【前編】“場面緘黙症”で話せず不登校…14歳少女が行列店のパティシエにから続く
「初めて来ました。三角屋根、ステキですね。
取材中、市内から訪れたという60代の女性客は、そう話してくれた。
ここは「みいちゃんのお菓子工房」。店長兼パティシエの杉之原みずきさんは、14歳だ。ケーキの販売は月2回、隔週日曜の来店予約制で、不定期で焼き菓子の販売も行う。数少ない開店日には行列のできる店として知られている。
オーナーでもある母・千里さん(49)とともに厨房に立つみいちゃんだが、会話はなく、こだわりの詰まったオリジナルのお菓子やケーキのレシピは、LINEで千里さんに共有し、指示を出している。
みいちゃんが会話をしないのは「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」のためだ。不安症の一種で、特定の場所で話すことができなくなる精神疾患。子供に多く、小学生500人に1人の割合で発症するといわれ、みいちゃんの場合も、家庭以外の学校や外では言葉が出なくなる。
さらに特定の動きができなくなる「緘動(かんどう)」が現れることもあり、取材の途中では、みいちゃんが急に冷蔵庫の前で立ち尽くす場面も。しかしすぐに作業に戻って、その後は14歳の人気パティシエの巧みな手さばきを見せてくれた。
2つと同じもののない独創的で愛らしいケーキや焼き菓子は、いまや海外でも評判で、インスタグラムのフォロワーは1.7万人を数える。
「みずきの不登校の時期もあり、お菓子作りやお菓子工房のオープンは、この子の自立と社会適応訓練のためという意味合いも大きかったんです」
■いつの日か、何でも話せる友達を。工房から一歩ずつ、挑戦を続けていく
取材中、お店は仕込み日で閉まっていたが、今年3月から冷蔵機能のあるロッカー式の「みいちゃんの自動販売機」が店頭に設置されていて、焼き菓子などを買うことができる。
冒頭の女性が購入したのは、“みいちゃんのハートフィナンシェ”。
「この繊細なデザインとカラフルなお菓子を見てるだけで、もう、心がほっこりしてきました」
見た人、食べた人の心を瞬時につかむ、みいちゃんのお菓子の不思議な魅力。その基になっているのが、今は中3となり、養護学校に通っているみいちゃんの“こだわり”だと、千里さんは言う。
「場面緘黙症という病気の特性であるこだわりが、お菓子作りに大きく反映されていると思います。みずきは、その日、作りたいと思ったものを作ります。自分の思いを突き詰めて、その感情をケーキに込めているんです。こだわりということでは、近所の農家さんに収穫体験に行ったことがきっかけで、地元産の材料をよく使うようにもなりました」
そこから“みいちゃんの玄米サブレ”などの新商品も生まれた。
リピーターも多く、オープン後に始まったオンラインショップでは6カ月待ちの商品も。
「最初にお話ししたように、みずきはマイペースなうえにこだわるので、どうしても生産量が追いつきません。
ずっと娘を見守るスタンスができていた両親だったが、オープン後の注文殺到を前に、一度はどちらかが仕事を辞めて店の営業日を増やすことなども検討したという。だが、
「私たち夫婦は、今までどおりにフルタイム勤務を続けて、ケーキの売り上げを生活の基盤にするようなことはしないと決めました」
すべては、みいちゃんに、今までどおりにケーキを作り続けてほしいと思ったからだ。
「一度だけ、みずきのスマホ画面が目に入ったことがありました。ズラーッとまだ作っていないケーキの名前とレシピが並んでいて、驚きました。そのとき、あの子の小さなころを思い出したんです。かんしゃくを起こしては家族を困らせたみずきですが、きっと私たちの何倍も外からの刺激を受け止めて、感情を爆発させていたんですね。ですから、今は、その感情をケーキ作りに反映できるような環境を用意してあげるのが、私たちの役目と思っています」
その一方で、いつも一緒にいる母親だからこそわかることもある。
