言うとそうですよ。

小山:始祖ですよね。始祖(笑)。

金子:でも自分は山形県出身という(笑)。元々私はデータイーストに勤めていたんですが、上司に「仙台に開発室を作るから、お前山形出身だろ?行かないか?」と言われまして。
せっかく東京に出たのに3年で戻ってきちゃったんですよ(笑)。「立ち上げが面白そうだったので」という理由で仙台に来たのは、澤田さんと同じですね。

柴田:それって何年前ぐらいになるんですか?

金子:当時20代前半ぐらいだったので、約30年前くらいですね。

澤田:でも会社入って3年目の20代の子に「地方戻って後進を育てろ!」って結構な無茶振りですよね。

小山:でもその時代ってそうですよね。やる気のある人間には年齢関係なくどんどん仕事を振って。今の偉い人たちはみんなそこで頑張った人。

金子:私も何でも「やります!やります!」って。とにかくバリバリやっていましたね。

――バラバラだった5人が、このような形で団結するようになった経緯は?

金子:一つは仙台市が取り組んでいる「GLS」ですかね。「GLS」は設立当初からDA・TE・APPS!というゲームコンテストを主催していて、私はパオン時代からそれに薄く関わっていたんです。それから“もっと若手の育成に力を入れよう”と、市内の専門学校に通う学生を集めて、企業が教えるリアルな授業をコンセプトに「GLS for Education」というプログラムができ、ピコラで担当させていただいたのですが、2年目に仙台市から「もっと多くの学生に募ってくれないか」と言われまして。
となると弊社だけでは対応しきれない、協力会社を探さなきゃとインフィニットループさんにお声がけしたら「いいですよ!」と快諾していただきまして――。

澤田:実際はもっと色々ありましたけども(笑)。企業のメンターとして学生に教えるうちに様々な問題が発生し、相談しながら解決していくコミュニケーションを重ねることで、今のような関係が構築されていきました。それと柴田さんラインのルーツもあるので、そちらも話してもらった方がいいかなと。

――なるほど。そのもう一つのルーツとは?

柴田:KITERETSUの前に、6~7年ぐらいK sound designという仙台のモバイルコンテンツ会社に勤めていたんです。着うたや着メロの類を、携帯電話のコンテンツがそれしかない頃に事業としていた大きな会社だったんですけど、私も最初は、そこでFlashやアニメーション、あとは待受画像などを作っていました。そのうちモバイルでやれることが増えていき、その流れでゲーム制作にも関わるようになっていったんです。後にK sound designは解散してしまうのですが、『モバイルウォーズ』というサービスが、DeNAさんがモバゲーを立ち上げる時の先行パートナーに選ばれた繋がりで、会社にいたメンバーはモバイル系の会社へと分散していきました。KLabさんが仙台支社を設ける際、その初期メンバーのほとんどがK sound design出身で構成されていたりします。そんなわけで私自身はそもそもガラケー全盛期のコンテンツ出身なのですが、最近はコンシューマーゲームとモバイルゲームの垣根が低くなっていることもあり、金子さんたちと繋がりができていったという形です。

――すごく懐かしいです『モバイルウォーズ』。つまり、元々異業種で活躍されていた柴田さんは、携帯電話の発展とともにゲーム業界に関わるようになったのですね。そして金子さんのコンシューマー側、柴田さんのモバイル側2つの業界が重なっていったと。

小山:僕もそちら側から合流した感じですね。KLabの仙台支社ができた後のタイミングで、そこのメンバーと合流しまして。ただ、自分はコンシューマー出身なのでモバイル側のリズムが合わなかったんですよ。そのため東京と仙台を行ったり来たりを続けていたんですが……。そんななか仙台にGLSができて、「なに勝手にゲームの話してんの?」ってケンカを売ったんです(笑)。

澤田:小山さんはGLSにコミットしてないよね(笑)。GLSと関係が深いのは僕、金子さん、柴田さんかな。言ってしまうと金子さんの人望なんですよね。こうやってこの5人が集まるまでに至ったのは。

