全身に転移した末期がんと心不全のため、余命わずかと主治医から告げられ、残された時間を娘家族と同居の家で過ごすために退院した保田正さん(75)。そんな保田さんの、人生最期の願いは、故郷の海を眺めること、そして家族と温泉を楽しむことだった。

鼻には酸素チューブ、尿道にもチューブが入り、脚はひどくむくんで保田さんは立つことさえできない。

けれど、「2泊3日の熱海に出発ですよ」と声をかけられて洋服に着替えた瞬間、どんよりと寂しげだった表情が、キリッと引き締まった旅人の顔に変わった。

東京都品川区の家を11時に出て、介護タクシーで品川駅へ。熱海駅まで40分弱の新幹線では駅弁をパクパクと平らげ、熱海駅からは再び介護タクシーで東伊豆の海辺へ。波打ち際まで車いすのまま移動すると、保田さんは感無量のまなざしでつぶやいた。

「ああ、帰ってきた……」

目の前には、6月の穏やかな太平洋が広がっていた。

「海が好きなおやじだったから、自分も子供のころから海が好きで」と話す保田さんは、寄せ返す波音に包まれながら、少年時代の父との光景を思い出していたのだろうか──。

車いすの傍らで見守っていたのは、保田さんの最期の願いをかなえた医師の伊藤玲哉さん(33)。いま、’21年のあの日の写真を見ながら伊藤さんは語る。

「海を眺めながら少し暑くなってきたころ、保田さんは自分でシャツのボタンを外して胸を開いたんです。『暑いんですか』と聞くと、楽しそうに『いや。先生の隙を見て、海に飛び込もうと思ってね』と。

『あ、それはちょっと(笑)』と答えて、さりげなく僕が海側に回りました。ご本人は童心に返って、いきいきと過ごされていましたね。翌日には娘さん家族も合流されました」

旅行中、「もう苦しくないから」と、酸素チューブを自ら外したこともあるほど、元気を取り戻した保田さん。伊藤さんは慌ててつけてもらったという。

「私たちがエベレストに登るくらい酸素が薄いはずなのに、ご本人は平気だっておっしゃる。旅行ってすごく不思議なんです。

保田さんに限らず、それまで痛みを訴えていた方が、痛くなくなったりする。熱中することがあると、人ってつらさを忘れるんだなと感じます。旅行には、苦しみを和らげる力があるんじゃないかって」

■病気であってもその人らしく生きるそのための選択肢の一つが旅行

終末期や難病など病気で諦めていた人の旅行をかなえるための会社、トラベルドクター株式会社を伊藤さんが設立したのは、’20年12月24日のこと。

終末期の患者を多く診ていた研修医時代から抱いていた夢だったが、同僚や先輩に話しても「伊藤がまた妄想をしゃべってる」と笑われるのがオチだったという。

「でも、殺風景な病室の天井を見上げながら人生の最期を過ごさざるをえないって、自分なら耐えられない。患者さんたちがその人らしく生きるための医療があってもいいと思ったんです。

その一つが旅行です。実現すれば絶対に誰かの役に立つ。でも多くの面で生半可にできることではないし、自分の人生を懸けるしかないと踏ん切りをつけたんです」

’20年12月、トラベルドクター株式会社を設立。コロナ禍で活動が制限されるなか、まずは広く事業内容を知ってもらうために、ボランティアで行うプロジェクト「たびかな(旅叶)」を同時に立ち上げた。医療、介護、旅行関係などの有志が集まり、旅行資金はクラウドファンディングで調達した386万円。

こうして数々の患者の願いをかなえるための活動がスタートした。

これまで「たびかな」では15組の願いをかなえてきた。

「でも裏を返せば、100件の相談を受けていますから、85組はかなえられていないんです」

実現できない壁はふたつある。まず、家族・主治医というキーパーソンのうち誰かが反対すれば難しい。
そしてもうひとつが時間の壁だ。

「現地調査や宿の手配や交渉、交通機関や地元病院との連携、スタッフの人員配置、福祉用具の用意など旅行の準備はすっかり整っているのに、直前にご本人が入院してしまったり、亡くなられたり……。相談があと一日早ければ、というのは何度も経験しています」

