2016年に開催された「AnimeJapan 2016」にて、サイゲームスが『ウマ娘 プリティーダービー』を発表しました。このゲーム作品を含めた「ウマ娘プロジェクト」は、後にTVアニメやコミカライズも展開。
着実にその名を広めていき、発表から約5年の月日を経た2021年に、待望の育成ゲームをリリースして大ヒットを遂げました。

「ウマ娘 プリティーダービー」の魅力を語ればきりがないほどですが、実在の競走馬をモチーフとした「ウマ娘」たちの“誰よりも早く走る”というシンプルゆえに純粋な夢に挑む姿は、見る者をたちまち魅了します。可愛さも持ち合わせながら凛々しくひたむきで、時に弱さを抱えつつも踏みとどまる「ウマ娘」たち。そんな彼女たちの意思と意地がぶつかるレースとドラマが、数多くのファンを生み出しました。

その結果、2021年を代表するコンテンツの一つとして大躍進を遂げましたが、この「ウマ娘 プリティーダービー」(以下、ウマ娘)が与えた影響は、ゲームやアニメのみに留まりません。まず、このコンテンツで競馬の世界に興味を抱く方が増え、現役競走馬のレースだけでなく、過去に活躍した名馬たちの活躍やドラマなどに関心を示し、引退馬に会いに行く方も続出しました。

また、こうした関心の広がりは、「ウマ娘」から競馬界への方向のみではありません、競馬ファンや関係者も「ウマ娘」のムーブメントを知り、史実の細かい部分まで敬意を持って取り入れる「ウマ娘」の物語や展開に驚き、その丁寧な落とし込みに感心を示しています。さらに「ハルウララ、念願の初勝利」といった史実では叶わなかった夢が、「ウマ娘」の中で果たされるといったif展開も、競走馬ファンの心を揺さぶりました。

いわゆる「二次元コンテンツ」と呼ばれるアニメや漫画、ゲームなどの作品は、主にファンの間で盛り上がりを見せ、その枠を超えて広がることはあまりありません。ですが、「ウマ娘」はこの壁を軽々と超え、本コンテンツのファンには競馬の奥深さを伝えながら、競馬界からの関心も集めるといった偉業を成し遂げました。

その好例とも言えるとあるツイートが昨年12月に投稿され、ひときわ大きな話題となります。現時点では2万件を超える「いいね」を獲得しており、この数字だけでも反響のスケールが窺えます。


このツイートを行った「じろー」さんは元競馬関係者で、国内はもちろん名門「キルダンガンスタッド」など海外の現場にも身を置いた経験があるほど熱心な人物。彼が場長として立ち上げに参加した牧場からは「エルコンドルパサー」や「ナカヤマフェスタ」などの名馬が出ており、当時のじろーさんはこの2頭を含む多くの馬たちと深く関わり、共に駆け抜けました。

そんなじろーさんが、息子さんから「エルコンドルパサー」について聞かれたことをきっかけに、TVアニメ「ウマ娘 プリティーダービー」内で描かれたあるレースシーンを視聴。それは、1998年10月に実施された史実の「第49回毎日王冠」をモチーフとしたレースでした。

「第49回毎日王冠」は、“史上最高のGII”と呼ばれることもある伝説的なレース。圧倒的な強さで勝ち上がり、骨折というアクシデントからも復帰した「グラスワンダー」や、ここまで無敗を誇る「エルコンドルパサー」といった面々が、97年後半の不調を乗り越えた「サイレンススズカ」と激突します。

勢いに乗る2頭に立ちはだかる「サイレンススズカ」は、序盤からハイペースな逃げを見せ、そのまま終盤へと突入。最終コーナー付近から「グラスワンダー」や「エルコンドルパサー」が追いすがったものの、ゴールを切るまで一度たりとも先頭を譲ることはなく、「サイレンススズカ」が見事に“逃げて差す”結果となりました。

この伝説的なレースをモチーフにした「ウマ娘」のレースシーンを視聴したじろーさんは、その後息子さんから「イヤでしょ? こうゆうの」と訊かれます。これは、息子さんなりの気遣いから出た言葉だと思われますが、当のじろーさんは「ちょっと待って。サイレンスズカにエルコン負けるシーン。思いのほかよく出来てて感動しちゃってるんですけど、それ言う?」と、おそらく息子さんが予想していなかった心情を抱き、その気持ちをTwitter上で赤裸々に明かしました。