小山:バラバラだった系統が1つになりつつあるのが今と言ったところかな。しかも、土井さんはそれらとも別の繋がりですよね。

土井:私はゲーム関係者と一緒にビジネスする機会がほとんどなかったですからね。ここ1~2年くらいでお付き合いを始めさせていただいて、ようやく仙台のゲーム業界に入っていけるのかな?というタイミングですね。

澤田:さらに言うと業界が存在するのかすら微妙なところなので、これから自分達で作っていくって感じです。弊社は仙台に進出してちょうど2年が経ったところなんですけど、昨年までは今の1/4ぐらいの狭いオフィスで稼働していまして、金子さんも独立されたのが2年ぐらい前と、ちょっと前まではみんなと何かをしている場合じゃなかった。

金子:自分のところだけで必死でしたね。

柴田:それとお互い存在を知らなかったですよね。横の繋がりも何も無かったので、特に私は仙台には我々しかゲーム会社が存在しないのかな?とすら思っていました。

澤田:それがようやく規模が整ってきたから、“ステージを1つ上げるにはもっとでかいことしなきゃいけないよね”というので、みんなで話をするようになってきたタイミングが今なんです。

◆仙台のゲーム業界を率いていく新団体を設立。その名前とは……?
――この5人(5社)主導での新しい取り組みなどは考えていますか?

金子:近々で言えば、みんなで花見(*)をやろうかっていう(笑)。
(*)取材日は3月27日(仙台は3月30日の桜開花が予想されていた)

澤田:ちょうど昨日ね(笑)。会社単位で人を集めて、大勢で花見に行くのも面白いですねって話になりまして。

小山:そもそも花見をする理由があるでしょ。そこを言わないと。

金子:あれ?なんだっけ、覚えてないぞ……というのは冗談で、これから“本格的に手を組んで仙台を盛り上げていかないとダメだよね”と、我々で新しい団体を作ったんです。せっかくの機会なのでこの場を借りてその団体名を発表させてもらいます。その名も……。

金子:「仙台ゲームコート(SGC)」です!

全員:(拍手)

――おお!何か歴史的な瞬間に立ち会っている気がします。ということは、この5人が「仙台ゲームコート」創設メンバーになるわけですね。

土井:私……大丈夫ですか?

金子:大丈夫です(笑)。あとは賛同していただける企業さんがいればメンバーが増えていくかも……というところですね。

澤田:細かい部分はこれから詰めていかなければいけません。体制や広報などは考えないといけないですね。

――色々とお聞きしたいのですが、まず“ゲームコート”にはどういう意味が込められているのでしょうか?

小山:大型商業施設の中などに“フードコート”ってありますよね。みんなが“食べる”という一つの目的のために来ていて、中華だったり和食だったり色々なものを食べられる場所です。僕は以前から仙台の状況を見ていて、「仙台のゲーム市場は小さいので、各社が単独で売り出すのは難しい」ならば、「各社それぞれの特徴・強みを持ち寄って、お客さんが来た時にまとめて提供できる場を作ればいい」と考えていたんです。それで今回改めて提案してみたら「それいいね!」となりまして。コートの部分はそんな感じで決まったのですが、実はフードの部分はゲームのほかにプレイもいいよね、方言入れてみるのもいいよねって白熱した議論があって……。

柴田:シンプルに「ゲームコートでいいんじゃない?」って。

小山:……ちょっと疲れちゃった(笑)。要するに小さい専門店が集まり、得意分野を出し合って大型店舗に勝負するようなイメージを込めています。

――次にイベントでも開発関係でも構いません。今後具体的にどういった活動をしていく予定ですか?

