9月12日から2泊3日の日程で、長崎を訪問された天皇皇后両陛下。戦後80年を迎えた今年、4月の硫黄島、6月の沖縄と広島につづく「慰霊の旅」の締めくくりとなった。

長崎ご訪問の最初の2日間は愛子さまが同行され、ご一家で平和公園の原爆落下中心地碑での拝礼や原爆資料館のご視察、被爆者が暮らす施設での懇談をされた。両陛下がそろって長崎を訪問されたのは、皇太子・皇太子妃時代以来29年ぶりのこと。愛子さまにとっては、初めてのご訪問となった。

ご一家のご活動は各メディアでも伝えられ、SNSやネットでも注目が集まることに。そんななか、愛子さまが平和公園で尋ねられた“ご質問”にも関心が寄せられていた。

両陛下と愛子さまは、12日に平和公園をご訪問。お三方そろって原爆落下中心地碑に深々と頭を下げられ、白い花束をお供えに。その後、再び頭を下げて黙礼されていた。

平和公園では鈴木史朗市長による説明もあり、愛子さまは両陛下とともに真剣な眼差しで耳を傾けられていた。その際、愛子さまが鈴木市長にお尋ねになるような場面があったのだ。

鈴木市長はメディアの取材に、「浦上天主堂の遺構の話について愛子さまの方から最初にですね、“被爆した直後の信者の皆さんは浦上天主堂で祈りを捧げられたのですか?”という趣旨のご質問がありました」と明かしていた。

愛子さまのご質問に対して、鈴木市長は「信者の皆さんは被爆直後も本当に自らも傷付いていても信仰の心を忘れずに神に祈りを捧げたという風に聞いております」という旨の回答をしたという。

「浦上地区はカトリック信者が多い地として知られています。浦上天主堂の遺構は爆心地から約500mに位置し、原爆によって建物のほとんどが倒壊、焼失しました。周辺地域には1万2000人ほどの信者が住んでいたそうで、このうち約8500人が原爆の犠牲となったといいます。愛子さまはそうした背景を予習してこられた上で、お尋ねになったのではないでしょうか」(皇室担当記者)

愛子さまのご質問に、Xでも次のように感心する声が上がっていた。

《敬宮様のこの質問、今までの発言や作文を鑑みて、敬宮様はご存知の事を敢えて広める為に聞かれたのだろうなと思った 被曝直後の祈りに関して、特に今年は信者の葛藤も含めてスポットがあたった特番があった それを前提に考えるとより深い、長崎の方々にとって心揺さぶられる質問だな…》
《理解が深いから心を寄せられた的確な質問になる 敬宮様におかれましてはごく当たり前の事なのでしょう》
《敬宮さまも天皇皇后両陛下とともに、ご訪問される県についてしっかり調べご準備されていらっしゃるのですね。きっと「我が県にもいらしていただきたい」という願いがすでにいくつも届けられているのではないでしょうか》

ご一家はその後、「長崎原爆資料館」をご訪問。原爆投下時の市街地の様子を示したジオラマなどを視察し、館長からの説明に熱心に耳を傾けられていた。同館の視察後は、長崎原爆被災者協議会の田中重光会長をはじめとする被爆者や、伝承活動に取り組む若い世代と懇談をされた。

宮内庁が同日に公表した両陛下の初日を終えてのご感想では、愛子さまについてこう記されていた。

「初めて長崎県を訪れた愛子も、改めて原爆被害の実相を肌で感じるとともに、苦難を乗り越えてこられた長崎の人々の強い平和希求の思いを深く心に刻んでいます」

前出の皇室担当記者は言う。

「被爆地である長崎を初めて訪問された愛子さまにとって、平和へのご覚悟をいっそう意識される機会になったことでしょう。愛子さまは広島への同行も望まれていたようですが、日赤でのお仕事の都合などもあり実現できなかったそうです。

そのため愛子さまは、年内にも広島市を単独で訪問したいと、両陛下に直訴されているようです。

愛子さまは、学習院女子中等科時代に『世界の平和を願って』という題で、修学旅行で広島を訪れられた際に感じたことを作文に書かれています。原爆の悲惨さに衝撃を受けたお気持ちを率直に表現し、《「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》とつづられていました。そうした強いご決意が、長崎での人々との交流にも表れていたものとお見受けします」

平和を願われるお心は、両陛下から愛子さまへしっかりと引き継がれている――。

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