この告白が「いいね」2万超えに繋がる共感を呼びましたが、一度のツイートで書き記せる範囲は全角で140文字まで。そのため、息子さんとの会話の内容や、「ウマ娘」の視聴を通じて具体的にどのような気持ちに駆られたのかなど、細かい点については触れられていません。

元競馬関係者の方が、どのような形で「ウマ娘」に接し、そこで何を感じたのか。あくまで一例に過ぎませんが、このじろーさんのご協力を得て行ったメールインタビューを通して、ひとりの元競馬関係者と「ウマ娘」の接点と、そこから受けた影響についてお届けします。

■「うまのお坊さん」こと元競馬関係者のじろーさんと、「ウマ娘」の出会い

──「ウマ娘」を視聴するきっかけになった息子さんとのやりとりや、初めて「ウマ娘」のアニメを見た際の第一印象について教えてください。

【じろーさんのご返答】
実は、このツイートの出来事は半年以上前のことでした。息子がふいに「お父さんがやっていた(関わっていた)有名な馬って何だったけ?」と尋ねてきました。今まで馬に興味を示したことが無かったので驚いたのを覚えています。

「エルコンドルパサーとナカヤマフェスタだよ」と答えると、非常に嬉しそうでした。おそらくこの2頭のことは覚えていたけど、ちゃんと確認をしたかったのだと思います。それからどんな馬だったのかを聞かれたので答えました。

2頭ともフランスの凱旋門賞で2着だったこと。

これは現時点で日本馬の最高着順だったこと。
エルコンドルパサーは本当に強くて、僕は史上最強馬だと思っていること。かつ気性も大人しくて、賢くて、丈夫で全てにおいて優等生だったこと。
ナカヤマフェスタは本気でちゃんと走ってくれさえすればとんでもない強い馬だったこと。
けど気性が荒くて一回へそを曲げると全くやる気を出さなかったこと、などを話しました。

息子はとても興味を持って聞いてくれていました。さらに両馬のレース適性、脚質なども答えました。ここまで聞かれれば、当然「なんで?」と思います。今まで何度か競馬場にも連れていき、さらには何頭かの勝ち馬記念写真にもおさまっているのにも関わらず、全く競馬に興味を示していなかったのですから。

おそらくゲームだろうとは思いました。ダービースタリオンかな、と思ったのですが意外な答えが返ってきました。「ウマ娘」だと言うのです。
なんとなくは知っていました。実馬の名前がついた可愛い女の子のお話、くらいの印象でした。

ちょっとどんなものか見せて欲しいというと、息子は動画サイトのアニメを見せてくれました。この時息子は、少しためらっていたように感じます。僕はバリバリ体育会系の脳筋オヤジだったので、馬鹿にされると思ったのではないでしょうか。

見せてもらったのは、いきなりレースのところでした。まずゲートに女の子が入っている、その絵が衝撃でした。まさか本当に競馬場のコースだとは。本当に女の子が走っているアニメだとは思ってもいませんでした。

「えー! こういう感じなの!」

すぐにレースがスタートし、特に息子の解説はありませんでした。まもなくこのレースは毎日王冠だ、と分かりました。サイレンススズカとエルコンドルパサーが走っていたからです。


展開、位置取りがそのまま実際のレースと同じでした。見ながら、あの毎日王冠を思い出していきます。エルコンドルパサーが追いすがろうとするが全く追いつけないシーン。サイレンススズカが突き放しにかかるシーンなどは、鳥肌が立つほどでした。

「そうそうそう! こんな感じ! こんな感じだったよ!」

最初にアニメを目にした時と同じ言葉を口にしていました。しかし意味合いは、戸惑いのものから感心、感動へと変わっていました。

「けど、お父さんイヤでしょ? こういうの」

レースシーンが終わり、パソコンを閉じながら息子が聞いてきました。父親が関わっていた馬が擬人化されている事。それが何より可愛らしい女の子になっている事。そういったことが、真剣に取り組んでいた人には受け入れがたいのではないか。そういった意味での問いかけだったと思います。

僕の答えは「イヤも何も、感動しちゃったからなぁ」です。


「こんなに良く作ってあるとは思ってなかった」と正直に言いました。「製作者はよほど競馬が好きなんだろうね」というと、息子は「そうなんだ! やってた人がそう思うんだ!」と嬉しそうでした。

■サイレンススズカの描き方には愛情を感じる、と「ウマ娘」を称賛
──競走馬をモチーフとした「ウマ娘」というコンテンツについて、元競馬関係者のひとりとして、どのように感じていますか?

