満面の笑みで、優勝者にトロフィーを渡された三笠宮家の寬仁親王妃信子さま。賜杯授与式の会場は拍手に包まれ、信子さまと一緒に出席していた高円宮憲仁親王妃久子さまも、笑顔で拍手をされていた。

だが会場で、ただ一人、顔から表情を消し、微動だにしない女性が。それは信子さまの長女・彬子さまだった。

皇室担当記者は言う。

「2月28日から3日間、北海道札幌市で『第96回宮様スキー大会国際競技会』が開催され、3月2日の賜杯授与式には信子さま、彬子さま、久子さまが臨席されました。

宮様スキー大会は、秩父宮雍仁親王が北海道でのスキーを奨励したことがきっかけで、1930年に初めて開催されました。皇室と長年にわたってゆかりの深いスポーツ大会であり、秩父宮杯、常陸宮杯、三笠宮杯など、多くの皇族から賜ったトロフィーが優勝者に授与されます。亡き寬仁さまも、スキーの普及に努められており、妻の信子さまにとっても、長女の彬子さまにとっても非常に思い出深い競技会なのです」

だが寬仁さまが存命でいらしたころから、亀裂を深めていた信子さまと彬子さまが語り合われるお姿は、今年の競技会でも見られることはなかったという。

「園遊会などと同様に、同じ空間に居合わせても、お互いに無視されているそうです。

信子さまは4月で70歳になられます。’23年9月には左足首と腰を骨折して入院されていますし、宮内庁内には、スキー競技観戦などのお体に負担がかかるような行事へのご参加は見合わせたほうがよいのではという意見もあるのですが、ご本人は“寬仁親王妃”としての臨席にこだわられているようです」

信子さまは、今年の賜杯授与式では9つの賜杯を授与され、そのなかには三笠宮杯、三笠宮妃杯や寬仁親王牌もあった。

「“生まれながらの皇族”にして、三笠宮家と寬仁親王家の正統な後継者を自任されている彬子さまとしては、面白かろうはずはありません。しかし、宮様スキー大会を欠席してしまえば、“寬仁親王ゆかりの公務を信子さまに譲った”とも見なされかねません。

それも彬子さまにとっては許しがたいことでしょう」

北の大地でぶつかり合っていた親王妃と女王の“意地”。百合子さまが薨去されて以来、“三笠宮家の当主”を巡る争いは三つ巴の様相を呈していた。三笠宮家の関係者によれば、

「瑶子さまは信子さまと絶縁状態にあるだけではなく、お姉さまの彬子さまに対しても複雑な感情を抱かれています。

彬子さまは研究活動などのために京都に滞在されることも多く、瑶子さまとしては、高齢の祖母のお世話をし、三笠宮家を取り仕切ってきたのは自分だというお気持ちがあるのです。瑶子さまは彬子さまのことを、“1カ月に1回も帰ってこないような人”と評されたこともありました。

天皇陛下が即位されるに際し、百合子さまは大正天皇の后である貞明皇后からいただいたブローチを、瑶子さまに譲られたのです。瑶子さまにとっては“後継者として認められた証し”ともいえるお品に思えたのでしょう」

■宮内庁が憂慮するご家族のさらなる関係悪化

だが“後継レース”に新展開があったという。三笠宮家と交流のある人物は次のように語る。

「12月に、瑶子さまの私的なお写真がSNSに投稿されていたことが立て続けに報じられました。

昨年8月に瑶子さまは、アメリカへ私的に旅行し、自動車イベントも視察されています。 イベントに協賛していた中国系アメリカ人の実業家が、その際の瑶子さまのお写真をSNSにアップしたのですが、それは何台も並んだフェラーリを背景に、Tシャツ、サングラス姿の瑶子さまがポーズをとられているものでした。そのご様子もさることながら、宮内庁内で問題とされたのは、Tシャツに企業ロゴがあしらわれていたことでした」

常に公平性に配慮しなければならない皇族としてふさわしくないのでは、という意見が宮内庁内には多かったという。

「イベントにはチャリティの側面があったとはいえ、“広告塔”ともみなされかねず、瑶子さまは宮内庁から厳しく注意を受けられたと聞いています。

また彬子さまも報道後、『皇族としての自覚が足りない』と激しく怒り、瑶子さまにお叱りの言葉を伝えられたそうです。

宮様スキー大会には、“瑶子女王杯”もありますが、瑶子さまが現地に赴かれなかったのは、“後継者争いから脱落してしまった”という痛恨の思いを抱かれていたからなのかもしれません」

2月22日に、百合子さまの「墓所百日祭の儀」も執り行われ、いよいよ宮内庁とお三方との話し合いが始まるというが、宮内庁関係者はこう嘆息する。

「宮内庁としては、2~3カ月をめどに結論を出す方向です。ただ、お三方の関係修復は不可能と見なされており、拙速に三笠宮家の宮号をどなたが冠することになるのかを決めてしまうことで、関係をさらに悪化させることを憂慮しています。

“落としどころ”としては、皇室経済会議を開き、特に当主は決めず、お三方それぞれが独立した世帯主として家をかまえるという形になるのではないでしょうか」

三笠宮家に穏やかな春が訪れる日は遠そうだ。

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