小山:基本的には“横のつながりをちゃんと作りましょう”というところから始まっているので、すぐ外向けのイベントをやろうとは考えていないですね。まず「ここでゲームを作っているよ!」と、自分達の立っている場所を定義することが重要なので。もちろん、GLSとの関わりなどは今後もありますけど、何かわかりやすく活動することをメインにはしていません。

金子: GLSは産業振興の取り組みなので、将来的になくなってしまう可能性があるんですよ。そうなってしまったときに私たちが引き継ぎたいですね。DA・TE・APPS!は東北唯一のゲームコンテストで、旗印として素晴らしい取り組みですし。

澤田:少なくとも僕の考えでは、ただ同業で仲良くするだけではなくて、もっと突っ込んだところまでやりたいんですよ。各社特徴があって、その特徴をお互いがお互いを利用する形で引き出していく、そしてトータルの力を以てして、仙台でしかできないものがあるよねと示すのが最終的な目標です。

金子:ビジネスで成功したいっていうのが、まずはありますよね。

澤田:“仙台を盛り上げる”っていうのも、表現としてそこまで合致するかな?と懐疑的に思っていまして。パフォーマンスをお互いにどう出して成長していくか……っていう関係が正しいですね。

小山:仲良しクラブをしたいわけじゃないですし(笑)。

――例えば同じ地方都市だと、福岡ではレベルファイブ、サイバーコネクトツー、ガンバリオンなどが中心となってGFFという団体を運営しています。そちらは「福岡をゲームのハリウッドに」との理念を掲げていますが、話を聞いていると目指す場所はそれとは別のように感じます。

澤田:そうですね。同じようなことをしようとは思ってないです。後を追っても仕方がないですし。

金子:というより、それはステージが違いますので。

小山:福岡の会社さんは自社ブランドができあがっていて、それをどこまで高めていけるかというレベルまで達しちゃっていますから。

金子:ただ福岡も、最初は小さい会社の集まりが“お互い協力してやろう”というところからスタートしたと伺いました。そしてそれぞれが努力して大きい会社になったわけで、そういう意味でステージが全く違うんですよね。

――いずれそのステージに上り詰めたいという気持ちは?

澤田:それは当然あります。

金子:何十年か後にはめちゃくちゃ仲悪くなっていたりして。

全員:(笑)

次のページでは“地方で働く理由”をトーク!

◆仙台で働く理由は“こっちでやりたいから”。ただそれだけ

――まずは「仙台ゲームコート」を中心に“仙台でゲーム会社が活躍できる基盤づくり”をしていくことが大事なんですね。ではテーマを少し変えさせていただきます。いまだゲーム業界は東京や大阪など、大都市一極集中な側面が根強くありますが、仙台を拠点に活動する方々から見て、その現状をどう捉えていますか?

小山:うーん……、それは人によって立場が違うからはっきりと良し悪しを決められませんね。ただ、常に意味を持って行動している人間ならば、仕事をするうえで場所は問題にはならないと思います。僕は東京での生活を経験しているし、そこで独り立ちもできたから仙台の良さだけ見えてハッピーに仕事できるけど、東京を知らない人からしてみたら違うイメージがあるかもしれない。結局は人それぞれ、会社それぞれなのかなと思います。

澤田:仙台だから、札幌だからっていう理由で仕事取れないなんてことは無いと思うんですけどね。むしろ僕は東京に出ることがリスキーだと感じていたくらいで。無駄なリスクだなぁと。

小山:でもぶっちゃけ東京の方が楽ですよ(笑)。少なくとも仙台よりはイージーモードだと個人的には思います。あっちの方がチャンスが多いっていうのは事実ですからね。売れるチャンス、色々な人と出会えるチャンス、何しろ会社の数が違う。それでも僕がこっちで働く理由は“仙台でやりたいから”ってだけ。そこに何かメリットを見出すのであれば、ただ単に自己満足というか、自分がここで生活したいからしか無いので、本当に人それぞれかなぁと。

土井:弊社では、スタッフが「どうしても仙台でゲームを作りたい」と話していますね。私は4年ぐらい半分東京、半分仙台の生活を送っているのですが、やっぱりスタッフは不安だと思うんですよ。どのタイミングで仕事ができなくなるかって。しばらく自分が東京に出て案件は取って来るというのは止められそうにないですね。

金子:ウチもスタッフが東京に出られないというのはありますね。結婚して子どもがいて家も買って……と。辞めたら違う職種に就くしかないみたいな。実力があるのにそれはもったいないなぁと思います。

柴田:変なんですよね。私は仙台から1度も出たことがないんですけど。例えばゲームをプレイするのに場所って関係ないじゃないですか。どこかに旅するならば場所は紐づくんですけど、ゲームは場所によってクオリティが変わるわけではない。昔であれば、情報伝達手段が限られていたなどの理由で大都市に集中せざるを得なかったとは思うんですけど、現代でその場所に行かないと仕事ができないケースはほとんど無くなりましたよね。なので場所によってできるできないが変わってしまうっていうのはすごく歪だと思うんですよ。私はどっちかというとポリシーを持って出ないっていう人間なんですけど。

小山:そういえば柴田さんが東京に来てくれないから、仙台に事務所作るって会社がなったんでしょ?

