「どの師弟関係も個性的で、似たような関係が二つとない印象です。もともと棋士は個性が強く、その個性同士の組み合わせですから、唯一無二の関係になるのは当然かもしれません」

そう語るのは、3月16日に著書『絆 棋士たち師弟の物語』(日本将棋連盟発行・マイナビ出版販売)を発売する野澤亘伸氏。

18年の著書「師弟 棋士たち魂の伝承」(光文社)でペンクラブ大賞文芸部門の大賞を受賞した筆者が、満を持して世に放つ将棋棋士の師弟物語の続編である。今回は8組の師弟に取材している。もはや国民的棋士となった藤井聡太二冠と師匠・杉本昌隆八段の特別対談も収録している。

「杉本八段と藤井二冠の対談において、藤井二冠は質問に対して一つ一つ真剣に考えて答えてくれます。将棋でいうところの『長考』のような感じがしばしば見られます。やはり早くからメディアに注目され、自身の発言に責任を持っているのでしょう。今回は杉本師匠との対談ということもあり、リラックスして素に近い気持ちになれたのではと思います。二人に対して質問をすると、師匠が先に答えてくださり、藤井二冠にトスを渡すような場面が何度かありました。途中からは砕けた感じのやりとりも見られ、藤井二冠が会見で見せる応答とは違った18歳らしい一面が見られました」

将棋界は歌舞伎や落語のように、師匠と弟子で技術が受け継がれていく面がある。その師弟関係はさまざまで、そこには十人十色のドラマがあった。

「本書の取材で、特に印象に残った師弟は、中田功八段・佐藤天彦九段、畠山鎮八段・斎藤慎太郎八段でしょうか。この二組はとても対照的な師弟で、中田八段は放任主義で佐藤九段を育て、遠巻きにその成長を見守ってきました。

畠山八段は自分が持てるものを全てを斎藤八段につぎ込んで、自分を超えさせていきました。中田、畠山は『昭和の棋士』であり、タイプは違いますがともに無頼な男たちです。弟子の佐藤、斎藤は小学生時代から将棋への特別な才能、集中力を見せ、将来を嘱望されてきました。この二人にとって、それぞれの師匠が運命的に相性が良かったことは間違いないでしょう。棋士は洞察力に優れ、その子の長所、短所を見抜く。そして普段は言葉を交わすことは少なくても、いざ師の力が必要になれば親身になって対応していきます。

将棋界の取材をしていくと『才能があったけども、周りの影響でダメになっていった子がたくさんいた』という言葉を何度も聞きました。幼少時から「天才」と呼ばれる子たちには注目が集まり、特別な存在として扱われることは、思い上がる気持ちを生みやすい。指導者は本人だけでなく、その両親の子どもへの対応からも、プロになれる資質を見極めるといいます。杉本八段は、藤井二冠のご両親がとてもしっかりした方であると話しています。藤井二冠の礼儀正しさ、謙虚さは、家庭環境や師匠の姿から習得されたものかと思います。才能は根を張る環境に大きく左右されることを、師弟の関係を見つめる中で強く感じました」

■将棋界の師弟は無償の愛で結ばれた関係

将棋界ならではの師弟関係を表す言葉として、「恩返し」という表現がある。

これは、弟子がプロ入り後の公式戦の対戦で師匠に勝利することを意味する。

「『恩返し』が弟子が師匠に勝つこととして語られるのは、将棋界独特の慣習のように思われていますが、実際にはどの師匠も『そんな恩返しはいらない』と言っています(笑)。多くの師匠が言う“真の恩返し”とは、師匠が勝てなかった相手に弟子が勝ってくれることだと。中田八段は弟子の佐藤が羽生善治から名人位を奪取する姿を、一人自分の部屋で中継を観ていました。自分が追いきれなかった羽生の背中を、愛弟子が捉えようとしている――。立ち上るタバコの煙を見上げながら、夢を見ているようだったと言います。

畠山八段は斎藤八段が四段昇段したときに、『これからは戦う相手になるので、もうアドバイスしてあげられるものはない』と言いました。畠山と斎藤は、これまでに何度か師弟戦を戦っています。師である畠山が、上を目指す弟子の斎藤を本気で倒しにいく姿は、将棋界独特の凄みを感じました。どんなに手塩にかけた弟子でも、プロになれば一人のライバルになる。その勝負に親しみや馴れ合いは一切存在しないことを、二人の姿は伝えていました。将棋界の師弟とは、師と弟子であり、同時にライバルでもあり、無償の愛で結ばれた関係だと思います」

将棋の師弟関係はサラリーマンの「上司」「部下」とは全く違うものだという。

「私は会社員をやってことがないので『上司』と『部下』の関係はあまりわからないのですが(笑)、将棋界の師弟関係は、自分たちに人生を与えた『将棋』への感謝から来ていると感じます。先ほど『恩返し』という言葉がありましたが、師にとって道を継ぐ者を育てることが、将棋界への恩返しなのだと思います。弟子は自分一人の夢を継ぐのではなく、棋界の未来を担うものとして育てられる。弟子たちは、師の想いと指し継がれてきた将棋の定跡を学ぶ中で、自分の一手に宿る歴史を感じ取ってきたのではないでしょうか」

いまやほとんどの棋士が将棋の研究にコンピューターを導入している。師弟関係にも変化が生まれているのだろうか。

「今後の師弟関係については、正直わからないですね。若手棋士の実力が拮抗して競争が激しくなり、10年後、20年後にはベタラン棋士の引退が早くなるとも言われています。また現在の若手は過去の棋譜を並べず、AIでの最新研究に没頭してるようです。これまでの将棋界の慣習や、棋譜を並べるといった勉強法は見られなくなりつつある。人から人に受け継がれる伝統は、薄れていくかもしれません。寂しいことですが、それはすべての文化の継承にも言えることではないでしょうか」

藤井二冠の大活躍で、将棋界に興味を持ち始めている人々が増えている。師弟関係に触れることが、その楽しみの一助になれれば、と野澤氏も言う。

「将棋はわからなくても、棋士たちの生き様を見つめることも観戦の楽しみです。棋士は一般社会では出会えないようなピュアな存在であり、棋士と棋士の友情は子どもの頃からこの世界で生きていくと決めた者たちの、深い絆です。そして、親しい相手であっても、一切の私情を排して勝負に臨んでいく。棋士とはそんな存在です。是非、将棋の世界を覗いてみてください」

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