読者世代の“青春のアイドル”といえばこの人! 彼女に憧れ続けてきた4人の有名人のマル秘エピソードと、本誌読者の「聖子ちゃんの“推し歌”」ランキングベスト10を大公開!

森口博子(57)「私、そんなふうにやってる!? アハハ」と喜んでくれて

「アルバム曲『セイシェルの夕陽』が大好きで、小説を一枚一枚めくっていくような松本隆さんの詞と、大村雅朗さんの美しい曲と編曲、聖子さんの“いざない力”のある歌声で、行ったことのないセイシェルの夕日が見えました」

聖子デビュー時からの大ファン。スクールメイツに所属していた中2のときには、『青い珊瑚礁』と『秘密の花園』を歌う聖子のバックで踊るという、貴重な体験も。

「でも、スクールメイツは出演者に声をかけてはいけない掟があったんです。だから、ずっと目で追ったんです。するとオーラ全開の聖子さんと目が合って、ニコッと笑いかけてくれて! 瞳で会話することができました」

芸能界デビューしてからは、仕事を一緒にする機会にも恵まれた。

「(明石家)さんまさんと聖子さんが主演の映画『どっちもどっち』(1990年)の撮影中、偶然、3人だけになる時間があったんです。

並んで座る2人に、私が向かい合って座っていたとき、さんまさんが『博子ちゃんは、聖子さんのモノマネ得意やで』って振ってくれて(笑)。私が披露すると、聖子さんは『私、そんなふうにやってる!? アハハ』とキラキラなまぶしい笑顔で喜んでくれました」

ずっと聖子を目指して芸能界で頑張ってきたことを聖子に伝えたときだった。

「聖子さんは『そう言ってくれるから、私も頑張れる。博子ちゃんも頑張ってね』と……。私にとって、宝物の言葉です」

はるな愛(53)お母さまがジュースをごちそうしてくれた“神対応”に感動

「初めて買ったレコードが『渚のバルコニー』。聖子さんがフリフリのドレスを着て、かれんに歌っている姿を見る時間だけは、男の子に生まれた悩みを忘れられました」

子ども時代、素人のカラオケ番組などで上京する機会もあったなか、思いがけない幸運に恵まれた。

「憧れの人がどんなところに住んでいるのかと、おばあちゃんと一緒に、週刊誌などを参考に聖子さんのご自宅を訪れたんです。

最初は遠くで見るつもりでしたが、お手伝いさんが配達の対応をしているときに駆け寄ると『ちょっとお待ちください』と言われて。

すぐに聖子さんのお母さまの一子さんが『もしよかったら』と招き入れてくださったんです。

残念ながら、『今日はドラマの撮影で留守なの』と聖子さんとは会えませんでしたが、オレンジジュースをごちそうになって、いろいろお話ししました」

それから数年がたち、タレントとして売れ出したとき、実際に会う機会に恵まれた。

「聖子さんは、私のことをよく聞いていたみたいで、『男のコのときに来てくれたんだよね』と話してくださったんです!」

先日も、聖子のコンサートを堪能したという。

「一子さんには『聖子さんの全てが私の指針です』とお伝えしました。一子さんはいつも真ん中あたりに座って、まっすぐ聖子さんのことを見ていらっしゃるんです」

一番のファンである母の存在が、聖子をより輝かせているのだ。

大林素子(58)聖子ちゃんが使っていた“ラメ入りのキラキラコスメ”

「“聖子ちゃんになりたい”と思っていました。でも、ド直毛なので、聖子ちゃんカットにするのには苦労しました」

バレーボール一色の生活になると、歌番組が見られないため、友人がカセットテープに録音してくれた聖子の曲を聴き込んだ。

「選手を引退後、世界バレーのサポーターを聖子ちゃんが務めたときが、初対面でした。聖子ちゃんが『すごーい』と一言発するだけで、空気が華やかに。スタイリストさんがくださった、聖子ちゃんも使用していたラメ入りのキラキラのコスメが私の宝物です。

コンサート後に楽屋への挨拶に伺ったとき、長蛇の列を作っていたのが、すごく有名な方ばかり。それも忘れられない思い出です」

■大西結花(57)松本隆さんの指導に「聖子ちゃんもこんなふうに」と胸が高鳴り

「聖子ちゃんとは歌番組でも一緒になったことはないんです。

たった一度だけ、テレビ局の車寄せでお見かけしたのですが、遠いところからでも一目で聖子ちゃんだとわかるほど、輝いていました」

シングルレコードだけでなく、アルバムを聴くことも多かった。

「『マイアミ午前5時』という曲が大好きで。松本隆さんの詞の世界と聖子ちゃんの歌声で、行ったことのないマイアミの、ブルーグレーの海の夜明けを空想しました」

自らも松本隆作詞の曲を歌唱。

「松本さんには『一つ一つ丁寧に』『イメージを伝えるように』と指導されて。このようなアドバイスを聖子ちゃんにもされていたのかな? と胸が高鳴りました」

■「私たちと聖子ちゃんの青春の思い出!」ファンによる10大推し曲アンケート

「夏に海に行く車中で、カセットから流れる聖子ちゃんメドレーを、家族で大合唱しました。今も夫と2人で歌っています」(74歳・主婦)