■「旅行先の写真では笑顔で元気な父だから、それを見て自分も頑張れる」と娘が語った

保田正さんの長女・西川彩さんはいま、「あの旅は、父には夢のような時間だったと思います」と、熱海旅行を笑顔で振り返る。

「父は、ずっとお風呂に入れなくて、シャワーが1週間に一度と、旅行前はすごく状態が悪かったんです。それが熱海では目の前に海のある露天風呂につかっていて、すごく気持ちよさそうで、びっくりしました」

この部屋付きの露天風呂スペースには、6歳と2歳のお孫さんもやってきた。入浴する保田さんに付き添っていた伊藤さんが語る。

「お孫さんたちは『正さん、正さん』と呼びながらはしゃいで、お姉ちゃんは背中を優しく流してあげていましたよ。

最初は幼い印象だったお孫さんが、おじいちゃんの車いすをちゃんと押してくれたりしたので、帰りの新幹線ではお姉ちゃんに任せっきりで大丈夫でした。お孫さんにとっての熱海は、ただの観光地ではなく、おじいちゃんと行った特別な場所になるのでしょうね」

それにしても彩さんは、トラベルドクターによる旅行への不安はなかったのだろうか。

「本人が行く気満々でしたし、伊藤先生にすべてお任せでしたから、不安は全然なかったです(笑)。父は天真爛漫というか子供みたいな人で、旅行や食べること、飲むことが大好きだった。夕食ではビールで乾杯もして、『明日はどこ行こうか』とか、楽しそうでした」

帰宅して2週間後、保田さんは息を引き取ったという。それから1年半。

「あっという間ですね」

と彩さんは話す。

「いまもすごく寂しいですけど、あのとき一緒に旅行ができたから、よかったなという気持ちが大きいです。熱海での写真を見ると弱々しい父じゃなくて、笑顔で元気な父だから、私も頑張れます」

■人生の最期まで幸せに生きられるというメッセージを世界に発信したい

’22年5月から、ボランティアプロジェクトの「たびかな」とは別に、トラベルドクター社としての事業を本格的に開始した。代表取締役の伊藤さん以下、社員は看護師1人、理学療法士1人。これまで50件の相談を受け、15組の旅行をかなえてきた。

伊藤さんが提案するのは“5番目の冠婚葬祭”だ。

「冠婚、つまり成人式と結婚式のあとが、一気に葬式なんですよね。病気になったときでも、大きなイベントがあっていいじゃないかって。医師になって、人はやりたいことがあっても忙しさなどにかまけて後回しにすることが多いと感じています。たとえば親孝行のための旅行というイベントなら、日常では口にできなかった『ごめんね』とか『ありがとう』も言える。

亡くなってから後悔するような形で豪華な花を飾るより、生きているうちに伝えたほうがいいと思うんです」

伊藤さんは、大型ワゴン車を福祉車両に改造し、特注のストレッチャーや医療機器も搭載した「トラベルドクターカー」を購入している。人生最期の旅路を歩む人たちへの思いのこもった車だ。

「広々とした8人乗りです。移動手段としてだけでなく、ストレッチャーを操作すれば外の景色も楽しめるし、好きな音楽をかけて家族で食事もできる。もうドライブですね(笑)」

この車を運転するために、教習所通いをして普通二種免許を取得したというから徹底している。

「トラベルドクターのテーマは、生き方なんです。人生の最期まで幸せに生きられるというメッセージを世界に発信したいんですよね」

取材の前日は大阪の大学で講演。取材後はオンラインでのコンサルティング業務と伊藤さんは多忙だ。けれども柔和な顔に疲れは見えず、どこまでも颯爽としている。

【後編】末期がんや難病の患者に希望を与えるトラベルドクター・伊藤玲哉さんの挑戦!へ続く