東京都内の有名総合病院を訪れていた二代目松本白鸚(83)。車いすに乗っての移動だったが、倦怠感のためか、目はほとんどつむったままだったという。
帰宅にはタクシーを使用していたが、降車の際には女性たちに抱えられるように介助され、ゆっくりゆっくり自宅の玄関へと入っていった――。
本誌が、白鸚のそんな様子を目撃したのは8月下旬。9月2日に初日を迎えた歌舞伎座の『松竹創業百三十周年 秀山祭九月大歌舞伎 通し狂言 菅原伝授手習鑑』まで、あと数日という時期だった。
ある歌舞伎関係者はこう語る。
「白鸚さんは3年前、’22年の11月や12月にも歌舞伎座の舞台を休演されたことがありました。当時も体調不良や高齢のため、としか説明されていませんが、ここ最近もご体調が危ぶまれています。いまは歩くこともままならないそうで、9月の歌舞伎座の舞台についても、“はたして3週間の公演期間を乗り切れるのか”と、関係者たちから心配する声も上がっているのです。関係者でさえそうなのですから、ご家族のご心労は並大抵のものではないでしょう……」
もちろん次女・松たか子(48)も、“心配する家族”の一人だ。実は冒頭の本誌が白鸚を目撃した日、松も実家に滞在していた。きっと父の状態が気になっていたのだろう。病院から白鸚が帰宅するのを見届けて、松の運転する車が実家のガレージから出て、走り去っていった。
■実家に劇場……松は10歳愛娘を同伴して
なぜ白鸚は、歩くのもままならない状態で、舞台に臨もうとしているのか? 前出の歌舞伎関係者が続ける。
「毎年決まった月に『○○祭』と題して行われるのは、5月『團菊祭』と9月『秀山祭』だけで、とても由緒ある公演です。特に今年は歌舞伎の興行を担っている松竹株式会社の創業130周年という節目です。
白鸚・十代目松本幸四郎(52)・八代目市川染五郎(20)の高麗屋三代そろい踏みもファンは楽しみにしており、白鸚さんとしても“絶対に出演しなければ”と、お考えなのでしょう。
また孫の染五郎さんは、いまや“歌舞伎界の宝”といわれているほど、将来を嘱望されています。そんなお孫さんに、自分の背中を見せておきたいということも白鸚さんの原動力になっているのは間違いありません」
公演内容も、白鸚の体調を考慮したものになっているという。
「四幕目の『車引』での藤原時平役ですが、出演時間も比較的短く、歩き回る必要もありません。また“Aプロ”“Bプロ”の2組のキャストで臨みますので、出演日は公演期間の半分ほどです」(前出・歌舞伎関係者)
ミュージカル『ラ・マンチャの男』には通算1324回出演した白鸚は、“ストイックな名優”として知られている。
週刊誌のインタビューには次のように語っていた。
《私から芝居を奪ったら何もなくなってしまいます。まだ、人生は終わっておりませんが、こういう人生を送った人間は人間として幸せだったと思います。(中略)どん底も経験しました。苦しいこと、つらいこともありましたが、人生、つまらないと思うよりも面白いと思ったほうがいい》(『週刊文春』’22年2月17日号)
’22年秋に白鸚は文化勲章を受章した。
「その際にも、『役者は一生修業。これからも命ある限り、芸を見せたい』『死ぬまで(舞台を)続けていきたい。役者はそういうものだと思います』などと語っていました。
また『ラ・マンチャの男』が’23年4月に54年の歴史に終止符を打った際には、観客たちからの盛大な拍手に対して、『足を運んでくださるお客さまのおかげで今日までやれました。これからも命ある限り芝居を続けてまいります』と感謝の言葉を述べています」(前出・歌舞伎関係者)
“命ある限り芝居を”――、80歳を超えた父の、そんな壮絶な決意表明を、すぐ隣で聞いていたのが、『ラ・マンチャの男』で’22年から’23年にかけてもヒロイン・アルドンザを演じた愛娘・松たか子だったのだ。
松の知人はこう語る。
「いわば“生きることは演じること”という白鸚さんの信念の、いちばんの理解者が松さんなのだと思います。それだけに、お父さまのご体調を心配しつつも、“芝居を続けたい”という意思を尊重し、そばで見守るという姿勢をとり続けているのです」
7月15日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、松は実家との関係についてこのように明かしていた。
「(娘が)本当に小さいときとかは、寝かしつけてくれたりあやしてくれたり、両親にお世話になって。でも最近は娘のほうがジジの様子を見守って、“ジジ、テレビ見て笑ってた”とか“元気だったよ。大丈夫だった”という報告を娘からされます」
また松が娘を連れていくのは実家ばかりではないという。
「最近、松さんはスケジュールが許す限り、お父さまの出演する舞台に足を運んでいて、娘さんも同伴しているそうです。
松ら子どもたちや、孫たちのまなざしを受けて、白鸚は舞台に向かい続ける。