※本記事に重大なネタバレはありませんが、主にチャプター1の内容に触れます。

1997年に発売されたPSソフト『ファイナルファンタジータクティクス』は、『FF』シリーズの魔法やジョブなどを用いたシミュレーション性と、松野泰巳氏が紡ぐ重厚な物語の両面で好評を博し、名作として長く語られ続けました。


この『FFT』をリマスターし、オリジナル版の再現に努めた「クラシック」と、様々な追加要素を加えた「エンハンスド」の2バージョンを収録した『ファイナルファンタジータクティクス - イヴァリース クロニクルズ』が、2025年9月30日に発売されました。

現行機でも『FFT』にアクセスしやすくなったため、ファンはもちろん新規ユーザーにとっても嬉しい展開と言えるでしょう。とはいえ、オリジナル版は30年近く前の作品なので、『FFT』をよく知らない人も少なくないはず。

そんな未経験者に向け、身分の格差を正面から扱った骨太な物語の一端を、忘れられない名台詞と共に紹介します。いずれも、人の業に深く迫るものになっており、一度プレイしたら忘れられないものばかり。こうした台詞や展開に惹かれる方は、『FFT - イヴァリース クロニクルズ』のプレイをご検討ください。

なお、本記事における「名台詞」とは、作品が描くテーマを的確に突く、物語の表現として素晴らしい台詞を意味します。作中の特定人物への賛同や賞賛ではありません。また、今回紹介する名台詞は、「エンハンスド」モードのものとなります。

■「悪いな。恨むなら……」─ゲーム開始直後から、切れ味鋭い名台詞
ゲーム開始直後、主人公のラムザは傭兵の一員として、王女の護衛に就きます。王女が教会で祈りを捧げている最中、敵集団からの襲撃を受け、まずはここで初戦闘が勃発しました。


最序盤の戦闘なので、さほど苦労することなく終わりますが、この戦闘は陽動に過ぎず、裏手から潜り込んだ敵の騎士が王女を確保。そのままチョコボに乗せ、裏手から逃走を図ります。

王女のお付きの騎士が慌てて駆けつけるも、敵の騎士が止まる理由はありません。ここで立ち去る際に放った台詞が「悪いな。恨むなら、自分か神様にしてくれ」というものでした。

軽快ながら皮肉めいた意味合いも込められており、シンプルかつ魅力的な一言です。さきほど王女が祈りを捧げていたことも踏まえると、祈りでは変わらない現実の惨さも感じられるようで、冒頭から切れ味たっぷりの名台詞が飛び出します。

なお、王女を連れ去った騎士は、ラムザと旧知の仲であるディリータでした。ここで物語は一旦過去に戻り、ラムザとディリータが肩を並べていた時代に戻ります。

■「身分か。確かにオレひとりじゃ……」─身分差に苦しむ者が、その渦に身を捧げる
王女誘拐から1年前、ラムザとディリータは士官候補の立場にありました。ラムザは、名門「ベオルブ家」の末弟で、父・バルバネスから「不正を許すな、人として正しき道を歩め」という教えを受けながら育ちました。


そのため、平民出のディリータにも親友として接し、身分で態度を変えることはなく、互いに友情を育み、信頼関係を築き上げます。

また、経済状況の悪化などから世間が荒れる中、盗賊となって討伐された者を見て「真面目に働いていれば、こんな風に命を失うこともないだろうに──」と独りごちるような価値観の人物でもありました。

そんなラムザたちは、とある騎士見習いのアルガスと出会います。今回の主旨から外れるため詳細は省きますが、元騎士たちが国の行き先を憂いて立ち上げた「骸旅団」に襲われ、仕えていた侯爵が攫われたほか、多くの仲間たちが殺されてしまいます。

そして、ラムザの兄でもあり、ベオルブ家の現当主・ダイスダーグ伯に兵を貸して欲しいとアルガスは頼み込みますが、騎士見習いに過ぎない彼の言葉は軽く一蹴されてしまいました。

