TBS『グッとラック!』のレギュラーコメンテーターをはじめ、数々のメディアにも紹介され大反響を呼んでいる新書『死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~』(光文社)の著者・玉置妙憂さんが毎週、読者の悩みに寄りそい、言葉を贈ります。
【今回の相談内容】
子どもが同級生だった縁で、時々お茶を飲んだり、出かけたりする友人が2人います。
【回答】
「かつてのように足代わりにされても困る」とお思いになっていらっしゃるのなら、関わらずにいたほうがよいと思います。むしろ、なんで迷われるのかしら。ものすごくシンプルなことだと思いますよ。
もし、あなたがご自分の思いとしてその方を助けてさしあげたいのであれば、感謝されなくても、足代わりにされても、そんなことは関係なく手をお貸しになるでしょう。
でも、たとえば「手助けもしない人だと思われたくない」といった体裁を気にされてということであれば、当然、感謝されなければ割が合わないし、足代わりにされるのはご勘弁でしょうね。
人は3秒もあれば損得を考えはじめるそうです。だから、熱いやかんにうっかり触って「あちっ!」と手を引っ込めるように、間髪入れずに動かないとできないことはたくさんあるのです。
損得を考えるのがいけないと言っているわけではありません。
それに、実際に手を出して動くことだけが、ご友人にしてさしあげられることではありません。体がすこしでも楽なように、心がすこしでも穏やかであるようにと、ご友人のために祈ることだってできるのです。
「祈り」の遠隔的効果(病人の回復に対して効果的であること)は、もう米国の研究で明らかになっていますからね。しかも、他の人の幸せのために祈ると、あなたの体の中はオキシトシンというホルモンで満たされます。オキシトシンは“回復ホルモン”ですから、あなたの免疫力もあがるという一石二鳥です。
ね。無理はやめましょう。あなたが穏やかで幸せでなければ、ご友人も含めてあなたの周りの人が幸せであるはずないのですから。
【プロフィール】
玉置妙憂(たまおきみょうゆう)
看護師・看護教員・ケアマネ−ジャー・僧侶。