『裸足の季節』(1980年)でデビューし、シングルチャート24曲連続1位の記録を持つ松田聖子が、今年デビュー45周年を迎えた。

10月15日には、松田聖子デビュー45周年 作曲家別企画アルバムがリリースされる。

「デビュー当時は、“ぶりっ子”や聖子ちゃんカットが注目されて、“かわいくて憧れるけど“あんなふうにはなれない”存在のアイドルでした。結婚して引退した山口百恵さんと違って、その後、結婚・出産後も仕事を続け、元祖ママドルとしてブランド化され、今もトップランナーを担い、走り続けています。

そこには、(本名の)蒲池法子である前に、『私は松田聖子を貫きたい』という決意や使命感があり、その軸がずっとぶれていません。私たちにとって松田聖子とは、永遠のアイドルで、同じ時代を生きる女性の社会進出のパイオニア的存在です」

と、指摘するのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さんだ。

本誌は50歳以上の女性500人を対象に“永遠の青春”「聖子ちゃんの好きな曲」についてアンケートを実施。

そのベスト10を見ていこう。

【10位】『夏の扉』1981年

「CMで流れてきて、サビの“フレッシュ~”のリピートが夏らしく元気になれる」(55歳・会社員)

【9位】『瑠璃色の地球』1986年

「松本隆さんの歌詞が平和を願う歌で、今のSDGsの時代にもしっくりきます」(52歳・看護師)
「聖子さんが産休中に出たアルバムの一曲。テーマが恋愛にとどまらず、命や自然の尊さなど壮大で、母になったからこそ歌える名曲」(牛窪さん。以下牛窪)

【8位】『天使のウィンク』1985年

「『天使のウィンク』と手でウインクする聖子ちゃんがかわいくてしかたなかった」(54歳・主婦)

【7位】『渚のバルコニー』1982年

「学生時代、みんなで聖子ちゃんカットをして、一緒に歌を歌ったのが思い出」(53歳・公務員)

【6位】『風立ちぬ』1981年

「学生時代のほろ苦い恋愛の記憶と重なり、純粋な気持ちが即座に思い出されます」(64歳・主婦)

【5位】『瞳はダイアモンド』1983年

「大好きな人と別れたときに流れていて。今も思い出すと切なくなる」(66歳・主婦)
「聖子さん初の失恋ソング。裏切られた女性が過去と決別し、自分を奮起すべく励ます曲」(牛窪)

【4位】『あなたに逢いたくて~Missing You~』1996年

「アイドルというより歌手として一流だと思えたきっかけの曲。当時、友人とそんな聖子さんの話で盛り上がった」(50歳・派遣社員)
「好きだった人が亡くなったときに流れていて。今もこの曲を聴くたびに思い出します」(59歳)
「1対1の恋の痛みよりは“逢いたいけど逢えない”大人の事情を聖子さん自身の作詞で歌い上げて初のミリオンを獲得」(牛窪)

■「結婚式で友人が歌ってくれて感激しました」

そして、いよいよ上位3曲。

【3位】『SWEET MEMORIES』1983年

「就学旅行の新幹線の中で、友人と一生懸命、英語の歌詞の練習をしました」(54歳・主婦)
「サントリーのCMでアニメのペンギンがかわいくて。そのペンギンのイラストの缶ビールを買った思い出があります」(62歳)
「過去の恋を甘酸っぱく振り返る大人になった聖子さんの歌声に魅了された人も多いはず。私もいちばん好きな曲です」(牛窪)

【2位】『青い珊瑚礁』1980年

「デビュー2曲目で、サビのメロディが頭に残った。曲に合わせてクラスの男子が踊っていたのも忘れられない」(61歳・主婦)
「グリコのアイスクリームのCMで流れました。

フレッシュでハツラツとして元気な伸びのある声が聖子さんを象徴する曲ですね」(牛窪)

そして、1位は、やはりこの曲。

【1位】『赤いスイートピー』1982年

「生放送の歌番組も多くて思い出も多く、とても懐かしい」(51歳)
「歌詞の理解は浅かったけれど、胸にくる切なさと幼さが伝わってきました」(57歳・パート)
「私の結婚式で、友人が『赤いスイートピー』を歌ってくれて感激しました」(56歳・主婦)。

「青春そのもの」と、多くの人の青春の思い出と重なり、断然1位に。

「松任谷由実さん作曲の不朽の名曲。娘の(故・神田)沙也加さんともデュエットされましたし、いろんな方に歌い継がれています」

聖子自身の歌声も、人生経験を経てしっとり変化したと牛窪さん。

「聖子さんは、娘さんが亡くなった後、大学の法学部の通信教育課程を卒業されました。いま流行の“リスキリング(学びなおし)”。いつも時代の最先端を走る彼女は今後、ジェンダー平等や環境保全活動などでも活躍されるのでは?

人生100年時代、これからも、松田聖子という軸で挑戦を続け、私たち女性や社会の“マルチビタミン”であり続けてほしいですね」

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