7月12日、テレビドラマ『サインはV』(TBS系)などで活躍した女優の中山麻理さん(享年77)が病気のため都内の病院で亡くなった。
エキゾチックな顔立ちで多くの男性ファンから愛されたが、‘80年に映画『限りなく透明に近いブルー』(‘79年)で共演した三田村邦彦(71)と結婚し、惜しまれながら芸能界を去った。
3人の息子にも恵まれたが、‘96年に三田村の不倫が発覚すると、両者の間で億単位の訴訟合戦を繰り広げてワイドショーを賑わせた。’99年に離婚が成立して以降は、3人の息子の親権を持ち、芸能界に復帰していた。
そんな生前の中山さんの素顔を、『ありがとう27 ~看護婦編~』や『太陽にほえろ! 301話 銀河鉄道』など、‘70年代の人気ドラマに売れっ子の子役として出演していた俳優・水野哲(60)はこう語る。
「初めて共演したのは『度胸時代』(‘74年)という時代劇ドラマでした。当時、麻理さんが26歳ぐらい、僕が10歳ぐらいでしたね。CBCテレビという名古屋の放送局で撮影しており、出演者も毎週名古屋に泊まりで収録していたので、撮影終わりに自然と仲良くなったんです。
クールな印象を持たれていますが、実際はおおらかな性格といって良いほどフレンドリーな方でした。麻理さんはいわゆる娼婦役だったので、胸の谷間が露になってしまうような着物の衣装だったんですが、まったく嫌がる様子も見せないんです。“こういう風にやればみなさん喜ぶんじゃない?”という大胆な感じで、彼女特有の度量の広さがありましたね」
その後、中山さんは映画で共演した三田村と結婚し、芸能界を一時引退する。
「三田村さんとの結婚後は、しばらく連絡を取っていませんでした。お二人の間に何があったのかは僕には分かりませんが……、麻理さんは元々がすごく外交的な方だったので、表に出なくなったことで色々苦労されたのかもしれません」
シングルマザーとして3人の子を無事に育て上げた晩年には、‘13年に時給850円のコンビニでレジ打ちバイトをする姿が報じられたり、’18年には単身渡米して海外旅行を楽しむ様子が伝えられたりと、自由気ままでエネルギッシュな老後を送っていたようだ。
いっぽう子役としての活動を終えた水野は、ロックミュージシャンとして音楽活動に励む傍ら、劇団の主宰者として演出やプロデュースを担当するように。
「当時、僕が演出を担当する予定だった再演での舞台『短き不在』という作品に出てくれないかと電話したところ、『いいわよ。出るわ』と快諾してくれたんです。『出番が多いと大変だから、出演シーンの少ない役にしてね』というので、麻理さんには旅館の女将役をやってもらう予定でした。『アルバイトがあるから、それが終わってからなら行ける』とも言っていたので、バイトは当時も続けていたようです。
結局、諸事情があって作品自体が流れてしまい、麻理さんの出演は叶いませんでしたが、お互いの家の距離が近いことがわかったので『今度会いましょうね』と言ってくれたのが最後でした。20代の頃と変わらぬフレンドリーで優しい口調でした。
アルバイトしていたのもお金に困っていたからではなく、家に閉じこもっていたくなかったからだと思います。私の経験上、何らかの理由で一度芸能界を去ると、ドラマや映画への出演は難しくなってしまいます。あれだけ素晴らしい女優さんだったのだから、もっと活躍する姿が見たかったですね」