1枚の写真がある。’85年11月13日、秋篠宮さまの20歳のお誕生日に向けて、東京・目白の学習院大学のキャンパスで撮影されたものだ。

アルバムを手にした秋篠宮さまを中心に、歓談する大学の友人たち。その輪の、いちばん端のほうには控えめにたたずむ紀子さまの姿が――。

皇室担当記者は語る。

「秋篠宮さまが紀子さまと出会われたのは、学習院大学ご入学翌年の’85年、大学内の書店でした。’86年には秋篠宮さまがプロポーズされたそうですが、写真が撮影されたときは、まだ交際について周囲にはオープンにしていなかったのかもしれません。

当時、日本中で目前に迫った秋篠宮さまの成年式が話題になっていましたが、紀子さまはどのようなお気持ちを抱かれていたのでしょうか。それから40年後、“将来の天皇”の母として成年式の準備に忙殺されるとは想像もされていなかったに違いありません」

9月6日、悠仁さまの19歳のお誕生日当日に成年式が執り行われる。

「8月28日に悠仁さまは皇居・宮殿で成年式のリハーサルに臨まれました。天皇陛下から成年用の冠を授かる『加冠の儀』や両陛下に成年の挨拶をされる『朝見の儀』など、儀式について流れに沿って所作の確認をされたそうです」(前出・皇室担当記者)

ちょうどこの日、宮内庁からメディアに対して、成年式に関する説明も行われた。しかし宮内庁関係者によれば、

「まっさきに報じられたのは、悠仁さまの姉の小室眞子さんと圭さん夫妻は成年式に出席しないということでした。

秋篠宮ご夫妻が招待されたそうですが、遠方のアメリカに住んでいることや小さい子どもがいることなどから夫妻は出席を見送ったとのことです。

以前から、小室夫妻の成年式出席については取り沙汰されてきましたが、宮内庁からここまで明確に発表されたことに驚きました。

もちろん宮内庁が独断で発表することはありえませんので、“これ以上、小室夫妻のことで成年式をかき回されたくない”という紀子さまの思し召しがあったものと思われます。紀子さまの成年式成功への強い思いが伝わってきます」

成年式によって悠仁さまの存在感を増すことを期待するあまり、これまでも前のめりになってきたという紀子さまに対して、“秋篠宮家は一宮家である”というスタンスを頑なに崩さない秋篠宮さま。ご夫妻の姿勢の違いもあり、成年式では “異例の事態”が生じているという。

前出の宮内庁関係者が続ける。

「天皇陛下および上皇陛下を含めた方々が営む独立の生計は『内廷』と呼ばれており、そのお二方を除いた内廷の構成員が“内廷皇族”と呼ばれています。

天皇陛下のお子さまである愛子さまは内廷皇族ですが、秋篠宮家の長子の悠仁さまは、皇位継承順位第2位であっても、内廷皇族ではありません。

成年式にあたってはお祝いの食事会は2つあります。1つは皇室の方々やご親族をお招きする私的な夕食会。もう1つは天皇皇后両陛下のほか、総理大臣ら三権の長も出席する公的な昼食会です」

天皇陛下と秋篠宮さまは当時の皇太子家の親王という内廷皇族でいらしたため、私的な夕食会も公的な昼食会も皇居・宮殿で開催された。

「しかし悠仁さまの成年式では、私的な夕食会は6日に帝国ホテルで、公的な昼食会は10日に明治記念館を借り切って行われます。悠仁さまが内廷皇族ではないため、外部の施設で開催することになったわけで、秋篠宮さまがこだわられたのでしょう。

ただ紀子さまは“将来の天皇のお祝い”ということで、それなりの格式と招待人数を主張されたとも聞いています。

宮殿を使用するよりも施設使用料や食事料金などの費用がかさみますし、警備費用も含めれば、“億超えは間違いない”という職員もいます」(前出・宮内庁関係者)

■識者が指摘する矛盾が生じる理由

帝国ホテルはホームページで、《ホテル周辺は交通規制による混雑が予想されます。ホテルご利用の際は、できるだけ公共交通機関をご利用ください》といった当日に向けての告知を始めている。

「祝宴が民間施設で行われるいっぽうで、矛盾した事態にも注目が集まっています。成年式翌日の7日には、伊勢神宮ご参拝のため悠仁さまは三重県を訪問されますが、伊勢神宮の内宮行在所にご宿泊になるというのです。

“行在所”は、天皇がお出ましのときの仮の御殿を意味します。内宮にある行在所は一般人は立ち入ることのできない“聖域”ともいえる場所です。天皇皇后両陛下や皇太子ご夫妻しか宿泊されない慣例になっています。

’22年に秋篠宮ご夫妻が初めて宿泊されていますが、皇嗣ご夫妻というお立場でした。ただ悠仁さまのご身位で宿泊されることは前例のないことで、その理由については現時点で明らかにされていません」(前出・皇室担当記者)

こうした事態に静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは次のように語る。

「そもそも“皇嗣”という曖昧な立場を設定して、その親王を次代の天皇とするという流れが、成年式で、さまざまな矛盾を生じさせており、今後も同様の事態は生じ続けると思います」

悠仁さまの成年式後も生じ続けるというさまざまな矛盾。40年前、“川嶋紀子さん”は、ご自身がそうした問題に直面することを予想されていなかっただろう。

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