「金と自由は欲しいけど、何もしたくないーー」を貫いてきたタレントで漫画家の蛭子能収さん(74)。2020年夏に認知症を公表した後も、その“人生哲学”はまったく変わらない。

絵を描くよりもテレビの仕事のほうが楽だしギャラもいいと言い続ける蛭子さんに突如湧いた「絵画展プロジェクト」。果たしてプロジェクトは成功するのだろうか……。(第6回/全10回)

「あれ~どうやったっけ?」

“最後の絵画展プロジェクト”に向けた作品を描いていた蛭子さんの手が止まった。

絵のわきに添える文章を描こうとしたが「東京」の「東」の漢字が思い出せない。

そばでみていた「蛭子能収の人生相談」担当記者の私・山内は、ノートに「東」と字を書いて蛭子さんに見せようとした。

40年来の盟友である根本敬さんは、そんな“おせっかい”を手で制してこう問いかけた。

「間違えたっていいんだよ。正しくなくてもいいよ。ひらがなでもいいじゃない」

蛭子さんは安心した表情をみせた。

絵を描きはじめて20分ほどが過ぎた。

「せっかくだから色を塗ろうよ」

と根本さんが声をかける。

ところが蛭子さんは、少し遠くに座っているマネージャーの森永真志さんのほうをチラチラ見ながら、

「次の仕事はなかったっけ?」
「まだ大丈夫?」

としきりに話しかける。

あきらかに注意力が散漫になっている。

やはり……。

認知症の症状として「もの忘れ」が代表的だが「集中力の低下」も始まる。毎月1回1時間ほどの人生相談の取材でも、30分を過ぎると、蛭子さんは困った顔をして森永さんに「まだ大丈夫?」と聞く。

森永さんが「大丈夫ですよ。次に仕事は入っていませんよ」と答えても、蛭子さんはソワソワがとまらない。

蛭子さんの落ち着かない様子を前にして、いつも私は慌ててしまう。本日中に聞いておかなければいけない読者の悩み事はまだ残っている。なんとかしなければ。急かすように蛭子さんに“ゆるゆる”の回答をしてもらおうとしていた……。

再び蛭子さんが森永さんに“ねえ助けてよ”という表情で「まだ大丈夫?」と声をかける。

電池がとまったように、蛭子さんが右手にもったペンはピクリとも動かない。

もはやこれまでか……。蛭子さんの集中力が切れたようだ。

スケッチブックに描かれた絵は、黒いサインペンで描かれたまま。色が塗られていない。未完成といってもいい。

蛭子さんのかつてのイラスト作品は、シュールさも魅力だが、グラフィックデザインを目指していただけに、独特な色彩感覚による色遣いも特徴のひとつだった。

蛭子さんのキレやすい集中力──。絵画展プロジェクトの大きな壁となって立ちはだかった。

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