《兄の孝と一緒に1969年のデビューから56年間、共に歩んでまいりました。誠実で優しく、思いやりがあり、真面目な兄でした。

日が経つにつれて、兄の歩んできた人生を深く深く感じています。ファン・関係者の皆様には、今までビリー・バンバンを応援して頂き、心より御礼申し上げます。本当に偉大な兄でした。兄貴、ありがとう》

9月24日、所属事務所を通じてこうコメントを発表したのは兄弟デュオ「ビリー・バンバン」の菅原進(78)。この日、兄である孝さん(享年81)が11日に亡くなっていたことが発表され、進は唯一無二の兄とファンに向けて感謝の言葉を贈った。

「ビリー・バンバンは’68年5月に結成された兄弟デュオで、翌年1月に『白いブランコ』でデビュー。同曲は20万枚超のヒットとなり、“カレッジフォークの旗手”と呼ばれることに。さらに’72年にはドラマ『3丁目4番地』(日本テレビ系)の主題歌に起用された『さよならをするために』が80万枚を超える大ヒットを記録し、同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

‘76年に一旦解散したものの、’84年に再結成。焼酎『いいちこ』のCMソングを長年にわたって担当し、その中でも’07年にリリースした『また君に恋してる』はのちに坂本冬美さん(58)がカバーし大ヒット曲に。近年、孝さんはアニメ映画の挿入歌を担当するなど精力的に活動を続けていました」(音楽関係者)

兄弟らしく息のあった美しいハーモニーで、多くの人々を魅了してきたビリー・バンバン。その一翼を担った孝さんの訃報は多くの人に悲しまれ、坂本冬美も追悼コメントを発表し、《突然の訃報に驚いております。

私が「また君に恋してる、を歌わせていただいています」とご挨拶をした時に、「頑張ってね」と言ってくださった時の笑顔が忘れられません》と、孝さんとの思い出を回想した。

また、シンガー・ソングライターのイルカ(74)も24日におこなったイベントの会見で、「尊敬する大好きなお兄ちゃんだったんで。本当に大好きだったんですけど、お兄ちゃんありがとう、と言いたい」と感謝の言葉を述べた。

■他人の借金の尻ぬぐいに脳出血への絶望

デビュー当初から人気を博したビリー・バンバン。順風満帆のアーティスト人生かと思いきや、孝さんの歩んできた道には紆余曲折があった。その最初の苦難は’84年に再結成した後に訪れた。デュオとして再び順調に歩み始めたのも束の間、借金返済に追われることになった。

「孝さんは当時、仕事は順調だったものの、知人の連帯保証人となり多額の借金を被ることになったんです。毎月家族のためでもなく、他人の尻ぬぐいのために大金を返済して、大変な思いをしたでしょうね……。また娘さんが統合失調症を患うこととなり、今より世間の理解が進んでいないなか、差別や偏見と戦うことに苦労したといいます」(音楽ライター)

再結成した後も、地道な活動のなか『また君に恋してる』といった代表曲を生み出したビリー・バンバン。しかし’14年5月、弟の進に盲腸がんが見つかった。さらにその2カ月後には、孝さんが脳出血で倒れる事に――。

「当時孝さんは仕事の後、ひとり暮らしをしていたお母さまの家に行き、身の回りの世話をしていました。ところがある夜、孝さんはトイレで用を足していた際、前のめりで便座から倒れてしまったそうです。そのまま動けないで横になっていると、姿が見えないことを心配したお母さまが発見。即座に救急車で病院に担ぎ込まれ、脳出血であると診断がくだされました」(前出・音楽ライター、以下同)

一命は取り留めたものの、孝さんの左半身には麻痺が残った。それから車いす生活を送るようになり、孝さんは激変した生活に苦悩したという。

「人一倍健康や食生活に気を使い、ジョギングや筋トレも欠かさずしていたので『なぜ自分が……』となかなか病気を受け止めることができなかったといいます。追い詰めて考えるようになってしまい、絶望的な思いから車の運転中に“消えてしまえたらいいのに”と考えてしまうこともあったそうです」

しかし約1年後の’15年6月、山梨県で行われたフォークコンサートで孝さんはビリー・バンバンとしてステージに立った。復活のステージに2人は感無量だったという。

「一時はステージに立つことはもう無理だと諦めていましたが、孝さんは杖を使って自宅の廊下を10往復したり、麻痺した左足を固定して右足で自転車を10km漕いだりとリハビリを懸命に頑張りました。その結果ステージに立てることができ、ファンの声援が嬉しくて進さんは涙したとか。孝さんも『音楽があって本当に良かった』と感動していたそうです。

また’17年3月には、当初2人が倒れた’14年に行う予定だったデビュー45周年記念コンサートを開催。

病気のことなど一切感じさせない美しいハーモニーに、集まったファンは聴き入っていました。

こういった経験を経て、2人の目標は“90歳まで兄弟で歌い続けること”に。孝さんは車椅子生活でもリハビリに懸命に取り組み、目標に向かって励んでいました」

一度は絶望の淵に立たされたものの、並々ならぬ努力で見事な復活を遂げた孝さん。天国でも美しい歌声を響かせていることだろう。

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