「お母さん、お姉ちゃん。ごはんが炊けたみたい」

築110年という趣ある家の居間でのインタビュー中、次女の陽子さん(41)が告げると、母親の佐知代さん(75)がこう言う。

「今日は、32年間自然農法で作り続けてきたお米のおむすびを食べてもらおうと思って、炊いておいたんです」

台所に移り、ガス釜の蓋が開けば、途端に湯気が立ちのぼり、キラキラと純白に輝く米が現れる。慣れた手つきでおむすびを握りながら、長女の桃子さん(44)が、こう言う。

「お米の味を知ってもらうには、まず食べていただくのがいちばんだよねと3人で話したんです。お米の品種は『日本晴』。あっさりした味わいで粒が立っているので、おむすび向きです。あとで、お弁当にしてお渡ししますね」

滋賀県東近江市綺田町。琵琶湖由来の豊かな水と土壌に恵まれたこの町で、東京ドーム1つ分の約5町(1万5千坪ほど)の田んぼにて、母娘3人で農薬や肥料を一切使用しない「秀明自然農法(以下、自然農法)」で米づくりをしているのが池内農園だ。

昨年から続く“令和の米騒動”で米価が高騰し、備蓄米放出や農業の大規模化といった議論が続くなか、池内農園は、女性を中心にこだわりの米づくりを続けている。

「最近の夏場の暑さは異常でしょう。お湯の中に苗さんがつかっているという状況なので、田んぼに向かって『ご苦労さんです。暑いなか、よろしゅうお願いします』と声かけしながら作業してます」(母・佐知代さん)

現在は池内農園の中心となって働く長女の桃子さんも、こう述べる。

「農業の大変そうというイメージを変えて、『私もやってみたい』と言われるようにしたい。

ですが、現実は周囲の田んぼを見ても、働いているのは70代や80代の人ばり。日本の農業はどうなるのか、と心配になります」

最初の取材は、多忙を極める田植えの妨げにならぬよう、本格シーズンに入る前の4月に行われた。きたる田植え本番の際には、撮影で再訪させていただく約束をして、インタビューを終えた。

慌ただしく飛び乗った帰路の新幹線の中、別れ際に手渡されたおむすびを頬張れば、しっかりとした米粒の歯ごたえを感じるとともに、豊潤なうま味が口中に広がっていく。「こだわったお米はやっぱりおいしい」と疲れがすっかり消えていくと同時に、いましがた彼女たちに聞いてきたばかりの、この一粒の米ができるまでの歳月と苦労が思い起こされるのだった。

■ハイカラ娘が、田んぼの面白さに没頭。子育てしながら20年以上一人で米づくり

池内農園の母・佐知代さんは、1950年、ここ綺田町で代々続く農家の4人姉妹の3女として生まれた。

「高校1年生で父が亡くなったあとは、母が農業を続けていました。私は姉妹のなかでも“ごくたれ(怠け者)”で、少女のころから田畑の手伝いもしてこなかった。高校卒業後は京都で商業デザインの仕事をしていましたが、ある日突然、母から『長女を嫁に出すから戻って田んぼを手伝って』と言われるんです」(佐知代さん、以下同)

そうして22歳で農業を継いだとき、池内家の田んぼの広さは1町8反(約5千400坪)だった。

「当時は農薬も使う、一般的な農法でした。母は私に手取り足取り教えてくれるわけではなく、日々の作業を日記につけることにしました。

その日記を後で読み返して、毎年試行錯誤の連続でした」

周囲から見れば、元デザイナーのハイカラ娘。「あんな小娘に農業ができるわけない」と言われたこともあったが、農園を継いでから20年以上、たった一人で頑張ってきたことで、近所の人も次第に、応援してくれるようになっていったという。

そして28歳で、繊維会社の会社員と結婚。その翌年から、長男の満さん、長女の桃子さん、次女の陽子さんを出産し、3人の子の母親となる。

「田んぼが面白くて。ますます張り切って、どんどん広げていきました。その分、子育ては正直、母任せでしたね。ところが、1992年の1月。突然、夫に末期の肝臓肉腫が見かって入院し、そのまま夏に亡くなりました。43歳の若さでした」

悲しみに暮れるなか、同じころ、知人から「農薬も肥料も使わない自然農法をやりたいが、1枚でも貸してもらえる田んぼはないか」との声がかかった。

「最初はわずか1反7畝をお貸しすることにしました。その方が自然農法を実践する姿を見ているうちに興味がわき、自分もやってみようと、翌年から一部の田んぼを自然農法に切り替えました」

当時、自然農法はまだまだマイナーで全国的にも珍しかった。

しかし佐知代さんは、米の流通が自由化したタイミングも相まって、周囲の目も気にせずに、がむしゃらに農作業に没頭していった。

「始めてみると、一生懸命だったので大変と思っている暇もありませんでした。私自身、農薬を使うと顔がパンパンに腫れたりするので、もともと農薬も控えめに使っていて。予想よりすんなり切り替えられて、そこからほかの田んぼもすべて自然農法に切り替えました。それまでの農法から変えるのはもちろん大変でしたが、たくさんの方に支えていただいて、これまでやってくることができました」

