サークル活動や学園祭、ファミレスでのご学友とのご交流など、悠仁さまの楽しそうなキャンパスライフが続々と報じられている。本誌も6月下旬に、バドミントンのラケットを背負われて夜22時ごろに「松屋」から出てこられた悠仁さまを捉えている。

「大学生活は、学問を修めつつ、“ふつう”の文化に多くふれることができる、悠仁さまにとって貴重な期間です。天皇陛下や秋篠宮さまも、大学時代を謳歌されてきたのですよ」(皇室ジャーナリスト)

オックスフォード大学に留学された天皇陛下は、ご著書『テムズとともに 英国の二年間』で、オックスフォードでの生活を《おそらく私の人生にとって最も楽しい》一時期と表現されている。

同著では、陛下のパブやディスコでの出来事も記述されている。お世話になっていたトム・ホール大佐に注文方法やパブの雰囲気を教わってから、パブを初訪問された陛下。

《そうはいっても、いざ注文するのには少々勇気がいる。一軒目は大丈夫であったが、二軒目ではパブのマスターから「何だこいつは」という感じの目で見られてしまった》

という。この日は、三軒目まで“ハシゴ”されたそうだ。

また、《滞在中は、可能な限り他の学生と同じでありたい》という思いから、ジーンズなどのスタイルで街を歩かれていたという陛下。《私と顔を合わせた日本からの観光客も最初は目を疑ったらしい。若い女性から目の前で「ウッソー!」と言われた時は、「ウッソー!」の本義を知らず、どう反応していいか迷った》とユーモアを交えて明かされている。

しかしその服装が、ディスコのドレスコードに合わず、入口で差し止められてしまったこともあるそうだ。後日、その失敗を活かし、再びディスコを訪れられたという。

《ディスコの件は一度目は失敗に終わったが、二度目はMCRの女子学生も含む男女混合のメンバーで、平日に前回とは違うディスコへ行った。生まれて初めて入るディスコのこと、内部の騒音は聞きしにまさるものと思った。フロアーは若い人々が中心で、それぞれのステップで踊っている。私もまったく自己流のステップで踊りの仲間入りをし、MCRの女子学生と向かい合って踊ったりしたので、退屈するようなこともなかった。ディスコを後にしたのは夜中の二時を回っていた。私にとって生涯最初で最後のディスコであったかも知れない》

一方、悠仁さまのお父さまでもある秋篠宮さまも、大学時代は目白のスナックの常連で、お酒をたしなまれていた。当時の『FOCUS』によると、秋篠宮さまはギターでビートルズの『イエスタデイ』を弾き語られ、隣のテーブルの見知らぬ客に一緒に飲もうと声をかけられていたという。この日、帰路につかれたのは、予定の22時を大きく上回る23時30分だったそうだ。

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