4周年を迎えた『ウマ娘 プリティーダービー』の新育成シナリオ『The Twinkle Legends』に、新しいウマ娘が追加されました。その中でも特に注目を集めているのが、ハイセイコーです。


SNSでは「聖子ちゃんカット」が話題になりましたが、実は競走馬のハイセイコーは日本競馬界にとっては初めてのアイドルで、この馬がいなければ今の競馬の在り方もなかったと言われるほどの功績を築きました。そもそもウマ娘というコンテンツも、ハイセイコーなしにはあり得なかったかもしれません。

今回はそんなハイセイコーの功績を振り返りたいと思います。

◆欧米の競馬は「上流階級の社交場」
読者の皆様はオードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』を観たことがあるでしょうか?

オードリーが演じるロンドンの下町の娘イライザを、言語学者ヘンリー・ヒギンズ博士が「言葉の発音を矯正する」というタッチで貴族の令嬢に無理やり仕立てる……という内容です。なぜ言葉の発音を矯正するのかというと、イギリスでは階級毎に異なる発音の英語が用いられているから。ちょっとしゃべっただけで、その人が上流階級の出なのか平民の出なのか分かってしまうのです。

猛特訓の末に上流階級の英語発音を覚えたイライザは、白いドレスを着てアスコット競馬場に赴きます。この時のオードリーの優美なドレス姿は非常に有名で、大抵の人は見たことがあるのではないでしょうか。しかし、この競馬場の場面のオチはイライザが競馬に熱中するあまり下町発音で叫んで周囲を唖然としてしまう……というもの。

言い換えれば、イギリスを始めとした欧米の競馬場は「上流階級の社交場」なのです。アスコット競馬場では、21世紀の今でもドレスコード規定のあるレースもあります。ロイヤルアスコットと呼ばれるイギリス王室主催のレースでは、女性はオードリーのような豪華なドレスを着て、男性は燕尾服とネクタイとシルクハットでビシッと決めていかないとハイクラスのエンクロージャーに入れてくれません。


◆「地方の怪物」が日本競馬のアイドルに!
一方、日本にはイギリスのような厳正な階級制度は存在しません。

したがって、日本の競馬場はそもそもドレスコードという概念がなく、庶民でも気軽に訪れることのできる場所になっています。しかしそれは「場末感」が常につきまとってしまうという意味でもあり、平たく言えば日本の競馬場は「ギャンブル好きのおじさんしか来ない場所」という印象が長らくつきまとっていた……ということでもあります。

しかし、1973年に地方の大井競馬から中央競馬に移籍したハイセイコーがそれを変えました。

地方競馬と中央競馬の格差が今よりさらに大きかった時代、ハイセイコーは移籍から3戦目でクラシック三冠のひとつ、皐月賞を制覇してしまいます。この偉業に日本中は熱狂し、ハイセイコーの人気は競馬場の外を飛び出しました。

続く日本ダービーのトライアルレースのNHK杯では、東京競馬場に約17万人が押し寄せるという前例のない事態が発生。その中でハイセイコーは直線まで苦しめられるものの、最後の200mで劇的な追い上げを見せて勝利。ハイセイコー人気は社会現象にまで発展しました。

◆「馬券を買わない競馬ファン」も登場
その後の日本ダービーでは、まさに全国の人々の視線を背に受けつつも3着と惜敗します。ただしこれでハイセイコー人気が縮小することはなく、むしろ日本ダービーを制したタケホープという生涯のライバルを得てアイドル的人気がさらに過熱しました。

このタケホープには、菊花賞でもハナ差の2着に敗れるなど苦戦を強いられます。
しかし、彼らの対決は「競馬は単なる賭け事ではなく、物語性のあるドラマチックなスポーツ」であることを競馬ファンではない人々にも伝えました。

「自分は馬券を買ったことがないけれど、競馬を観戦するのが大好き」という人は今でこそ珍しくありませんが、そうした「馬券を買わないファン層」を創出した張本人はハイセイコーと言えるでしょう。

ハイセイコーが活躍した時代は、高度経済成長期が一段落した頃と重なります。

それまでの伸びやかさは徐々になくなっていき、10年前までは町のあちこちにあったはずの広場や空き地も不動産開発の影響で消えていきます。それは子供たちにとっては、思いっきり野球ができる場所が失われていったということでもあります。

膝を自由に伸ばせない息苦しさに苛まれていたのは、子供時代を卒業した青年も同様でした。国民的スター集団だったプロ野球巨人軍は1973年もリーグ、日本シリーズ共に優勝を果たすものの、10年前から殆ど変化しない顔触れの選手たちには明確な衰えが表れていました。結局、この73年シーズンが巨人V9時代最後の年になります。

当時の大学生たちは上の世代から「しらけ世代」と呼ばれ、革命にも過激な闘争にも一切無関心の態度を見せます。僕たちは、ヒッピーとも反戦運動とも関わりがない。阪神や中日に負けそうになっている巨人軍にも興味がない。ヘルメットを被ってゲバ棒を振り回していた上の世代と一緒にしないでくれーー。


しらけ世代に該当する筆者の母は、「ヒッピー文学は読んだけどまったく共感できないし、感動もしなかった」と言います。学生運動を主導した世代とそのすぐ下の世代とでは、ここまで大きな意識の温度差が存在します。

そんなしらけ世代は、しかし心の底で「新しいスター」や「次世代のアイドル」を探していました。

ハイセイコーは、日本人が高度経済成長期に一区切りをつけて新しい一歩を踏み出すための原動力の役割を果たしたのです。

◆日本競馬の「独自の進化」
ハイセイコーの競走馬引退が決定した直後、彼の相棒だった増沢末夫騎手が楽曲「さらばハイセイコー」を歌い、ヒットを記録しました。「人気競走馬のキャラクター関連商品」というのは現代では当たり前ですが、その先駆けもハイセイコーが担ったのです。

ハイセイコーの巻き起こした競馬ブームは、その後の日本競馬を独自の形に進化させました。イギリスのような階級制度の存在しない極東アジアの島嶼国家の競馬は、アイドルが鎬を削る終わりのないドラマとしてその地位を確立しました。

王室や宗教指導者といった極端な大富豪が所有する馬に対して、シルクハットの紳士とドレスの淑女が多額の賭け金を投じる……というような光景は、日本の競馬場にはありません。代わりにあるのは、平日は一労働者として働く人々がアイドルホースに惜しみない声援を送る光景です。それは「民主化された競馬」の一景色であり、ハイセイコーが我々にくれたかけがえのない贈り物でもあるのです。
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