「きちんとしてる投稿」が信頼を遠ざける─男たちが言葉を整えす...の画像はこちら >>

SNSでは、整った投稿が多く見られます。語尾は丁寧で、表現も控えめ。
内容には過剰な主張がなく、読み手に配慮された印象を受ける投稿が増えています。誤解を生まないように、配慮を欠かさない投稿。その姿勢は、一見すると誠実です。

しかし、その整った言葉に“熱”が宿っているかというと、少し疑問を感じることもあります。言葉の構造は正しくても、投稿からは書き手の実感や情熱が伝わってこない。整ってはいるけれど、何も残らない。そのように感じた経験はないでしょうか。

特に男性による発信において、「整っているけれど何かが伝わらない」という印象を持つことが少なくありません。理由の一つは、書き手側の“感情抑制”の傾向にあります。

近年、SNSでの炎上リスクや誤解の拡散を恐れて、感情を過度に抑える投稿が一般化しています。特に男性は、「怒りを表に出すと怖いと思われる」「断定すると攻撃的に見られる」といった恐れから、言葉を整える方向に動いてきた背景があります。

結果として、「~と思いました」「~ですね」といった曖昧な語尾、「個人的には」「わかりませんが」といった前置きが増加し、投稿は形式的には丁寧でも、読み手にとっては印象が薄く、何を伝えたいのかが分かりづらくなることがあります。

実際、文化庁の「令和4年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」によれば、「改まった場所で、ふさわしい言葉遣いをする」という意識が全年代で最も高く、SNSや対人発信においても、言葉遣いに対する慎重さが広く共有されていることがうかがえます。とくにSNSやメールといった文章でのやり取りでは、「言いすぎないようにする」「感情を抑える」といった意識が多くの人に共有されており、文章が整っていても“届かない”というジレンマを感じている方は少なくないと考えられます。

一方で、読み手は「本音」を求めています。多少不格好でも、自分の言葉で語っている投稿に、信頼や共感を感じるという声も多く聞かれます。読者が求めているのは、整いきった文章ではなく、「自分の言葉を選んでいる姿勢」や、「感情を込めて語ろうとする意志」そのものなのです。

整えることは大切です。しかし、「整えること」と「取り繕うこと」は違います。信頼とは、文体や語尾の形からではなく、「この人が何を伝えようとしているか」を読み取れたときに生まれます。

整えるという行為は、自分を美しく見せるためではなく、相手に配慮しながらも、自分の中にある本気を届けるための技術です。多少語尾が整っていなくても、多少文の形が崩れていても、そこに“伝える意思”が込められていれば、読者には十分に届きます。

文章の完成度よりも、姿勢が大事です。丁寧さに逃げず、整えに責任を持つ。

これからの言葉は、そうした“伝える姿勢”の中に信頼を宿していくはずです。

【参考文献】
文化庁「令和4年度『国語に関する世論調査』の結果の概要

(上野 由理/美脚専門家)

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