【前編】「女3人でじっくりていねいに」滋賀県・池内農園が“無農薬無肥料”の米づくりと向き合うまでから続く
米の大切さがますます感じられる今日このごろ、猛暑の日照りにも負けずコツコツと田んぼで作業する母娘3人がいる。男性の力仕事というイメージが大きい農業。
農家は、本当に効率を重視するだけでよいのだろうか? 農業の在り方が再定義されようとしている今、彼女たちの姿勢には、持続可能な米づくりのヒントが隠されていて──。
滋賀県東近江市綺田町。琵琶湖由来の豊かな水と土壌に恵まれたこの町で、東京ドーム1つ分の約5町(1万5千坪ほど)の田んぼにて、母娘3人で農薬や肥料を一切使用しない「秀明自然農法(以下、自然農法)」で米づくりをしているのが池内農園だ。
母の佐知代さん(75)は、夫が亡くなってから1人で20年以上も米づくりを続けてきた。そんな佐知代さんを助けようと、2010年には長女の桃子さんが就農。
さらに、2021年には次女の陽子さんが農園に加わる。陽子さんは大学を出て銀行に勤務していたが、出産後に退職して2児の母となっていた。
「子供も手がかからなくなったころ、母が高齢になっていたこともあり、姉から『一緒にやってほしい』と声がかかって。それまでも農繁期には兄とともに手伝いに来てましたから、農業への抵抗はありませんでした。ただ、うちは自然農法なので、大変だろうとは思っていましたが」(陽子さん)
昨今、種や苗なども業者から買う米農家が多いなか、池内農園では、種を自家採種し続けている。「自然農法でいちばん肝心なのは種です!」と言う佐知代さん。
「前年の秋に収穫を終えると、田んぼから土を取ってきておいて、次の春にそれを砕いて1,700枚ほどの苗箱に手作業で詰めるんです」(桃子さん)
そして今年も5月28日から、池内農園の田植えが始まった。
取材班も、田んぼでの3人の様子を撮影させてもらう約束で待機していた。ところが6月5日の朝、突然、桃子さんから電話が入る。
「すみません。昨日から母が腰痛で寝込んでしまって……週末の撮影は延期にできないでしょうか」
とっさに、米不足とともに盛んに報じられていた農家の高齢化問題が頭をよぎる。農林水産省のデータでも、65歳以上の農業従事者が70%いるのに対して、49歳以下の若年層はわずか11%。その構図が、池内家にも当てはまる。
改めて1週間後、池内農園を訪ねると、田植え機に乗っているのは長女の桃子さんではないか。それを見守りながら、昨日からようやく歩けるようになったという佐知代さんが苦笑まじりに言う。
「今、植えてるのは『滋賀旭』という滋賀県の在来種です。
すると、隣で陽子さんが、こんな言葉を。
「私は、今回のことは、母から私たちの時代への引き継ぎの、いいステップとも考えました」
桃子さんも田植え機の上から、
「私も本格的に田植え機に乗り込むのは初めて。いつも母や兄がオペレーターで、私は苗を運んだり、田んぼをならしたりと下働き役だったので。ここは四角い田んぼなので大丈夫ですが、変形したところでは、うまく乗れるか自信がありません。母が倒れたのは相当な痛手ですが、幸い、週末には兄も手伝ってくれるし、今日は有休を取って来てくれています」
平日にもかかわらず手伝っていた長男の満さん(45)にも聞いた。
「私が家業を継がずに会社員になったのは、農業がイヤなのではなく、男として将来家族を養うことを考えたとき、収入や安定した生活の面で不安になったからです。きっと、今の米問題にも通じるテーマ。もっと日本の農家が稼げるようにサポートするのも、国の仕事ではないでしょうか。桃子も陽子も、ようやってると思います。母は体力も精神も強い人。今日も病み上がりなのに、もうじっとしてません、ほら」
昨日まで腰痛で寝ていたという佐知代さんが、なんと中腰になって用水路で苗箱を洗い始めていた。
田植え作業はラストスパート。美しい若緑色をした、長さ20cmほどの苗のぎっしり詰まった苗箱を両手に持って、苦笑しながら桃子さんが言う。