アルガス曰く、彼の家も没落するまでは名の知れた家柄だったとのこと。しかし、彼の祖父が命惜しさに情報を敵に漏らしたという話が広まり、その名声は地に落ちてしまいます。だからこそアルガスは、貴族と平民の間に横たわる“徹底的な身分の差”にひどく敏感でした。

「身分か。確かにオレひとりじゃ、おまえの兄貴には会えんよなぁ」。ダイスダーグ伯に聞く耳を持ってもらえなかったどころか、自分ひとりでは何もできないのだと漏らす言葉が、見る者の側にも重くのしかかります。

■「家畜に……」─人を人と思わぬ暴言は、歪んだ格差の象徴
身分差に敏感なアルガスの考え方が如実になるのは、「骸旅団」に身を置く剣士・ミルウーダと対峙した時です。
ミルウーダは「私たちは貴族の家畜じゃない!」「貴方たちと同じ人間よ!」と、ラムザたちに向かって叫びます。

また、「生まれた家が違うだけじゃない!」「貴方たちはひもじい思いをしたことがある? 何ヶ月も豆のスープで暮らしたことがある?」と問い詰めます。

今広がっている貧困の理由は、貴族たちが起こした戦争が大きな要因でした。長く続いた戦争によって国が疲弊し、そのしわ寄せを貴族が平民に押し付けていたのです。

戦争を起こした責任は貴族にあるのに、飢えるのは平民。この理不尽に怒りを露わとし、自分たちが戦う理由は「生きる権利のすべてを奪うからだッ!」とミルウーダは声を高らかに上げます。

しかしアルガスは一切ひるむ様子を見せず、平民は貴族に尽くさねばならないと断言。「生まれた瞬間から貴様らは、オレたち貴族の家畜なんだッ!」とねじ伏せます。

少し前に、ダイスダーグ伯からまともに取り合ってもらえなかったアルガスが、今はミルウーダに対してまったく容赦のない暴言を突きつけます。アルガスの発言は、格差社会の歪みとも言えますが、「貴族でないと何も得られない」と強く自覚しているせいもあるのでしょう。

もちろん、彼の勝手な理屈で「家畜」呼ばわりされては、ミルウーダとしては黙っていられません。そんな理不尽な物言いに「誰が決めたッ!」と問いただすと、アルガスは「天の意志だ!!」と叩きつけます。


この世界は宗教、引いては神への信仰も厚いため、ミルウーダも神そのものは否定しません。だからこそ「神がそのようなことをと宣うものか。神の前では何人たりとも平等のはず!」と、信仰心のある者なら至極自然な道理を口にします。

ここで放ったアルガスの一言が、特に有名な台詞のひとつ「家畜に神はいないッ!」です。神は万人に対して平等。その節理の前では身分差に正当性はありませんが、平民は人ではなく家畜に過ぎないとすれば、“万人に対して平等”とは矛盾しません。

無論、矛盾しないだけで、倫理観の欠片もないため、アルガスの意見に完全同意するプレイヤーはほとんどいないでしょう。

一方で、身分の格差に縛られる社会において、これほど理不尽で、人々の間に根付いている捻じれを的確に表現した言葉はそうありません。その意味において、本作でも指折りの“名台詞”と言えます。

■「オレは……」─親友同士の間にすら横たわる格差
詳細はこちらも省きますが、ダイスダーグ伯が骸旅団に襲われ、その経緯の中でディリータの妹・ティータが攫われてしまいます。ダイスダーグ伯は、絶対にティータを助けると約束しますが、アルガスはその約束が守られるはずないと言い放ちます。

「オレだったら、平民の娘ごときを助けるなんて“絶対”にしない」「オレたち貴族とこいつ(※ディリータ)は一緒に暮らしてはいけないんだ」と煽るアルガスに、ディリータはもちろんラムザも怒りを露わとします。


しかし、アルガスの言葉を完全には否定できず、「どんなに頑張っても、くつがえせないものがあるんだ」と、ラムザにだけこぼすディリータ。そんなことない、努力すれば……とラムザが励まそうとしますが、「努力すれば将軍になれるのか?」と切り返すディリータの言葉に、ラムザは沈黙するほかありません。

