79回目の終戦記念日となった8月15日。日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に、天皇陛下と雅子さまが出席された。
「戦中生まれで、父親が戦死している尾辻秀久参院議長や遺族代表の言葉に、陛下は何度も小さく頷かれ、雅子さまは真摯に聞き入られていました。雅子さまの優しいご表情が印象に残っています。
8月に入られてから、15日の追悼式への出席を最優先に、雅子さまはご体調を整えられていたそうです。いかに終戦記念日で平和を祈り、戦火に倒れた数多くの御霊に対して、不戦を誓われることを大切にされているかが伝わってきます」
皇室にとって重要な一日に、陛下とともに準備をされてきた陰で、雅子さまを公私ともに支える側近チームに、新たな人材が加わっていた。7月26日付の人事で、大久保恭子さん(54)が新たに侍従職女官として着任していたのだ。
「先月12日付で、ご成婚翌年から女官として両陛下や愛子さまを支えてきた岡山いちさん(77)が、勇退されました。雅子さまが体調を崩されて軽井沢での転地療養を行われたときや、愛子さまが“登校不安”を訴えられたときも、岡山さんは献身的にお世話にあたってきたのです。
ご一家が絶大な信頼をおく側近が去ったことは痛手だったでしょうが、スムーズな引き継ぎや新たな人材が加わったことで、雅子さまも安心して終戦の日に向けてご準備を進められてきたようです」(前出・皇室担当記者)
女官は雅子さまのご日常にとって重要な存在だ。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんはこう話す。
「侍従と同じく、公私にわたってお世話をしますが、女官はよりプライベートな事柄に関わります。プライベートに深く関わることからも信頼関係が重視されるつとめであり、人脈を駆使して適任者を探し、採用しているようです」
だが先月採用された大久保さんの経歴は、ほかの女官と比べて異色ぶりが際立っているという。
■教育分野に従事したキャリアにも期待が
「大久保さんは、20年前まで都内の有名私立小学校で教師を務めた後、塾講師や家庭教師など、民間で教育分野に関わってきた女性で、ほかの女官とは異なったキャリアの方です。
たとえば2015年に東宮女官長に就いてから、現在も女官長として雅子さまに仕えている西宮幸子さんは、夫が駐中大使などを歴任した外交官の故・西宮伸一さんで、海外経験が非常に豊富です。
また、元通訳のキャリアがある木本彰子さんや津島南枝さん、皇太子妃時代から雅子さまの海外ご訪問に随行する箱嶋明美さんなど、現在の女官の陣容は、歴代でも屈指の国際派ぞろいなのです」(前出・皇室担当記者)
女官の採用にあたっては語学力を優先して選んでいることはないというが、これまでは宮内庁をはじめとする省庁の幹部、旧華族に連なる人から選ばれるケースがほとんどだったとされる。この“最強チーム”に大久保さんが起用された狙いは、どこにあったのか。
「そうした人脈から選ばれるので、自然と社会的なステータスやキャリアを持っている方が選ばれることが多いのです。
いっぽうで、大久保さんに白羽の矢が立ったのは、やはり今後のご公務で、教育や児童福祉といった分野へのアプローチをいっそう強めていきたいという雅子さまのお気持ちも大きいように感じています」(宮内庁関係者)
雅子さまはご成婚前より、国内外の恵まれない子供たちの生活や教育を支援する活動に強い関心を持たれてきた。傷ついた子供たちへの温かな慈しみは、皇室に入られてからも揺らぐことなく抱き続けられている。そしてご体調が優れない時期であっても、子供たちとの交流を懸命に重ねられていた。前出の宮内庁関係者は、
「外務省職員時代から、日本国内のみならず、世界の恵まれない子供たちの存在に心を痛められてきました。皇室に入られてからも、都内の児童養護施設にたびたび足を運ばれ、ご体調が優れなくても、子供たちに寄り添うご活動は優先して取り組まれています。
また東日本大震災の後、被災3県の中高生たちとの交流を長く続けられ、被災遺児への支援にも心を寄せられてきたように、雅子さまの“子供を救う”という使命感は一貫しておられるのです」
皇后となられて5年あまり。貧困に苦しむ世界中の子供たちの生活や教育環境についての活動を加速させていきたいお気持ちを、雅子さまは日々募らせているという。
■母娘二代で女官に!継承される信頼関係
「雅子さまは日々さまざまな事柄を女官と相談されています。国際派の女官たちに、長らく教育の現場に通じた大久保さんがチームに加わることで、新しい知見がご公務に反映されることを期待されているのでしょう。子供たちを支援するご活動の幅も、多様な形にシフトしていくはずです」(前出・宮内庁関係者)
子供たちを救うため、新たに側近に加わった“熱血教師”。実は、心強い人材を雅子さまと結びつけたのは、ご一家に仕え続け、愛子さまも“ばあや”として頼りにされてきた元女官の岡山さんだったのだ。長年の知人はこう明かす。
「恭子さんは、岡山いちさんのご長女です。岡山さんが東宮女官となってしばらくしたころ、泊まり勤務もある女官の仕事と、お母さんの介護との両立に悩まれていたことがありました。
そんな岡山さんの姿を見かねて恭子さんは教師を辞め、おばあさんの介護にあたるようになったと……。岡山さんも、恭子さんへの感謝をよく口にされていました。雅子さまのご活動やお気持ちを最もそばで見てきた岡山さんだからこそ、現在の女官チームに恭子さんを推薦されたのでしょう。
母娘の二代で雅子さまにお仕えすることになって、岡山さんも『ありがたいことです』と感慨深そうな様子でした」
女官の近親者が女官となることはめずらしいことではないと、前出の宮内庁関係者も語る。
「平成のころに女官長を務めた井上和子さんは明治の元勲・木戸孝允の末裔で、その姪にあたる濱本松子さんも女官長を務めました。
こうした継承の形について、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう話す。
「終戦直後まで、侍従や女官は旧華族家の子女が多く、互いに親戚関係がある人ばかりでした。しかし近年は官界や実業界から女官となる人も増えており、たしかに岡山さんのケースはめずらしい形のようです。しかし女官の採用や育成が親戚関係にある人々の間で受け継がれることは、皇室の方々との信頼関係が継承されていくこととも言えるでしょう」
楽しいときもつらいときも、30年身を粉にして天皇ご一家に生涯を捧げてきた“ばあや”。これからはその女官魂を継承した最愛の娘が、雅子さまを支えていく。