「私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています」
秋篠宮さまは11月に行われた誕生日会見で、眞子さまと小室圭さんの結婚についてこのように述べられた。結婚を容認されつつも、厳しい意見を述べられた秋篠宮さまだが、そこには大切に育ててきた長女への深い愛情がこめられているのだろう。
今年29歳になられた眞子さまは、’91年10月23日の午後11時41分に宮内庁病院で産声をあげられた。秋篠宮さまは出産の2時間ほど前から駆けつけ、紀子さまにつき添われた。オランダのベアトリックス女王主催のレセプションに出席されていたが、途中で退席されてのことだった。
「病室に到着した秋篠宮さまは、紀子さまのベッドわきに座り、励まされていいました。秋篠宮さまの誕生時は3,000グラムでしたが、眞子さまはひと回り大きめの3,238グラム。眞子さまと初対面された秋篠宮さまは、『自然に嬉しさがこみ上げてきているところです』と喜ばれていました」(宮内庁関係者)
眞子さまがお生まれになった翌朝、秋篠宮さまご一家は宮内庁病院で、親子水入らずのひと時を過ごされた。そのあと、皇族用玄関前に姿を見せられた秋篠宮さまは、記者団に「お子さまはいかがですか?」と問われると、「かわいい顔して……。私に似て」とお顔をほころばされた。
一般のお七夜にあたる「命名の儀」で、お名前とお印が決められた眞子さま。秋篠宮ご夫妻が学者らとご相談のうえ、お名前をお決めになられた。「眞(シン)」には「自然のまま、ありのまま」の意味が込められており、秋篠宮さまは「自然に飾ることなく、人生を歩まれる」ことを願って命名された。
健やかに成長された眞子さまは、’04年に学習院女子中等科にご進学。
「それぞれが興味を持っている分野で、それぞれの興味を伸ばし膨らましていってくれればと思っております」
子供たちにはのびのびとした成長を望んでいることを語られた秋篠宮さまは、「学校の話も含めていろいろな話をする機会を多く持って、そして話しかけてくることをできるだけ時間をかけて聞く」と、コミュニケーションも大切にされていたようだ。
眞子さまは’10年に国際基督教大学に進学され、翌年に成人を迎えられた。秋篠宮さまは46歳の誕生日会見で、眞子さまとの20年間の思い出を振り返られた。
秋篠宮さまは、眞子さまが誕生されてから「あまり時の経過を感じないように思う」と述べられながらも、「2人で行ったいろいろなところのことが、良い記憶として残っております」とおっしゃっていた。
秋篠宮さまは眞子さまと、’07年にマダガスカル、’10年にはラオスを訪れている。その時のことについて、「一緒にいる時間が長い分、例えばドライブをしている間とかに、いろいろ話をしました」とおっしゃられ、眞子さまが秋篠宮さまの興味に合わせて行動されていたことも語られた。
成人になられたばかりの眞子さまは、誕生日会見で《まだ余り結婚については考えたことはありません》と、結婚について言及されていた。
しかし国際基督教大学での学生生活のなかで、小室さんと出会われた眞子さま。’17年9月3日に、お二人で婚約内定の会見に臨まれた。その際、秋篠宮さまは《内定までの5年は、私たちの時よりも長い期間になり、二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思います》と、眞子さまと小室さんの結婚の意思を尊重されたのだった。
小室さんとの婚約を控えて過ごされてきた眞子さまだが、直前の’17年8月18日に秋篠宮さまとハンガリーを旅行された。
この旅行が、親子水入らずの“最後の婚前旅行”となるはずだったが、小室家の金銭トラブル発覚もあり、結婚は延期に……。
眞子さまと小室さんの結婚を「認める」と発言された秋篠宮さま。しかし小室さん側から金銭トラブルについて十分な説明がないなど、課題は残されたままだ。“溺愛”する愛娘の行く末に、気を揉む日が続いているのではないだろうか。