【前編】「今年も第九に挑む」“余命1年半”ステージ4のピアニスト・竿下和美さんが「わくわくしている」最大の理由から続く

ピアニストの竿下和美さん(50)は第九コンサートを’22年の年末から主催するNPO法人の理事長も務めていた。しかしその翌年、彼女は病魔に襲われた。

ステージ4の肺腺がんで1年半という余命宣告を受けたのだ。

それでも彼女は「人生わくわく」しているという。昨年末の第九コンサートを成功させて、今春から“未来に「音の灯」がともる”「音の灯コンサート」を開始。そして今年も第九コンサートへの挑戦が始まる――。

今年の“第九コンサート”に参加する子どもたちが増えた。それは竿下さんの影響があるようだ。

「そもそも音楽には、不安な気持ちを優しく癒してくれる力がありますが、がん患者の私がピアノを弾いたり、その演奏に耳を傾けたりすることで、パワーをもらえたという人がいたのです。この話を夫にしたら『教祖さまみたいやな』とビックリしていました」

新たな夢中になることが見つかった。がん患者である自分自身が演奏活動をして、病気で苦しむ人たちに勇気を与える。“ステージ4のピアニスト”という肩書で行う、無料の「音の灯コンサート」が始まった。

今年3月27日、第1回の「音の灯コンサート」が開催された。会場は、竿下さんが患者として通っている宇治徳洲会病院のロビー。

集まったのは通院や入院している患者たち150人ほど。

「《ステージ4の肺腺がんピアニスト》という屋号までいただいて活動しています。みなさまの未来に『音の灯』がともりますように、そんな気持ちを込めて演奏させていただきます」

と挨拶をした竿下さんがグランドピアノに向かう。『春よ、来い』(松任谷由実)、幻想曲『さくらさくら』(平井康三郎)とピアノの優しい調べがロビーいっぱいに広がる。3曲目のベートーベンの『ピアノソナタ「月光」より第3楽章』の前に、彼女はこんな話をした。

「ベートーベンは耳の病気に苦しみ、これから生きていくことができるのだろうかと不安に陥っていました。そんなとき自分の魂を震わせるために作ったのが『月光』です。特に第3楽章はベートーベンが新しいものを生み出していくんだという魂を込めた曲です」

激しい曲調だが、どこか温かみのあるピアノの音色が心を揺さぶる。アンコールも含めて全8曲を演奏した竿下さん。ロビーに集まった患者たちは、満ち足りた表情を浮かべていた。

■夫は「演奏や音楽イベントでいつまでも輝いている妻の姿を見ていたい」と――

竿下さんの主治医で宇治徳洲会病院呼吸器内科の千原佑介部長はこう語る。

「肺腺がんの患者さんで、高齢でもあり相談のうえ治療はしない方針の方がいました。

ところが『音の灯コンサート』で竿下さんの演奏を聴いたことで気持ちが変わったのか『やっぱり治療します』と。今では、がん腫瘍はどんどん小さくなっています。ほかにも、彼女の演奏を聴いて、治療を頑張ろうという人もいらっしゃいます。

患者さんの気持ちを前向きにさせることは、僕ら医者でもなかなか難しい。同じ病気で頑張っている竿下さんだからこそ、患者さんの心を動かせるのでしょう」

竿下さんには「音の灯コンサート」の直後から新たな活動が加わった。毎日インスタグラムでピアノ演奏の配信を始めたのだ。

「コンサートに行けなくて残念だったという入院患者さんがいたことを看護師さんから聞いたのがきっかけです。それなら毎日、演奏を投稿したら病室から出られない人でも音楽が楽しめると思って。毎日配信することで、明日はどんな曲かなとわくわくした気持ちになってくれたらうれしいですね」

そんな竿下さんについて、社会保険労務士となった夫の延日呂さんがこう語る。

「ステージで演奏したり、音楽イベントで先頭に立ったりする姿がいちばん輝いています。たしかに軽い病気ではありませんが、いつまでも輝いている姿を見ていたいです。たとえ息を引き取るときがきたとしても『昨日まで、舞台でピアノを弾いていたんやで』というような……。

もしかしたら、がん細胞と一緒におばあちゃんになるんじゃないかとも思っています」

病という不安を抱えた人の心に、88の鍵盤が生み出す音色で灯りをともしていく竿下さんはこんなことを語る。

「ピアノの音色は、そのときの自分の心境にいいように刺さる言葉となって聞こえてくることがあります。今、元気になれるはずなのに、前を向けない人はけっこう多いと思います。音楽は、そんな人の背中をちょっと押してあげることができるのです。

現在、NPO法人では子どもからお年寄りまでの全世代を対象に市民が歌い演奏する年間100以上の催しを手がけています。この京都南部・山城地域に音楽が生活とともにあることが少しずつ根づいています」

7月24日に第2回「音の灯コンサート」が宇治徳洲会病院のロビーで開催されることも決まった。“音の灯”がともせる限り、竿下さんの挑戦は続く。

(取材:日野和明/文:山内太)

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