「1年ほど前のこと。ジャズシンガーとしても活躍している岡まゆみさんのコンサートにゲストで呼ばれたのですが、トークコーナーでは共演した『赤い絆』の話題に。

演奏した主題歌『赤い絆(レッド・センセーション)』を懐かしんだお客さんも、多かったはずです」

こう語るのは、国広富之さんだ。撮影開始当初、百恵さんは超多忙で、台本の読み合わせで顔合わせをする機会もなかったという。

「初対面は、いきなり撮影現場でした。百恵ちゃんのマネージャーさんは台本を持っていましたが、百恵ちゃんが開いて見ている姿は見たことがありません。移動の車の中で覚えてしまうんでしょうね」

当時、スタジオにはプレハブ小屋があり、スタッフや出演者の控室になっていた。

「雑誌の“百恵番”の記者が毎日のように来ていました」

百恵さんは10代で、まだあどけなさが残っていたという。

「よく『菩薩のよう』と表現されますが、顔がシンメトリーでふっくらした日本風の顔立ちは、たしかに菩薩。恐れ多くて、気軽に話しかけられない雰囲気ですが、お菓子を食べながらたわいのない話をしているときはまるで少女。ところが、カメラが回り始めると一変して、『なめるんじゃないよ!』とすごむのだから驚きです」

撮影シーンごとに、監督が懇切丁寧に説明をしてくれた。

「百恵ちゃんは渋谷の不良少女役だったから、ロケ先では『渋谷の方角はあちらで、暴走族のバイクなら30分くらいの場所』『ここにはどんな気持ちで来たんだろうね?』と、イメージが膨らむような説明がありました」

当時は歌番組の生放送が何本もあり、途中、撮影が中断することも珍しくなかった。

「百恵ちゃんが『夜のヒットスタジオ』に出演するとき、番組が終わってから1時間かけて調布のスタジオまで移動するとなると夜遅くになるから、テレビ局の近くのロケ地を選んで、移動時間と待ち時間を短縮していました。逆に『ザ・ベストテン』では、ロケ現場から中継することも。

パラボラアンテナがついた大きな中継車が来て、大人数のスタッフが中継の準備をする姿を見て、百恵ちゃんの人気ぶりを実感しました」

そのトップアイドルとのキスシーンにも驚かされた。

「台本を見てびっくり。ウエディングドレスを着た百恵ちゃんの、ベールをめくってキスをするんだけれども、年上のボクのほうが緊張していたんじゃないかな(笑)」

『赤い絆』(TBS系、1977~1978年)

本当の母親が娼婦だったことを知って養父母の家を出た恵子(山口百恵)。外交官の信夫(国広富之)と出会い恋に落ちるが、信夫には婚約者が……。山口百恵主演で大ヒットした「赤いシリーズ」第6弾。不良の”渋谷のおケイ”を演じる百恵さんがカッコよかった!

【PROFILE】

くにひろ・とみゆき

1953年生まれ、京都府出身。1977 年、『岸辺のアルバム』でデビュー。以後、数多くのドラマ、映画に出演。全国各地で個展を開催するなど、画家としても活動している。

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