柴田:会社自体が場所にこだわっている様子ではなかったですし、「こっちで仕事をしていいんだったら契約します」って形でやらせてもらっています。私に限らず、他人には無いスキルを持っているという自信さえあれば誰もが交渉できると思うんですよ。

――そこまで自信を持っている人は非常にレアだとは思いますけども(笑)。では、そのもっと手前に戻って「地元で働きたい!」と心に思っていても実行できないと言いますか……。そもそもとして、なかなか行動に移せない学生へのアドバイスなどはありますか?

澤田:学生のうちは負けがない勝負ができるので、色々挑戦した方がいいと思います。挑戦しないのが一番のリスクだと早く気付いてほしいですね。学生のうちに色々やってみて失敗し、結果普通に就職活動をすることになっても、それ自体が就活に使えるこの上ないエピソードになるので、そういう意味で学生のトライは成功しかありません。なので、それをやらない理由は無い。

金子:そこに気づけずに、失敗は失敗だと思っていますよね。経験を得られることの大きさを、是非わかってほしいですけどね。

土井:あとは仙台と東京って新幹線でたった1時間半の距離なんですが、その“たった”という感覚を学生さんが持つのってすごく難しいと思うんですよね。東京に出る=出たらそれっきりっていう感覚は間違っていると知ってもらいたいかな。

小山:時間をこれだけ自由に使えるっていうのは学生のうちですからね。一日お金の心配もしなくていいし。それがいかに贅沢だったか誰かに教えてほしかったなぁ。

澤田:っていうのも社会に出て何かをやらないとわからないんですけどね。おっさんの説教みたいになるからやめましょうか(笑)。

金子:やるやらないで言えば、VRのセミナーでOculusを使って3Dの絵を描くツール「Mediumn」にハマった学生がいて、セミナーが終わった後も弊社に来てはずっとやっているんですよ。チャットで「何時に空いてますか?」と聞かれて「空いてるよー!」と答えると会議室に来て……。現在はSketchfabというWebサイトに掲載することをゴールにしています。学生がやる気さえ見せてくれれば、大人はどんどん協力しちゃうんですよね。そうすると、それはもう就活するうえで大きなアドバンテージになります。

澤田:逆に言うと企業側ができるのは、何かきっかけをもとに手助けするだけですよね。なので、その機会さえあれば積極的にサポートしたいなと思っています。仙台で世話になったと感じてくれれば、その後東京に出たとしても、仙台で何かしたいと会社を作ってくれる人が出てくるんですよ。小山さんみたいに。

小山:僕はこっちでいい思いした記憶が無いんだけどなぁ(笑)。

――それは素晴らしい循環ですね(笑)。そもそも仙台の人材事情はいかがでしょうか?

澤田:新卒を育てるつもりだったら全く問題ないです。ただし、中途を採用するのは簡単ではないです。

金子:やっぱり会社が少ないですからね。ただ宮城県はゲームの専門学校が4~5校ありますし、学都と呼ばれているほど大学の数も多いです。人材に関しては色々聞かれますが、不安はないと思っています。

小山:そうですね、若い人材に関しての不安はありません。それと先ほど土井さんが言っていましたが、東京と仙台はいつでも気軽に帰ってこられる距離ですし、人材流出が起きているという感覚も無いですね。出ていく人はそもそも出ていきますから。僕自身も昔出ていった人間なんですけど(笑)。

柴田:流出とは言いますが、みんな自信が無いだけだと思うんですよ。東京に行ってみないと自分の実力が見極められない。その都市がその産業に強いって言い切れるのならば話が変わってくるので、仙台もゲーム産業に自信が持てたら、おそらく出ていく人は少なくなっていくのかなと。

