『スペースインベーダー』といえば、1978年から79年にかけて日本で一大ブームを巻き起こしたアーケードゲーム。
ただし、このブームには厳しい風当たりがあったのも事実。一般紙はインベーダーを「青少年の非行の原因」というような見方で取り上げ、『スペースインベーダー』に規制をかけようと主張する知識人の言葉をほぼ無批判で掲載していた……という拭い難い事実があります。
今回は『スペースインベーダー』流行当時にさかのぼり、当時の新聞を読んでいきましょう。
◆コンピューターの平和利用
『スペースインベーダー』の登場は、1978年6月。この時の日本の総理大臣は福田赳夫、アメリカの大統領はジミー・カーターです。そしてこの時代は、それまで大企業の本社や大学、官公庁にしか置かれていなかったコンピューターが急速に小型化し、家庭向けコンピューターというものが登場した頃でもあります。Appleが『Apple II』を発売したのは、1977年6月です。
そして、人々の生活シーンに少しずつコンピューターゲームが定着していきます。アメリカでは既にアタリの開発した『ポン』が人気を博し、主にバーやナイトクラブに設置された『ポン』の筐体は大量の25セント硬貨を集めました。コンピューターという道具は、元々は戦争で敵軍の暗号を解読したり、砲弾の弾道を予測するために開発された代物。それが進化してたどり着いた先は、数学者でも工科大学の学生でもない「一般の人たち」がただ遊ぶためだけの遊技機器だったのです。
これは、戦争のための技術が平和利用され、大衆の支持を集めることに成功した模範例でもあるはず。しかし、インベーダーブームを迎えた日本の知識人とジャーナリストは、『スペースインベーダー』を「金食い侵略者」と呼び子供の敵のように扱いました。
この「金食い侵略者」は、筆者が考えた文言ではありません。1979年6月3日の読売新聞朝刊20ページに『茨城読売 金食い侵略者インベーダーゲーム 「子供を守れ」本県にも動き』という見出しの記事が掲載されています。
“宇宙からの侵略者”を撃退して、点数を競い合うインベーダーゲーム。昨年、日本に上陸してから、全国に一大ブームをまき起こし、県内でも小、中学生から大人まで熱烈なファンは多い。しかし、ゲーム代欲しさに、とくに子供たちの間で非行に走る心配が出ているため、事態を心配した教育関係者の間から規制を望む声が高まっている。
水戸市小、中学校長会(会長・永山美智雄水戸二中校長、三十六校)は七日に開く定例会議で、この問題をとりあげ、小、中学生の“インベーダー遊び”を実質的に全面禁止にし、即刻各校に指示する方針を固めた。
(中略)
一方、県教育庁では、古河や水戸市、それに他県の動きに刺激され、二日から指導課を中心に本格的なインベーダーゲーム調査に乗り出した。県内を“侵略”している台数や置いている場所などを、県警防犯部、県青少年婦人課などと連絡をとり合って掌握するが、インベーダー遊びに伴って起きた非行問題があるかどうかなども、各学校から吸い上げていく。
(茨城読売 金食い侵略者インベーダーゲーム 「子供を守れ」本県にも動き 読売新聞1979年6月3日朝刊20ページ)
このような記事を2026年に書いたら、炎上すること間違いなしでしょう。
そもそも、「昨年、日本に上陸してから」という文言からして事実を誤認しています。
そして、この当時「県教育庁では、古河や水戸市、それに他県の動きに刺激され、二日から指導課を中心に本格的なインベーダーゲーム調査に乗り出した。県内を“侵略”している台数や置いている場所などを、県警防犯部、県青少年婦人課などと連絡をとり合って掌握する」などということを行っていた事実にも注目する必要があります。風営法の内容が2026年とは異なるとはいえ、全国紙が特定の一製品に対して「侵略者」呼ばわりしたことも問題だったと言わざるを得ません。
1979年6月3日にこうした記事が躍り出たのは、その前日に全日本遊園協会が『スペースインベーダー』に対する自粛措置を取ることを発表したからでした。
インベーダーゲームが青少年の非行化につながると問題になっているため、遊技機械メーカー、ゲームセンター、遊園地などで組織する全日本遊園協会は業界として自粛措置をとることを決め、2日、その内容を発表した。保護者の同伴のない15歳未満の者はインベーダーゲームをさせないことなどが中心で、ゲームセンターなどに自粛ポスターを配布して“ルール”の徹底を図る。