【じろーさんのご返答】
「ウマ娘」の存在だけを知っていた頃は、なんにせよ競馬に興味を持ってくれる人が増えればいいな、競馬も盛り上がると良いなくらいの印象でした。内容に関しては「見たくない」というのが正直なところだったでしょうか。

けれども、たったひとつのレースを見ただけで、制作側の競馬に対する思いというものが伝わってきました。

まだすべてのシリーズを見終わっていませんが、サイレンススズカの描き方には愛情を感じます。相当デリケートな話題を持つ馬であり、扱いも慎重にならざるを得ないと思いますが、思い切った展開に驚きました。

復活云々に関してはそれぞれ関係者の思うところはあるでしょうが、制作側の真摯な取り組みを感じる以上、感謝こそすれ批判されるようなものでは無いと思います。ああ、こういった救いの考え方もあるのだろうな、と感じました。

(元)競馬関係の人間として「ウマ娘」から実際の競馬に興味を持っていただけるのは素直に嬉しいです。何より「賭け事の対象」としてではなく、その「1頭1頭の持つドラマ」に興味を持って見ていただけるのは、それこそ関係者一同が望んでいることだと思います。
■じろーさんの願いは「愛情を持って見守っていただけたら」
──「ウマ娘」から競馬などに興味を持つ方も増えていますが、そうした動きに対して関係者からのご希望などはありますか?

【じろーさんのご返答】
私が希望するのは、G1レースに出てくる馬はもちろん、未勝利を勝ちあがれなくてもがいている馬や、更には出走することさえかなわずターフを去って行く馬にもそれぞれドラマがあり、関係者の思いが詰まっているということに気を向けて頂けたら嬉しい、ということぐらいです。

これからも「ウマ娘」を、そして「1頭1頭の競走馬たち」を。
愛情を持って見守っていただけたらと思います。

■史実に敬意を払い、丁寧に取り入れた「ウマ娘」。
父親が元競馬関係者ながらも、現役当時はあまり競馬に興味を示さなかった息子さん。そして、「ウマ娘」の存在は知りつつも、コンテンツについては消極的だったじろーさん。ですが、息子さんは「ウマ娘」から実在の競走馬への興味を抱き、またじろーさんは息子さんの興味をきっかけに「ウマ娘」に触れ、漠然と抱いていた印象を一変させました。

これを単純にまとめてしまえば、「ウマ娘」が持つ魅力のおかげ、と結論づけることもできます。ですが、「ウマ娘」が成功した理由のひとつは、史実に敬意を払い、丁寧に取り入れ、愛情を持って接した点です。そうした真摯な姿勢があり、そして競走馬や競馬自体が輝かしい魅力を放っていたからこそ、それを継承しようと努めた「ウマ娘」もまた同じように輝けたとも言えるでしょう。

ちなみに、競馬や競走馬(に限らず、関係したあらゆる人や馬)に敬意を示しているのは、「ウマ娘」だけではありません。多くの関係者やファンも同様でしょうし、このじろーさんもまた例外ではありません。

じろーさんは育成牧場の場長を長年勤めた後、経営者の道を一時思案します。ですが、「馬に恩返しがしたい」と考えるようになり、寺院で生まれ育った奥さんの言葉に背中を押されて僧侶の道に進みました。

今は、埼玉県にある常泉寺の納所を務めながら、ホースセラピーのお手伝いをボランティアとして行いつつ、僧侶として亡くなった馬の供養もしているとのことです。(※)

仮にどれだけ輝かしい戦績を残した名馬であっても、いつかは生涯を閉じます。その最期に立ち会い、感謝と共に弔う道を選んだ「ウマのお坊さん」ことじろーさん。その生き方や姿勢に興味を持った方は、個人ブログ「人馬一体」で人柄や経験の数々を垣間見ることができるので、そちらも合わせてご覧ください。

【1月17日15時45分追記】※部分の表現を修正しました。

(※記事内の画像はゲーム版 『ウマ娘 プリティーダービー』のものをイメージ画像として使用しています。TVアニメの該当シーンではありません)
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