佐知代さんの苦労を幼少期から見ていた長女の桃子さんにも、こんな思いが。

「物心ついたときには、母はいつも田んぼにいました。毎日、朝から晩まで汗にまみれて働く大変そうな母の姿を見て『私は生産者には絶対になれない』とずっと思っていました」(桃子さん、以下同)

■どんな作業もじっくり、ていねいに。母の背中に学ぶ自然農法との向き合い方

少女時代から、自他ともに認める行動派だった長女の桃子さん。外国語短期大学を卒業以降は、さまざまな経験を積んでいく。

「19歳のとき、初めて行った海外はフィリピン。そのときに感銘を受け、海外ボランティアがしたいという夢を抱き続けていましたが、SARSの流行によっていったんは夢を断念して就職。ですが、母はその夢をいちばん応援してくれていました。

母に背中を押され、お金をためてアメリカとカナダに留学し、現地でボランティア活動もしました」

24歳で帰国すると、「夢を応援してくれた母のために親孝行ができたら」という思いで、自然農法を伝える手段として料理の道へ。

「飲食店で働いているとき、お客さまに『この食材はどのように作られたのか』と質問をされたことがありました。そのとき、食材の魅力を伝えるには、実際に生産して、その食材の背景を知ることが大切と気づいたんです。

それでも母の苦労が頭をよぎり、農家になる決断はできずに悩んでいました。そのころ知り合ったのが、日本に来られていたイタリア人のオリーブ農家さん。相談すると、彼女は『あなたの魂が喜ぶことをしなさい』と。それで母と一緒に働こうと、まさに腹をくくって就農を決断しました」

そうして2010年、29歳で池内農園に就農を果たすが、現実は想像をはるかに超えていた。

「ずっと室内の仕事だったのが、今度は外の重労働でしょう。まず体がきつくて、1年間で5kgほど痩せました。自然農法では、夏場の草取りも、はいつくばっての作業でしたから、腰痛になるし。あとはもう、母とバトルの日々。私なりに考えて『お母さん、が料理を作るから、もっとたくさんの人に農園に来てもらえるようにしたらいいんじゃない?』と言えば『まずやってからものを言え!』と母に言われ……。

このひと言は、ズシンと重かったです」

次第に母を師匠と仰ぎ、その一挙手一投足を目で追うようになって、背中を見て学んでいった。次女の陽子さんに、「お姉ちゃん、ずっとお母さんのこと目で追いかけてるね」と、驚かれたことも。

「そうすると、どんな作業でも母がじっくり、ていねいに、時間をかけている意味がわかったんです。決して非効率なのではなく、すべて意味のあることなんだと。母を追いかけ続ける生活が10年ほどたったとき、ようやく、自然農法のことが少しわかるようになってきました。それでも、日々自然環境は変わるので、毎年“1年生”という気持ちは変わりませんが」

34歳のときには、地元出身のサラリーマンと結婚。

「家庭を持つにあたっては、母がそうしていたこともあり、ふだんの生活(家事)もちゃんとしようと決めていました。毎日多忙な私を支えてくれている夫にはとても感謝しています」

農閑期となる12月から2月をのぞいて、起床は早朝5時だ。

「お弁当作りと掃除をすませて、朝8時に家を出て田んぼへ。日暮れまで農作業をして20時に帰宅。炊飯器でごはんが炊き上がるまでの30分ほどの間におかず3品を作り、夫と夕食。その後入浴や、インスタを更新したりで、帰宅後はまさに戦場です」

こうして農業と主婦業を両立させながら、農閑期には、料理のキャリアを生かしてレシピ制作や料理教室などフードコーディネーターとしての活動も行う。

また、2018年には滋賀県の女性農業者団体「しが農業女子100人プロジェクト」の理事にも就任した。

「最初は5~6人の農業女子会でしたが、農業を続けていくうえで共通の困り事や悩み事を解決していけるようにしたいと、団体を立ち上げました。今では県内にたくさんの農業女子仲間ができて、励まし合い、切磋琢磨しています」

プロジェクトを長く続けていて、わかったことがある。

「女性には女性ならではの悩みがあります。専業農家になりたい場合は、農作業をやりながら子育ても、家事も……となって、つまりは“休みなし”の状態になりがち。女性が、家族を大切にしながら農業に参加しやすくするにはどうすればよいのか。家族の支えや行政など、周囲のサポートは必ず必要になります」

そしてコロナ禍の2021年、まさしく子育てを一段落させた次女の陽子さんが加わり、母と姉妹という女性3人だけでの池内農園のユニークな米づくりが始まる。

(取材・文:堀ノ内雅一)

【後編】「国は長期的な食のビジョンを示して」“無借金経営”貫く母娘3人の米農家が明かす生産者の苦悩へ続く

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