「お食事いかがですか~? シャワーもありますよ!」
海水浴客で賑わう夏真っ盛りの神奈川県の逗子海水浴場。海の家の店先で、真っ黒に日焼けした男性が笑顔で呼び込みをしている。
その声の主は今から5年ほど前、『香水』という楽曲で大ブームを巻き起こしたシンガーソングライターの瑛人(28)なのだ。
神奈川県出身の瑛人は‘19年に自ら作詞・作曲したデビュー曲『香水』をリリース。全くの無名歌手による自主制作だったが、TikTokなどの動画配信サービスで次第に火がつき、翌年9月にはYouTubeで公開されたミュージックビデオの再生回数が1億回を突破。
さらには、同年の『新語・流行語大賞』にもノミネートされ、その勢いのまま大晦日には『第71回NHK紅白歌合戦』に出場。近年稀に見る“サクセスストーリー”を体現してみせた。
そんな瑛人はいま、逗子海水浴場にある海の家『弥栄(いやさか)』の共同オーナーとして働いている。少し痩せたようにも見えるが、あのニコニコとした表情はいまも変わっていない。
「元々僕はずっと横浜のハンバーガー店『PENNY’S DINER(ペニーズ ダイナー)』でバイトしながら音楽をしていました。そんななか『香水』がヒットしたので、一時的にバイト先を離れて音楽だけで5年ぐらい生活していたんです。
その間もずっとハンバーガー店のオーナーの直人さんとは兄弟みたいな関係で、しょっちゅう会っていました。そんな折に直人さんから『そろそろなにかやるか』と誘われたので、直人さんと共同オーナーというかたちで去年から海の家を始めたんです」
共同オーナーの湯浅直人さんは、瑛人にとって上司や友人という関係性を超えた存在。
『香水』が空前のブームを引き起こしていた‘20年、本誌は湯浅さんを取材していた。彼は瑛人の突然のブレイクに驚きつつも、当時こんな言葉を残していた。
《やっぱり音楽の世界は波があるじゃないですか。だから帰ってこられる場所は残しておいてあげたいなと。彼がいつでも店に戻ってこられるようにしています》(『女性自身』2020年10月20日号)
海の家は、こうした2人の絆が結実したものだったようだ。
■海の家ではライブを開催することも
“オーナー”といいつつも、海の家での瑛人の仕事内容は従業員と変わらない。年季の入ったTシャツを着て素足で店内をあくせくと歩き回っては、料理の配膳やテーブルの片付けなどの接客をこなし、料理が出来上がれば「31番、ロコモコプレートのお客様。お待たせしました!」と店内マイクで呼び出し。暇があれば店先で客の呼び込みまで行う。
「パラソル立て、店内の掃除、ドリンク作り、なんでもやります。冷蔵庫や木材を各所から集めてきてペンキで色を塗ったりと、お店の設計もみんなで一からやりました。
ライブがあるとき以外はいつも店に出ています。海の家は夏が勝負ですので頑張ります!」
“お客さんに本人だと気づかれることは?”と尋ねると、「まあ、たまに(笑)」とはにかんで答える瑛人。呼び込み中に海水浴客から声をかけられ、快くツーショット写真に応じる姿が取材中も度々見かけられた。
いっぽうで、東西に35軒の海の家が並ぶこのビーチではライバル店との競争も控えている。厨房で料理の腕を振るうのは湯浅さんだ。
「ウチの売りはバーベキュー。海の家では味わえないようなクオリティーの食材を提供しています。直人さんが監修しているため、料理の美味しさには自信があるんです。
時折、店内では僕のライブも開催しています。投げ銭でいきなり歌うこともあれば、弾き語りのサンセットライブを行うことも。いつも盛り上がりすぎちゃうので、もう少し落ち着いたライブにしたいですね」
現在の音楽活動についても聞いてみた。
「基本的には昔と変わらないです。最近はタイのバンドと仲良くなってタイ語バージョンの『香水』もリリースしました。海の家の営業が終わったら、日本&タイツアーを10月から行う予定です。
紅白に出たあの夜のことは、いまではそんなに思い出したりはしないですね。ただいい経験だったなというか…ほんとうに楽しかった思い出ですね」
プライベートでは’22年に幼なじみの一般女性と結婚、3児の子のパパにもなった。最後に”今後の夢”について聞くとこんな答えが返ってきた。
「音楽であっても、仮に全然違うことをしていても、“楽しい”って心から言えるような自分でいられることですね」
『香水』ブームから5年が経過してもなお、瑛人は変わらず素朴なままだった。