金子:いずれにしろ若者が入りたいと思える会社が仙台に出てこないと、我々の誰かがそういう会社にならないといけませんよね。

小山:仙台に限らず、地元でやっていける自信が無いから東京に出て行っちゃっているけど、心の底では地元に帰って働きたいと考えている人は多いはずなんですよ。だから、そういう人が帰ってこられる体制をこちら側がどれだけ用意できるかですよね。

◆「地方創生」は“目的”ではなく“結果”。まずは自分たちの魅力を上げる
――「仙台ゲームコート」はそんな“帰ってこられる体制”の一つになり得るのでしょうか?

澤田:基本的には自分たちの為の取り組みとはいえ、ビジネスの上でそういう側面は外せません。

小山:なんだかんだ言ってきましたが、一度東京の生活に染まってしまうと帰ってくるのって結構しんどいんですよ。東京と同じような質の仕事、生活が続けられるはずがないですしね。ただ、多少なりともこういう面白いものを用意していれば、帰る理由の1つになりえると思うんです。

澤田:その分、僕らが楽しそうにしなきゃダメですけど。「あのおっさんたち面白そうなことやっているし、戻ってみようかな」とは思ってもらいたいですね。でもさっきから戻る戻ると、そういう話ばかりしていますけど、地元で生まれてそのまま地元で就職するというパターンも、もちろん大歓迎です。とにかくまず大事なのは、僕らが魅力的な会社にならないといけない。そのために雇用や社会貢献は外せないと思うので、必然的にその体制と繋がっていきます。

――そして、「地方創生」を目指していくんですね?

小山:うーん、地方創生と言葉にしてしまうのは好きじゃないですね。変に型ができちゃうので。例えば震災時もそうだったんですが、半ば観光目的でやってきた人、一生懸命に復興を手伝っている人、あちらとこちらでは全然違うことをしているのに同じボランティアってひとまとめにされて……っていうのを見てきたので、言葉で括ってしまうのは良くないなと。カチっとハマるのが必ずしも自分が生まれた場所では無いだろうし。我々は強制したいんじゃなくて、それぞれがいいなって思ったところで働いてほしいんです。

澤田:自分達が特殊なことをやっているっていう感覚は全くありません。本気で活動している人がその地域に2~3人いれば必然的にこういう動きをせざるを得なくなる。絶対にこうなります。そもそも我々の力で地方創生しようなんておこがましいです。1000人の開発者を目指したいよねというスケールの話で、街一つ支えるような力は無いですよ。

柴田:さっき話した歪な現状を何とかしたいだけですよね、それを解消したい人が集まれば、自ずとこういう動きは出てくるのかなと。歪さの度合いや風土によって、地域ごとに多少の差はあるとは思うんですけど。

金子:自分達で変えていかないと変わらないですからね。

小山:“仙台をゲームの街として盛り上げていきたい”というのはあくまで結果論。「自分たちの会社にとってのメリットって何?」ってところがまず大事で、それを打ち立てることでみんなが目を向けてくれるからやるんです。

澤田:インフィニットループは“エンジニアが地方で幸せに暮らす”というのをポリシーにしているので、仙台で働きたい人が座れる椅子を増やさなければならない。そして、弊社はサーバサイドの実装を得意としているので、絵を描いたりできる人と組める座組はありがたい。そうしているうちに仙台に100人が集まったら、最終的に仙台のゲーム業界が盛り上がっていると言えますよね。

金子:お互いに持っているものを寄せ集めないと、競合他社と勝負できないという実情があるので、まずはそこからやっていく。ただそこで、お互いが「他をどうやって使ってやろうかな?」と考えてしまうと絶対に上手くいかないので、1つの目的を決めてみんなの持っている力を出し合いましょうと。地方創生がスタートではありません。自分達が良いものを作れる環境を作るのをスタートにしているんです。

澤田:東京の会社がどこかに発注を出そうとする時、普通に考えたら近くの会社にお願いしたいはずなんですよ。そのなかであえて我々を選んでもらう為には、ちゃんと良いものを作れるっていうのをPRしなきゃいけないわけで。単独勝負は辛いよねっていうのが一番の根本ですよね。

