【注意】本記事には『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』のエンディングに言及した重大なネタバレが含まれています。ゲームをクリアしていない方は閲覧・取り扱いに注意してください。


9月2日に発売された『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN(以下 MGSV: TPP)』。発売当初の絶賛の嵐から一転、現在は大きな逆風にさらされています。風向きが変わったのは、エンディング到達者が出始めた頃からでした。大手通販サイトのAmazonでも、星の数は大きく減っていき、作品に対する批判が全体のレビューを覆っていきました。この怨嗟の声は、エンディングを迎えたプレイヤーどころか、プレイしていない層までも巻き込みながら拡大。まるでアフガニスタンの砂嵐のように、ゲームの実態を見えなくさせながら、蛇の毒牙のように作品に対する評価を蝕んでいきました。

この低評価は概して「エンディングがひどい」「未完成だ」といったものによるものですが、ここでもう少し細かく見ていくことにします。

1)裏切りの「エンディング」
本作のエンディングは、ゲームの主人公とプレイヤーの関係に迫る、叙述トリックやメタフィクションとでも呼ぶべきものでした。支持しない人たちの中には、(作品を買うかどうか参考にするための)通販サイトのレビューに、エンディングという最も重大なネタバレを書き込まざるをえない、そうした状況にまで追い込まれる事態となりました。

本作に限らず、こうした結末については賛否が別れるところ。予想を裏切りたかった作り手と、期待が裏切られた遊び手、そこには温度差があったように思います。最後に「犯人はヤス」と明かすとき、『MGSV: TPP』は、背負っているメタルギア・サーガの重さに耐えきれなかったのではないでしょうか。
ちなみに私は『BioShock』以来の衝撃をもって、きわめて肯定的に受け止めていました。

小島秀夫氏はTwitterで、以下のような表現でこうした終わらせ方に言及しています。

「“V”は運命に縛られたスネークを解放し、そしてスネークに縛られたプレイヤー自らがバトンを引継ぐ事で伝説の円環を完成させるものです。その訣別は決して幻肢痛ではなく、さらに前に進む為の埋まらない“永遠の空白”となるはず。“V”を楽しんで。」

個人的には、映画や小説ではなく、この“メタルギア・サーガ”は「ゲーム」なのだ、という自負を「プレイヤーが主人公」という象徴的な事柄で示したかったのではないか、と思っています。

一方で、スネークという存在が偉大になりすぎたことで、プレイヤー=スネークという図式がもはや完成せず、バトンの引き継ぎが上手くいかなかったのではないかとも思います。バトンを引き継いだ自分なんかよりも、スネークの乗ったバイクの向かう先が見たかった、それがメタルギアを愛したプレイヤーたちの本音だったはずです。

2)「キャッチコピー」との乖離
本作のキャッチコピーは「悪に堕ちる。復讐の為に。」でした。プレイした方の多くが思ったであろう「どのあたりが“悪に堕ちる”なのか?」という疑問。『GROUND ZEROES』の結末を受け、再興と復讐を誓いそのためにどんなことでもやる、というカズヒラ・ミラーの意思がそうだったのか?

本作の主人公(であるはず)のスネーク=ビッグ・ボスは、初代『メタルギア』の主人公であるソリッド・スネークの視点から見て「悪」であり、初代で描かれたアウターヘブン蜂起に至る部分を『MGSV: TPP』で描くことが「悪に堕ちる」ということなのだ、私はそう解釈していましたが、実際にそれが描かれることはありませんでした。

もし仮にキャッチコピーが全く別のものであり、『MGSV: TPP』の実際の物語に根ざしたものであれば、また違った印象があったかもしれません。


3)「未完成」という噂
エンディングへの不満と並行して、多くが噂として拡散していったのが、このゲームが「未完成品」なのでは、というものでした。解析によって使用されていないデータが見つかり、実は第3章まであったのではないかという情報や、コレクターズエディションの映像特典から、収録されなかったエピソードがあるというものなど。この未完成なのでは、という噂は、エンディングに対する批判を後押しするものとなり、ゲーム全体の評価を下げる要因にもなっていきます。

私は今回の騒動について当初『ファイナルファンタジーXII』のようだと感じていました。しかし、メタルギアが世界観と歴史を共有するシリーズであるという点において、FF12とは大きな相違があります。『MGSV: TPP』は、単一の作品を超えシリーズ全体を受け止めることを要求されたが、それに応えることができなかった、という言い方ができるかもしれません。

4)「シリーズ終了」という不安
こうした批判が広がっていく大きな要因となったのが、数々の報道や噂によって既成事実となっていった「これでシリーズ終了」というものでした。発売元のコナミからは『メタルギア』シリーズの制作、提供を続けていく旨が発表されています(『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』に関するお知らせ)が、小島秀夫氏が関わるかどうかについては、かなり不透明な部分があり、正統な続編がつくられるかどうか疑問が残るところ。