(インベーダー業界が“熱さまし”ーー15歳未満は保護者同伴、景品の提供なども自粛 日本経済新聞1979年6月3日朝刊23ページ)
この自粛措置が、大手各紙によってセンセーショナルに報道されてしまったという側面も見受けられます。そしてこれが、インベーダーブーム終息の直接的原因と見る声もあります。
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◆「コンピューターゲームの可能性」に気づけなかった報道記者たち
筆者が「インベーダーブームを新聞はどう伝えたか?」について調査してみると、どの新聞も「『スペースインベーダー』のせいで少年犯罪が発生する」という論調の記事を掲載していることに気がつきました。
ピッ、ピッ、キューン……。
(中略)
親にも内緒で、お小遣いの百円玉を握りしめ、インベーダーゲームをしに都心の盛り場に電車に乗って、“インベード(侵略)”する子も多く、子ども同士の「寸借」も目立つ。このため学校はヤキモキ。「対策を考えねば……」という声が教育関係者の間でも急速に上がっている。
(先生ヤキモキ「撃退法は?」 インベーダーゲーム 小学生にまで“侵入” ゲーム代寸借する子も 朝日新聞1979年5月18日朝刊13ページ)
「この機械相手のゲーム」とサラッと書いていますが、実は日本のコンピューターゲーム史において『スペースインベーダー』は「初めてCPUの概念を取り入れたゲーム」として知られています。これは単に一人で遊べるということだけでなく、コンピュータープログラミングが『スペースインベーダー』以前の時代よりも格段に複雑化したことの表れ。そして、こうした概念が備わっていたからこそ2020年代の現代では小学校でプログラミング教育が取り入れられ、タイトーも『スペースインベーダー』を扱ったプログラミング教室を開いています。
そうした可能性に気づけなかったことはさておいても、偽硬貨の使用や子供同士のお金の貸し借りを問題視するのに『スペースインベーダー』をやり玉に挙げる必要は一切ないはず。「ならば、目的が映画鑑賞だったらどう論じるのか?」という話になってしまうからです。
しかし、筆者が目を通した記事の殆どはそんな具合の論調で、残念ながら今回の調査では『スペースインベーダー』の意義や可能性について深く追求したリアルタイム記事は見当たりませんでした。
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◆「侵略者」が優秀な記者を生み出した!
この時代に『スペースインベーダー』をやり込んだ学生や新卒間もない若手社員が、10年後に「コンピューターゲーム開発の担い手」になっていきます。
さらに言えば、『スペースインベーダー』のブームは「コンピューターゲームに理解のある報道記者」をも生み出しました。
筆者は2024年11月24日、インサイドで「ドラゴンクエストIIIの発売を、新聞が同報道していたのか?」という趣旨の記事を配信しました。その時の調査では千田幸信さん、堀井雄二さん、そして今は亡きすぎやまこういち先生、鳥山明先生の奮闘を伝える日経産業新聞の記事を引用しました。これは同時に、ドラクエ制作陣の熱意と発想に未来を見たジャーナリストが存在したということでもあります。
昭和六十年暮れ、東京・西新宿のエニックス本社に各界の名だたる異能たちが集まった。「Dr.スランプ」で知られる売れっ子漫画家の鳥山明(32)、「学生街の喫茶店」をはじめ様々のヒット曲を生んだ作曲家すぎやまこういち(56)、ゲームソフト専門のシナリオライターとして売り出し中の堀井雄二(34)らの面々だ。
映画は製作者や監督の資質はもちろん俳優、シナリオ作家そして音楽家などが、それぞれの領分で才能と個性を発揮して初めて観客を魅了できる。――ゲームソフトもまったく同じではないか。何がヒットするか予測のつかないところまで……。
(技術創造(45)ゲームソフトに異能集結――大企業にない夢求め。 日経産業新聞1988年1月20日)
1988年は1979年とは違い、若年層の大半が「ゲームセンター経験者」になりました。偉い肩書きの人が何と言おうと、コンピューターゲームには豊かな可能性があり未来があり希望がある。それを信じて行動を起こした人々が、「傑作」と呼ばれるゲームシリーズを作ったのです。
『スペースインベーダー』は、そうした「ゲーム開発華の時代」の土壌を固める役割を果たしたのでした。


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