「彼女の訃報には本当にびっくりしましたね。私は今、芸能界とはまったく関わっていないのでお別れ会には行っていませんが、来世でも幸せになってほしいと願っています」

こう語るのは宮崎ますみ(57)。

80年代、映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズで共演した中山美穂さん(享年54)を偲び、当時のことを振り返る。

「『ビー・バップ・ハイスクール』の現場では出演者みんなでワイワイしていて楽しかったんですが、美穂ちゃんはとにかく静かでした。美穂ちゃんは当時はすでに大人気アイドルだったので、気軽に話しかける雰囲気ではなかったんです。

女優としてもプライベートでも、私たちには想像もつかないようなご苦労もあったと思いますが、華やかに仕事をし続けた方。だから今彼女に言葉をかけられるとしたら、『あなたは本当に美しかったよ』『人生すべてが美しかったよ』と言いたいです」

現在、宮崎は女優業は行っておらず、長野県・八ヶ岳の麓で生活している。子どもたちが巣立った’19年末、横浜から単身移住したというのだ。

「私が芸能界から離れたのは、大きなパワーに支配された枠組みみたいなのが息苦しくなってしまったからなんです。偶然結婚のタイミングでもあったので、芸能界という枠組みから一旦離れて、自由になってみたかった。そして子育ての傍らでヨーガや哲学を探求するうちに“思い切って自然に帰ろう”と目覚めて、移住を決めました。知り合いなんて1人もいない山に引っ越してきたけど、迷いや不安は特にありませんでした。私は直感を信じるタイプ。芸能界に入るときも辞めるときも決断したら行動は早いんです」

八ヶ岳に至るまでには紆余曲折があった。

‘94年に結婚し、2人の息子に恵まれた。しかし’05年に乳がんを患い、’07年には離婚。

「もちろんしんどい時期もありました。ただ、“この病気は過去の大きな清算なんだ”と冷静に受け止めて治療していました。病気を作ったのは私自身だし、それを直していく力も内在しているんだと、主体的に取り組みました。たとえば食事を変えるとか、身体を温めるだとか」

八ヶ岳では、地域の人々と農作業に取り組んでいる。

「八ヶ岳に移住してまず何をしようと考えたとき、やっぱり農作物を育てたいと思ったんです。もともとセラピストをやっていたので、そのときのクライアントさんやそのご家族と一緒にやっています。知的障害や発達障害を抱える人や引きこもりの少年などもいますが、田んぼではみんな開放的。突然大きな声を出してしまっても誰も気にしないんです。クライアントさんのご家族も日々の苦労から疲弊している人も多いですが、自然に癒されながら農作業をしています」

八ヶ岳での米作りも6年目。昨今の米不足にも私見を述べる。

「私たちは仲間内で食べる分には有り余るほどお米があったので、スーパーに行ってお米がなくなっているのを見て驚きました。日本には豊かな土壌がいっぱいあるので、“自分で作って食べる”という素晴らしい体験を皆さんにもやっていただきたいなと思うんです。将来的に食糧危機が懸念されていますからね」

芸能界から離れ、自然のなかで生きることを選んだ宮崎。八ヶ岳生活の選択に間違いはなかった――。

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