シリーズがこれで終了でなければ、仮に未完成であっても、本作で描かれなかった部分が次回作で描かれるかもしれない、という期待を持つこともできます。また、スネークとプレイヤーによる「伝説の円環を完成」させる必要もありませんでした。

未完成でシリーズ終了、そしてあのエンディング。必ずしも小島氏のTwitterの「永遠の空白」という言葉を、肯定的に受け止めることができる人ばかりではありません。
前に進む為の空白とはつまり「俺たちの戦いはこれからだ」というマンガの打ち切りエンドのようなものだ、そういった見方もできるのです。

◆ゲームはいつ、なにを評価されるべきか

1)ゲームは「いつ」評価されるべきか
こうした状況で低い評価が相次ぐ中、発売前のメディアのレビューとの乖離を指摘する声も挙がっています。「あれはクリアしてないから、エンディングを見てないからあんな高い点数なんだ」。ここで、ひとつの疑問が湧いてきます。

ゲームは、クリアしてはじめて、評価できるものなのか?

「終わり良ければ全て良し」ということわざがあります。「物事は結末がもっとも大事であり、その過程はたいして問題ではない」という意味ですが、ゲームにおいてもそれがあてはまるのであれば、エンディングを見ない限り、良いか悪いかの判断はできないのでは、という考え方ができます。RPGというジャンルにおいては、特に顕著で、エンディングという目的において、それまでの道程は手段にすぎない、という考え方もあるかもしれません。

果たして本当にそうでしょうか。本作のエンディングがひどいものだと仮定して、その結末がこれまでの数十時間を全て否定してしまうものになってしまうのか。

「終わり悪ければ全て悪し」―実際にこうしたことわざはありませんが、これに近い意味として、「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく、高い山を作るとき最後のかご一杯の土を欠く)」、あるいは「画竜点睛を欠く」といったものがあります。いずれも物事を完成させるための、最後の仕上げを忘れたり、手を抜くことを意味します。

『MGSV: TPP』の結末は、あえて最後のかご一杯の土を盛らないことで、“永遠の空白”を手に入れようとしたのではないか、つまり、完成させないことでメタルギア・サーガを“終わらせないための”終わらせ方を選択したのではないか?

ただし、これは開発上の問題に起因する苦渋の選択だったかもしれず、もはやかご一杯の土では完成しないことが分かっていたから、あえて盛らないことを選んだのではないか、という悪意のある見方もできます。


もうひとつ言えば、これはアクションゲームです。物語の質がゲームプレイを毀損しない、ということはありませんが、少なくとも『MGSV: TPP』において、ゲームプレイの楽しさを底辺に貶めるほどの影響はなかったはず。

エンディングがどんなに良くても、ゲームプレイに問題があればゲームそのものの評価は良くならない。逆に言えば、エンディングの良し悪しはゲームそのものの評価を極端に左右しない。つまり、エンディングまでプレイしなくても評価することはできる。こう考えるのが自然なことのように思います。ゲームはゲームプレイそのものを目的とすべきであって、エンディングという目的のための手段になるべきではない、と考えます。

2)ゲームは「なにを」評価されるべきか
前述した「キャッチコピー」「未完成」「シリーズ終了」というのは、いずれも外的要因と呼べるものです。キャッチコピーがゲーム中に高らかに謳われることはありません。未完成かどうか、というのはゲームに含まれない部分が外部からもたらされることで、初めて判明する事柄です。なんらかの製品上の問題によってクリアできない、といったことがなく、それなりのボリュームがあり、物語の始めと終わりが(いかなる形であれ)示されている以上、単一の作品としてみれば、これは「完成品」だといえます。

シリーズが終わる、という情報は、単一の作品の評価と関連づけていいものか難しいところがあります。
「シリーズ完結!」と喧伝していたならこれを批判することも分かりますが、本作はあくまでメタルギアシリーズの一作品という位置づけでした。シリーズがこれで終わりかもしれないのに、こうした終わり方は残念だ、というのは感想としては分かりますが、ゲームそのものの評価とはいえません。

ゲームを評価するにあたっては、ゲームそのものだけを見ることが大事なのではないか、と考えます。実際にプレイして、そこで体験したことだけが、「ゲームの評価」と呼べるものではないでしょうか。これはエンディングとゲームプレイの関係と同様のものです。情報や噂や結末といった修飾によって、ゲームそのものが見えなくなってしまうのは、もったいないことのように思います。エンディングに至るまでの数十時間を楽しめたなら、それは他の事柄と切り離して評価してもいいのではないかと思います。

個人的な結論としては「『MGSV: TPP』は、様々な外的要因によってメタルギア・サーガを全て引き受けることになってしまった。結果的にその重みに耐えられず、作品単体としての評価をも落としてしまった」「サーガを“終わらせないための”終わらせ方を選んだことで、作品単体としても未完成品という印象を強くしてしまった」のだと考えます。

いつかこの猛烈な砂嵐が止んだとき、あらためて『MGSV: TPP』というゲームそのものの評価が、よりクリアに見えてくるのではないでしょうか。
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