「思春期になって、これまではなかった工房での変化もあるんです。今日はケーキ作りにノッてないなとか、レシピが送られてくるのがやけに遅いなとか。中学には通っていますが、いまだに給食は食べられず、午前中だけの通学です。10代半ばの女の子の心は、たとえ病気を抱えていなくても揺れるものですよね」
先日のこと、みいちゃんの双子の兄・一樹さんが自宅に友人を連れてきた。その後、兄から聞かされたみいちゃんの言葉は千里さんに重たかった。
「私には言いませんでしたが、一樹がお友達と楽しそうに遊んでいるのを見て、『いいなぁ』と本音を漏らしたそうなんです。だから、みずきにも、なんでも話せる友達が一人でもいいからできるように願っています。普通の子がしている遊びを、いつかできるようになるといいですね。ヒントはあるんです。アイドルグループが好きだから、LINEなどを通じて“推し”仲間ができればと」
思春期の苦悩を乗り越えようとするとき、やっぱり支えとなるのは家族と工房の存在だろう。
「来春は、高校進学が控えています。これも、本人とも話して、みずきも『行く』と言っています。前に踏み出すことができるというのも、帰ってくる場所があるからだと思うんです」
千里さんは、折に触れて、みいちゃんに言い続けている。
「ずっと、このままじゃないからね。いつか、みんなとも話ができるようになるからね」
みいちゃんからの返事は、残念ながらない。そんなとき母は、彼女の小6の卒業文集の「私の夢」と題された作文の最後を思い出す。
〈中学校に行きながら3年後にケーキ屋さんをグランドオープンできるようにがんばります。
今は言葉はなくても、ケーキやプリンに一つずつ描き込んでいくハートやスマイルマークで、みいちゃんはずっと、みんなに語りかけている。
■コロナ禍でも、安心してお菓子を届けたい。生ケーキの自動販売はみいちゃんの発案だ
「じゃ、がんばる」
昨年9月、東京パラリンピックの聖火ランナーに選ばれた、みいちゃんと一樹さん。最初は嫌がっていたが、最後は「オレたち2人ならだいじょうぶや」という兄の言葉で納得し、みごと大役を果たした。
また、今年4月の発達障害啓発週間には、みいちゃんの作った斬新なブルーのケーキが話題に。千里さんは、
「青い色には驚きましたが、みずきは自閉症啓発のシンボルカラーなので採用したようです。完成すると、多くの人から『青い色して、あんなにおいしそうなケーキは見たことない』との声が。何より、最初に見た私が感動しましたから。またまた親ばかですね(笑)」
およそ1年後の春には、みいちゃんの中学卒業とともに、工房のグランドオープンが控える。
「とはいえ、一人の自立した大人として、ケーキ職人の道を行くスタートというだけで、開店日のペースなども変わらないかもしれません。もちろん、目標としていた黒字化も計画を変更して、今はまったく考えていません」
千里さんは、むしろ同じ病気があったり、夢に踏み出すことをためらっている人のためにチャレンジを続けたいと話す。
その一つが、この5月16日に始まったばかりの自動販売機による生ケーキの販売だ。
「もともと自販機は、コロナ禍でのお客さまの利便性と、対面販売が苦手なみずきのことを思っての設置でした。最初は焼き菓子で始めましたが、この春、みずき自身が、『生ケーキも届けたい』と言いだしたんです」
千里さんによれば、初日は12個のうち8個が売れたという。まずまずの滑り出しだろう。母と娘の二人三脚のケーキ作り、そして夢へのチャレンジは続く。
「いつか、パリに行きたいです。場面緘黙症の治療には、大胆に環境を変えることもいいとお医者さんにも言われていて、実はコロナ前にも計画していました。でも治療目的ではなく、あくまで家族旅行。みずきも私たちも、やっぱり一度はパティシエの本場を体験してみたいですから」
パリの華やかなショーケースに接したあと、みいちゃんの工房から生み出されるお菓子には、どんなメッセージが込められるだろう。