「知り合いから『阿川さん40周年ですね』と言われたのですけど、『なにが?』と、思わず返してしまいました。最初にテレビのレポーターをやったのが’81年だから、今年で40年になるんですって。

ディナーショーで全国ツアーでもしようかしら(笑)」

そうちゃめっ気たっぷりに話すのはタレントでエッセイストの阿川佐和子さん(67)。今月7日には、阿川さん流の人生の秘訣が詰まった『アガワ流生きるピント』(文藝春秋)を出版。「仕事」や「恋愛」、そして「認知症」から「セックスレス」まで、さまざまな人の悩みにQ&A形式で答えている。

テレビデビューのきっかけとなった番組『朝のホットライン』(TBS系)に出演する以前は、特定の仕事についていなかったという。

「友人から紹介してもらった慶應義塾幼稚舎(小学校)の図書室のバイトを週に2~3回やったり、友達相手に編み物教室をやったり、お見合いしたり、友達の結婚式に出て『次は私の番になるはず』みたいな日々を過ごしていました」

そんなある日、阿川さんの父で小説家の阿川弘之さんの元に雑誌の広告グラビアで親子共演の話が舞い込んだ。

「照れくさいので、父は家族と出る仕事を嫌がっていたんです。なのに、引き受けたからびっくりしちゃって。写真を撮るのが、父の友人で写真家の秋山庄太郎さんだったから、『秋山さんに借金でもしているのかな』って思いました(笑)」

そのグラビアがTBSのプロデューサーの目に留まり、番組出演することに。そこから阿川さんの芸能生活がスタートした。

■「ランチョンマットで今朝ももめました(笑)」

芸能界に入ってからも結婚への思いはあった。

「子どもが欲しかったんですよ。お見合いをさんざんやったけどご縁がなかったんです。

それで『もう結婚しないで生きていくのかな?』と思い始めて。だから子どもを産める体力があるときに『結婚はできるかわからないけど、子どもだけ産むという選択肢はないかな?』と思って親にも言いましたよ。『ちょっと順番かえてもいい?』って。でも、シングルマザーという生き方は今ほど社会的に認められていませんでしたから……。養う自信もないし、その子を幸せにできる自信もないし、グズグズ悩んでいるうちに機を逃したんですね」

結婚せずに生きていくつもりになったという。しかし’17年、63歳のときに、5歳上の男性と結婚。当初、籍を入れることを考えていなかった。

「結婚前から、夫は認知症の母の介護に協力してくれました。でも、母を救急車で病院に運ぶときも、家族じゃないからという理由で付き添ってもらうことができません。

たとえば、私が救急車で運ばれたときも、制度的に家族じゃないとダメだという世の中のシステムがわかった。それだったら『籍を入れたほうが楽じゃん』って(笑)」

「やっぱり結婚は生活だな」と感じたという阿川さん。

「タオルのたたみ方とか電気のつけっぱなしとか、トイレの使い方とか、そういった些細なところで合うわけがない。

『なんでそこを大事にしないの』と意見が割れても、互いに慣れていくしかないんですね。いまだに小さな争いはありますよ。今朝も合成樹脂のランチョンマットを、手洗いしたあとに洗濯機で脱水するかどうかでもめました(笑)」

(取材・文:インタビューマン山下

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