住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に感動で涙した映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「先日、『E.T.』(’82年)のDVDを借りて、大学1年生の娘と高2の息子と一緒に、久しぶりに見たんです。キョロキョロしていて仲間とはぐれ、地球に置いてけぼりにされたE.T.を見ていたら、昔、ディズニーランドで迷子になった息子を思い出してしまいました」
そう語るのは、タレントの三井ゆりさん(53)。約40年前の作品だが、家族全員で楽しめたという。
「E.T.を乗せた自転車が空を飛ぶシーンは、もうダメ。子どもたちに『お母さん、泣きすぎ』って笑われましたけど、見終わると、『すごくよかった!』って感動していました。いまと比べるとCGや特殊技術では劣っているのでしょうが、それを超えた作り手のエネルギーが詰まっているから、人の心を動かすんでしょうね」
そんな作品であふれた’80年代に、青春時代を過ごした三井さん。
「弟がよくファミコン(’83年発売)で遊んでいましたが、私はゲームが苦手で。ルービックキューブ(’80年発売)も1面をそろえるのがやっとだったくらい(笑)」
夕方、学校から帰ると『エースをねらえ!』(’73~’74年・毎日放送、NETテレビ[現・テレビ朝日]系)といったアニメの再放送を、夕食後は『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)などの歌番組を見るのが、当時の女子の定番だった。
「テレビの前にラジカセを置いて、好きな曲などを録音するのですが、家族に『しゃべらないでね』ってお願いする声が、そのまま入っていたり(笑)。『ザ・ベストテン』って生放送だったから、松田聖子さんが新幹線の途中の駅でワンコーラス歌って、また乗り込むみたいなこともありましたよね。聖子さんは、とにかくかわいくて、女子のあこがれ。いまのようにカラオケが一般的じゃなかったから、筆箱とか縄跳びの柄とかをマイクに見立てて、『青い珊瑚礁』(’80年)を、みんなで歌ったりしていました」
■どうやっても聖子ちゃんカットにならなかった
校則でパーマが禁止されていた中学時代。
「でも私はバスケ部で、毎日のように朝練に参加していたから、髪の毛をいじる時間がなくて……。そもそもかなりの直毛で、しかもショートカットだったので、どうやっても“聖子ちゃん”にはならず、むしろ“モンチッチ”みたいでしたけど」
他校との練習や試合へ行くときは、いつも自転車。だから真っ黒に日焼けしていた。
「ボールを3つくらい入れたケースをたすき掛けにして、汗びっしょりになりながら隣の市まで行ったりしていました。3年生を先頭に、2年生、1年生の順で列になって。赤信号では『止まってくださーい』って前から号令がかかるんです。いまでは交通事故のリスクもあるから、こうした自転車での移動は少なくなっているかもしれませんね」
部活にのめり込んだ毎日。たまの休みの日は、実家のある柏市から常磐線に乗って、東京まで遊びに行った。
「何をするわけじゃないんですが、上野のABABやマルイに洋服を見に行ったり、原宿で竹下通りをぶらぶらしたり、クレープ屋さんに行ったりしていました」
友達だけで映画館に行くようになったのも、中学生になったころからだったという。
「初めて友達と見た映画が『E.T.』だったと思います。バスケ部の休みの日でしたが、なぜか卓球部のえっちゃんと行った記憶が」
SF映画といっても、描かれているのは宇宙人による侵略ではなく、E.T.と子どもたちの友情。
「とにかく、あの見た目のかわいさに感動しました。シワシワでうちのおじいちゃんに似ているんです。大人たちの追跡から逃れたシーンでは“スピルバーグは子どもたちの味方なんだ”って感激して、それから数日間、パンフレットを眺めて余韻に浸っていました」
映画館に行くのは年に数回だったが、友達と一緒に行くこと自体が“大人になった感覚”で、ちょっと誇らしかったという。
「’80年代はハリウッド映画が全盛で、黒澤明監督の『乱』(’85年)以外は、『ステイン・アライブ』(’83年)や『フラッシュダンス』(’83年)といった洋画を中心に見に行っていました」
バスケ部の合宿で休憩時間に、先生が持ってきた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85年)のビデオ鑑賞会があった。
「すごくハマって、パート2、パート3も見ました。いまでもテレビで放送されると家族で楽しんでいます」
■80年代カルチャーが家族の架け橋に
高校までバスケを続けた三井さんは、病院食などを作る仕事に興味を持ち、卒業後は栄養士の資格を取るための勉強もした。
しかし、そのころ、ダメ元で応募した『週刊プレイボーイ』のイメージガールを務めることになり、急きょ、芸能界へ飛び込んだのだった。
「自慢できる特技は何にもなかった私ですが、バスケをやっていた経験からスポーツ全般が好きで、A級ライセンスを取得して番組でレーシングカーに乗ったり、サッカー番組の司会のお仕事にも恵まれ、番組の企画で審判の資格を取ったりもしました。’80年代は、かなうかなわないは別にして、すごく夢を持ちやすい時代だったんじゃないでしょうか。だから私も、いろんなチャレンジができたんだと思うんです」
’01年には、歌手の野口五郎と結婚し、2児に恵まれた。
「音大に進学した長女がお父さんの’80年代の曲をいま聴いて、『いいねえ』って言っています。同世代のコたちも’80年代の曲をよく聴くみたいで、YouTubeで『野口五郎について語ります』という動画もあったり。
’80年代カルチャーは、親と子の世代間の架け橋にもなっているというわけだ。