「これが、苗の重みだけでなく、水分もたっぷり含んでいるからほんとに重いんです。この1枚の田んぼに数十枚必要なので、毎日数百枚運んでいます。もう、毎日、筋トレしてるみたいです」
さらに、桃子さんが声をかける。
「みんな、そろそろお茶にしよう。今日はおやつに米粉蒸しパンを焼いてきた」
ちょうど15時過ぎ。田んぼから上がると、泥まみれになった手袋を脱いで用水路で手を洗って畦で車座になる。労働から解放され、しばし笑顔になった家族たちを見ながら、桃子さん。
「実は、母が休んだのはこれが初めてではありません。3年ほど前にも腰痛と過労で『もうやめるか』と弱気になり、私も『だったら一緒にやめる』と口にしたことまでありました」(桃子さん、以下同)
それから一層キリリとした顔で、
「でも、今年は違います。この国を挙げての米騒動でしょう。
それと、もう一つ。実は昨年末、兄のところに男の子が生まれました。ママに抱っこされて、よく田んぼにも来ます。その甥っ子を見ていて、この子らが大きくなったときの日本の食を考えると、やっぱり、私たちはここで頑張っていかなければ、と思うんです。コロナ禍で感じましたが、食への関心が高いのは、やはりお母さんや女性なんですね。『自分の子に安心して食べさせられる米や野菜を作りたいから農家になりたい』という方もいらっしゃいます。それができる環境をみんなで整えていくのが、今後の課題ですよね」
田植えを終えると、次に待つのは最も過酷といえる草取り。自然農法では農薬を使わないため、雑草も伸び放題となってしまう。
「乗用の除草機は、苗を踏んづける場合も多いんですね。さらに、今の除草機の価格では、うちの面積も加味するとまだ買えないと判断しています。
手間暇を惜しまず米づくりに励んできた背景には、こんな思いが。
「消費者のみなさんに安心なお米を届けている自負と喜びもありますが、それ以上に将来の子供たちのためという思いがいちばん強いですかね。毎年、芸術作品を作っているような気持ちでお米を栽培しています。太陽の下で、自分が美しいと思う田んぼで、家族と一緒に働く。そんなとき、つくづく、この田んぼでの生活がありがたい、そう思うんです」
■無借金経営で収入が得られる自然農法。自分たちが証明して女性農家の手本に
「あっ、もう一つ、私ら姉妹にとって大切な課題があります。この猛暑に、日焼けしないこと!いや、冗談じゃないんです。私たちが望んでいるのは、自然農法を、農業をやりたいという女性や仲間が増えること。そのとき当の私らが真っ黒だったら、若いコたちが『あんなになるならやっぱり農業は無理』ってなるでしょう(笑)。ですから、私と陽子のモットーは『夏も日焼けなし』です」
桃子さんがそう言うと2人は、目元以外の顔全体が覆われる日よけカバーを付け、「よっこらしょ」と立ち上がるのだった。そして、農業の将来について語り始める。
「自然農法はもうからない、苦労ばかり。
たとえ機械で作業が効率的になっても、借金ばかりになっては、女性中心の小規模農家では、とてもやっていけない。なんでも機械に頼るのではなく、ていねいな手作業も交えた自然農法であれば、無借金でも収入を得られる。
これからの女性農家のためにも、その土台を自分たちが作りたい、と桃子さんは意気込む。
「今、国政では国産米が足りないなら輸入すればいい、大規模化やシステム農業化すればいいという議論がされていますが、どんどん生産者の存在が薄められるようで、それではあかんと思います。国はどうしたいのか。目先のことではなく、本当にこの国のために長期的なビジョンを示してほしいです」
いつも胸にあるのは、田んぼを愛おしく思う気持ちだ。
「海外留学していたときに、一度だけ風邪で寝込んだんです。『おかゆが食べたい』と思って海外の米で炊いたら、正直おいしくなかった。『ああ、ずっとうちで食べていた日本のお米っておいしいんだな、大切なんだな』と、心から思いました。そんな体験も根っこにはあります」
今は若苗で緑の田んぼが、やがて秋には黄金に色づき収穫のときを迎える。そのころの米騒動の行方は想像もつかないが、池内農園の3人は変わらず、彼女たちらしい米づくりを続けているはずだ。
(取材・文:堀ノ内雅一)