【前編】「街中の奥さんにキレイになる楽しさを」72歳の美容部員が山間部の町で“日本一”の売り上げを誇るまでの道のりより続く

「化粧品は、ただ売ればいいというわけじゃないの。それで皆さんにキレイになっていただかないと、意味がない」

安達太陽堂薬局(以下、安達太陽堂)の専務を務める、長谷川桂子さん(72)。

1998年から12年連続で、カネボウの化粧品ブランド『トワニー』の製品売り上げ日本一に輝き、2010年には殿堂入りを果たした。今でも全国トップクラスの売り上げを誇る安達太陽堂の中心となり、一人娘の綾さん(42)とともに店を切り盛りする。

客に対する彼女の熱量を見ていると、親きょうだい以外に、自分のことをこんなに気にかけてくれる人がいるだろうか? そう思わずにはいられない。街じゅうの奥さんがこぞって通う日本一の店を作り上げるまでには、夢だった専業主婦への道を捨て、女心の理解のために奔走した試行錯誤の日々があった──。

■美容は女性の見た目も心も変える。そのパワーは、お客さんから学んできた

桂子さんのスマホが鳴った。94歳のお客さんからだった。

「季節の変わり目になると電話がかかってくるんです。『最近暑いけど、ファンデーションはこのままで平気なの?』と。ほかにも、眉がなくなってきたから描き方を教えてほしい、目がたるんできたから目元を明るくしたい、とぬかりないです。加齢で皮膚は垂れ下がるけど、『今の時点で最高のキレイさでいよう』と目いっぱい努力する姿勢は見習わなければいけません。本当に、頭が下がります」

美容は女性の心を大きく変える。

その変化を見ることも、桂子さんの喜びのひとつかもしれない。

「晩秋のある日に、40歳ぐらいの女性がいらっしゃいました。疲れた顔をして身なりもパッとしないその方は、話を聞くと、結婚して20年間、難病の姑の介護をしていたそう。姑が亡くなられて、ご主人が、2泊3日の温泉旅行に連れて行ってくれることに。そして『夫に恥をかかせたくないからキレイにしてほしい』と言うのです。

本当はスキンケアから何からいろいろ教えて差しあげたい。でも、今まで美容をしてこなかった方にすぐに教えるのは難しい。何かできることはないか……。『ネイルならすぐには落ちず、3日持つ』と思い、せめてもの思いでマニキュアを塗って差しあげました」

介護用の消毒用アルコールで荒れていた女性の手をマッサージしながら、桂子さんは紅葉柄のネイルアートを施したという。

「彼女は仕上がった指先を見て“わっ”という驚きの声を上げ、『こんなキレイな自分の手を見たのは初めて』と感動してくれました。旅行後も、その彼女はお客さんとして通ってくれるように。そしてメークを始めると、それまでいつもエプロン姿だったのが、今度はかわいいワンピースを着るように。

キレイになりたいという思いは、人を幸せにするんですね」

化粧は心をも前向きにさせる。そう信じているから、農業をしている女性にもメークをすすめる。

「太陽の光は、農作物にはありがたいけど、お肌にとっては大敵。UVケアに加え、汗で落ちにくい日焼け止め効果の高いファンデーションを薦めています。あとは、口紅をサッと引くだけでもいい。たとえトマトやきゅうりしか見てくれなくても、気分が上がって、仕事だってやる気になるでしょう」

■「女がキレイになるって大変で難しい。でも、それが何よりも楽しいのよ」

メークにこだわる桂子さんだからこそ、コロナ禍は気分がガクンと落ちたという。

「コロナ禍では、毎月40本以上売れていた口紅が1年でたったの4本しか売れなかった。売り上げが下がることよりも、みんなマスク生活で『化粧をしなくてもいい理由』ができた。それで手を抜く人が増えたことがショックでした。その反動で、今は、ほうれい線のケアの仕方を忘れたとか、ファンデーションは何を選べばいいかわからないという相談ばかり。女性も50歳を過ぎると、メークにかける時間が3分という人が増えてきます。

私みたいに1時間かけろとは言いませんが、オシャレが存分にできるのは平穏だからこそ。もっと美しくなることに貪欲になってもいいと思います」

新見に帰って41年、桂子さんを横で見守ってきた、安達太陽堂社長を務める、夫・俊二さんが語る。

「売り上げも桂子にとっては大事なことかもしれませんが、それ以上に、目の前のお客さんにとって大切なモノは何かを見つけて、それを提供できることがいちばんの彼女の喜びじゃないかな。言ってみればお節介。ただし、そのお節介を徹底してやっていることがすごいと思います。まあ、私はそのお節介をされた記憶がないけど……」

娘の綾さんは、母である桂子さんをこう見ている。

「店では美容のプロですが、実は天然ボケで家ではいじられキャラ。とくにカタカナが苦手でいつも家族に突っ込まれています。アナフィラキシーショックも何度注意しても『あなひらきー』と間違う。それでもお客さんに伝わればいいと思っているし、そんな母を許してくれるお客さんばかり」

さらに綾さんはこう続ける。

「小さいときは、母にはエプロン姿で待っていてほしいと思ったことも。私は、祖父(謙吉さん)が薬剤師として店頭に立てなくなり、急きょ、大学院をやめて帰ってきたので、店を継ぐという決意はあまりなかったんです。

でも、裏表がなくて、楽しみながら仕事をしている母と一緒に店に立つようになって、結果的にこの仕事が向いていると思えるようになりました」

桂子さんが母から渡されたバトンは、綾さんに渡される。さらに綾さんの一人息子で、桂子さんの孫の颯大君(9)も、夢は薬剤師になって店を継ぐことだと、学校の学習発表会で“宣言”したという。桂子さんが目を細めて語る。

「頭にタオルを巻いたスッピンの私に、颯ちゃんが『バアバが“おばあちゃん”になるのはお風呂から上がったときだけだね』と言うんです。まだまだ、女心をわかっていないわね。でも、夏前に紫陽花の剪定を手伝ってもらっていたとき、『来年キレイに咲かせるためにはこの枝を切らないといけないのよ』と教えたら、『キレイになるって大変だし、難しいね』と不思議そうな顔をしていました。美を作るには褒めてばかりでもいけないし、花を育てるように、難しい。けれども、それが何よりも楽しいことだと、颯ちゃんがわかるときも来るのかしらね」

そう言って桂子さんは「ふふふ」と笑う。彼女の“お節介”は、まだまだ終わらない。愛ゆえに厳しい美容指導の声が、今日も、安達太陽堂の店内に響いている。

(取材・文:山内太)

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