「オレは、持たざる者なんだ」。ラムザとディリータは肩を並べる親友同士ですが、悲しいことにこのふたりの間にも身分の差はあります。

そして、ディリータとラムザは、バルバネスに教わった草笛を鳴らします。その音色だけは、なんの格差もありません。

■「貴方は自分の甘さに気づき……」─立場の差が、埋まらぬ感情の軋轢を生む
再びミルウーダと対峙したラムザたち。その言い分を知ってしまった今、彼女たちのことを単なる敵とは考えられなくなりました。ディリータは「妹を返してくれ」と切に訴えます。

しかし、ティータがただの平民の娘と知った今も、ミルウーダの怒りは収まりません。「貴方たちは返してくれるの?」「最初に奪ったのは貴方たち。私たちは、それを返してくれと願っているにすぎない」と問い詰め、奪い続ける貴族に抗い、足掻き続けるしかないと突っぱねます。


ラムザもまた「ボクたちがきみたちを苦しめているのだとしたら、どうすればいい?」と対話を望みますが、「貴方個人が悪いわけじゃない」とその姿勢に一定の理解を示しつつも「でも、現状が変わらない限り、私は貴方を憎む!」と宣言。両者を、深い深い谷間が隔てています。

それでもラムザは対話をやめず、「ラーグ公に掛け合おう!」とまで言いますが、ミルウーダの反論と観察眼は容赦ありません。「貴方は自分の甘さに気づき、辟易し、そんな自分を許して欲しいと訴えているだけ!」と、心境も察した上で斬り捨てます。

必至に対話を望むラムザの気持ちは、決して嘘ではないのでしょう。ミルウーダが耳を傾ければ、可能性はごくわずかでも、何かが変わったかもしれません。しかし、対話の機会を先に奪ったのは、ほかならぬ貴族たちです。ラムザの必至の投げかけも、ミルウーダにとっては時すでに遅し。もはや、苦い結末しか残されていなかったのです。

■「面倒はすべて……」─対話は前進か、甘えと許しか
重大なネタバレがあるため、前提となる流れは伏せますが、チャプター1の終盤で、アルガスはラムザたちと敵対する立場になります。

未だに貴族と平民の格差を受け入れないラムザに向かって、アルガスは「いい加減に気づいたらどうだ。“違う”ってことにな!」「奴と奴の妹はここにいてはいけなかった! 大人しく豆のスープでも食ってりゃよかったんだよ!」と、早々から理不尽極まるアルガス節を炸裂させます。

ただし、アルガスのこの発言を最大限好意的に受け止めるなら、“貴族と関わったりせず、平民同士のコミュニティの中で質素に暮らしていれば、今回のような不幸なに目には遭わなかったんだ”と解釈することもできます。

もちろん、これはこれで身分差を押し付ける不当な発言ですが、人には住み分けが必要で、それぞれの立場で果たさなければならない義務と責任がある、という意味も込められているのかもしれません。

そんなアルガスの視点から見れば、ラムザの主張はただの甘えにしか見えないのでしょう。「兄貴たちの命令に背き、家名を汚す。いいご身分だよな、好き勝手やりたい放題だ!」「面倒はすべて兄貴たちに押し付け、自由満喫かよ!」と、立場に甘んじた(もしくは、その甘えすら自覚していない)ラムザに、アルガスは怒りを隠しません。

アルガスの発言そのものは、肯定も許容もしにくく、チャプター1の敵役としての役目を的確に果たしています。しかし、そんな彼の主張も、身分の格差に苦しめられた末の結論なのかと思うと、やりきれない想いに駆られてしまいます。

このチャプター1終盤の展開によって、ラムザとディリータの道は大きく違えていきます。家畜に神はいないのか。恨むべきは、自分か神なのか。ラムザは、ただ許されたいだけなのか。

こうした名台詞の先にある物語がどうなるのか、気になった人は『ファイナルファンタジータクティクス - イヴァリース クロニクルズ』を手に取ってみましょう。
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