小山:その動きの中に、GLSや昔からの金子さんのラインがあって、それがガチャっとくっついたんです。何かお題目が先にあったわけじゃないのに、自然発生的に色んなものが動いていたのが、同じ目的を持って動きはじめて、1つの形が出来上がりましたよっていうのが今の状態で、すごく定義しにくい。だからいずれは仲が悪くなるかもしれないし(笑)。でもそうなったらなったで、仲悪くなってもそれぞれ自立できるくらいになっているわけだからいいんじゃないって。今そうなったら誰もが生き残れないので。

――芽吹いたばかりの、まずはちゃんと葉を広げていかなければならないステージにいるので、ずっと先の結果を考える必要はないということですね。

小山:まだ形すらできていないなか、「我々はこうです!」って主張しても「ん?」ってなりますしね。地方創生を目標にするのはすごく楽ですけど。「でも本当はお前らそんな余裕なんて無いじゃん」って絶対に見透かされる。ウチなんかは“2ヶ月後3ヶ月後の従業員のために何をしなきゃいけないか”という状態ですから。

柴田:子どもを躾けるとき、「他人の注意をする前にまず自分がしっかりしなさい!」って言いますよね。それと同じで私達はまだ自分がしっかりする段階を抜け出せてない。そこがクリアできれば他に目が行くし、注意もできるし、正しい方向に導くことができるのかなと。そうなってやっと、地方創生に繋がっていくのではないでしょうか。

金子:将来各社が大きくなって余裕が生まれれば、学生を色々なところで支援して入社してもらって――っていうのを回るようにはしたいですね。私はここ仙台からヒット作を発信したいと思っていますので、協力してくれる強力な人材はいつでもウェルカムです。UターンIターンを考えている人をぜひ受け入れていきたい。

澤田:私がいつも言う話なんですけど、種子島に行ったらコンビニや居酒屋、あらゆる場所に過去のHII-Aロケットの打ち上げ写真が貼ってありまして。地域住民のみんながロケット開発を誇り思っているんですよ。夜中の2時にあれだけうるさいのを打ち上げても、基本的には誰も文句を言わない。そんなフラッグシップというか心の支えになりうるゲーム会社、福岡ならレベルファイブさん、札幌ならハドソンさんなどですけど。そういった存在に5社のうち1つがなれればいいかなっていうのはあります(笑)。

小山:僕は東京にいた頃、大手の仕事を受けていて、どういう風にゲーム業界が動いているのかも内側で見られていた立場だったんですけど、それって会社の看板があってできていただけなんですよ。それが無くなって1人になった時って本当にしんどい。GLSにケンカ売ったのも手助けしてくれる人を探していたからなんです。今後僕みたいなIターンUターン者が出てきたとして、戻ってきて最初に入った会社が合わなかったら、また東京に逆戻りしてしまうかもしれない。でも、5個の窓口があったら仙台で引き留められるじゃないですか。

金子:そうなったらすごくちゃんとしていますよね。あっちやこっちの会社に移ればいいだけで。

小山:例えばウチに就職希望者が来たけど、「この人は金子さんの会社の方が合うんじゃない?」となった時にスッと紹介できるといいと思うんですよ。引き抜いた引き抜かれたじゃなくて、仙台のゲーム会社が一体となって何かやろうよって雰囲気を作っていきたいですよね。

金子:仙台市内で流動性が出て初めて、「仙台ゲームコート」を作って良かったと。成功だったと言えるのではないでしょうか。

ポテンシャルはありつつも、お世辞にもこれまでゲーム業界との関係が深いとは言えなかった仙台市。散らばっていた糸がようやく一つにまとまり、新しいスタートを切ろうと芽吹いた「仙台ゲームコート(SGC)」が、これからどんな存在感を示していくのでしょうか。

数十年後に、この団体から仙台ひいては東北、日本をリードする企業が生まれることを、かつて“ゲーム業界で働きたい”と地方から上京することを選んだ筆者も願うばかりです。

※「仙台ゲームコート(SGC)」公式サイトはコチラ
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