《皆様から再び信頼をいただき、応援いただくことは難しいと判断したため、ここでグループとしての活動に区切りをつけることといたしました》

6月25日、TOKIOが解散を発表した。メンバーの国分太一(50)をめぐっては、20日に無期限活動休止を発表したばかりだった。

20日、日本テレビが「問題行為が複数」あったと発表し、『ザ!鉄腕!DASH!!』を降板した国分。24日には『世界くらべてみたら』(TBS系)も降板。関係者へのセクハラやパワハラが報じられているが、好感度の高いタレントとして浸透していただけにお茶の間に与えた衝撃も大きかった。

国分の“優等生”という印象を強めていたのは事務所内での立ち位置にもありそうだ。

「就任して補償業務に務めることになりました。その際、東山さん、藤島ジュリー景子さん、井ノ原快彦さん(49)、木村拓哉さん(52)によって開催された決起集会に、国分さんも参加していたのです。株式会社TOKIO-BAの社長という立場もあったのだとは思いますが、ジャニーズ事務所内でも重要視された存在だったことがわかります」(芸能関係者)

国分も自身の位置づけを意識していたのだろう。ある役職に自ら立候補していた。

「事務所が性加害問題に揺れるなか、国分さんは“アーティストコミッティ委員長”に就くことになりました。所属タレントのケアをしたり、タレントとスタッフをつないだりする役割だといいます。国分さん自身も“何か悩みや困ったこと、スタッフに相談しづらいことがあれば、まず自分に言って”と伝えていたそうです。

当時のジャニーズ事務所では広告契約が見送られるタレントが続出しており、不透明な先行きに不安を抱くタレントも多かった時期。

それだけにアーティストコミッティ委員長は、タレントの精神的な面を支える上でも重要な役職だったことでしょう」(前出・芸能関係者)

しかしそれも“表の顔”だったのかーー。国分はスタッフにもタレントにも攻撃をしていた。

「日テレの番組で共演した事務所の後輩に容姿を揶揄するような発言を繰り返したり、機嫌が悪いときにはスタッフに目も合わせなかったりと、国分さんは長年にわたって関係者に厳しい態度で接していました。事務所の後輩の間でも“国分さんは面倒くさい先輩”との認識が広まっていたというほどです。

後輩たちは、国分さんがこの役職に就くと知ったときどんな思いだったのでしょうか。相談したい相手とはとても思えませんが……。実際にどの程度機能していた役職なのかはっきりしませんが、今後も“アーティストコミッティ委員長”と名乗り続けるのは難しいでしょう」(前出・芸能関係者)

セクハラやパワハラを働く“裏の顔”を持ちながら、どのような思いで委員長に立候補していたのかーー。

編集部おすすめ