【前編】開店4日前にまさかの焼失……亡き母と父の夢だったパン店、蘇った奇跡のアップルパイから続く
■当初の目標金額を初日で達成。もしかしたら本当に再建できるかも
父に引っ張られるようにして、娘たちも顔を上げ始めた。
「オープンの告知をずっとアップしていたインスタグラムに、火事のニュースを見たり、実際に火災を目撃したご近所の方たちから『大丈夫ですか?』とか『楽しみにしてたから残念です』といったコメントやDMが何百件と入ってたんです。こんなに大勢の人が私たちのこと心配してくれているんだ、私たちのお店を楽しみに待っていてくれたんだとわかって。それを読んで私たち、少し元気が出たんです」(舞美さん)
その夜、家族は舞美さん宅に集った。失意のなか、残された力を振り絞るようにして、精いっぱいの笑顔の家族写真を撮影した。
「開業が遅れてしまうお知らせをインスタに投稿しようと。そこに、皆さんの応援で元気を取り戻せたことと、『私たちは無事です』という意味も込めて、笑顔の写真をアップしたんです」(舞美さん)
インスタグラムの担当だった優里さんは、笑顔の家族写真にこんな一文を添えた。
「まだまだ諦めていません!」
その投稿にも、数えきれないほどのコメントやDM、「いいね!」が寄せられた。反響の大きさに驚くと同時に「めちゃくちゃ感動した」と優里さん。さらに、コメントやメッセージを読み込むと、あまりなじみのなかった「クラウドファンディング」という単語が、何度も出てくることに気付いた。
「『クラウドファンディングというものがありますよ』『クラファン、やってみたら』などのメッセージです。最初はどういうものかよくわからず『ありがとうございます、ちょっと調べてみます』と軽い気持ちで返信してたんですけど。大勢の人が同じことを書いてくれていたので、本気で調べてみよう、検討してみようと」(優里さん)
クラウドファンディングとは「クラウド(群衆)」と「ファンディング(資金調達)」を合わせた造語。
父と娘たちは資金繰りに窮していた。正悟さんは、預金など蓄えのすべてと、金融機関から借り入れた3千万円を、焼失してしまった店につぎ込んでいた。再出発を図りたくても、先立つものがまるでなかったのだ。正悟さんは言う。
「もともと融資してくれていた金融機関に後日、再融資をお願いしに行きましたけど。『まずは、お貸ししているものを返済してください、お話はそれからです』とにべもない返事で。それは、そうですよね(苦笑)」
だから、できることはなんでもしようと考えた。インスタグラムの担当だった優里さんが、クラウドファンディングも受け持つことになった。
「クラウドファンディングのサイトの人と相談しながら、まず初めは『目標金額250万円』として、スタートしました」(優里さん)
それでも、家族は皆、半信半疑だった。正悟さんは「どんなもんなんや?」といぶかしげに話していたし、舞美さんも「果たしてこんなことで資金なんて集まるの?」と思っていたという。
「いや、本当にすごかったんです。初日からものすごい勢いで寄付が集まって。サイトの人も『1日目でこんなに集まったのは初めてです』って驚かれてました。
じつは、私もそこまで期待はしていませんでした。最初は『無料で始められるなら、やってみようか』ぐらいの気持ちだったので。それが一気に、初日だけで目標金額を突破して。これ、もしかしたら本当に再建できるかもって」(優里さん)
最終的には1300万円を超える寄付金が集まった。
「支援をしてくださった人は、1千人以上も。その人たちがいるから、いまも私たちは次に向かって進むことができてます」(優里さん)
この好調なクラウドファンディングは、金融機関との交渉でも有利な材料になった。
「ある銀行の融資の担当さんが、クラファンの進捗状況をずっとチェックしてくれていて。『すごいですね、川端さん』としょっちゅう電話をくれてました」(正悟さん)
「支援してくださったのは、ご近所の方がすごく多かったんです。あんなにたくさんの地元の人たちが応援してる店なら、再建できる地力があるんじゃないか、そんなふうに(銀行も)考えてくれたように思います」(舞美さん)
当初は「再融資は120%無理」と言われていた。
そして、火災の日から半年後の11月13日。あの日の夕方、正悟さんが見つけた空き店舗は、おしゃれな装いのパン店になっていた。開店前に100人以上が行列を作る盛況ぶり。真っ先に完売したのは「幸せのアップルパイ」だった。
■働きづめだった父に楽をさせること、引退させてあげること、が目標だった
再出発を果たした父と娘たちだったが、試練はまだ終わりではなかった。
まず、三女の麗奈さんが「自分のやりたい仕事をしたい」とパン店を“卒業”してしまう。さらに、開業から1年半にも満たない2022年3月、家族はもっと大きな苦難に見舞われる。
「朝6時ぐらいやったかな。店で仕込みをしとったら背中にね、突然太いでも打ち込まれたような、激しい痛みに襲われて。救急車で緊急入院したんです」(正悟さん)
大黒柱の正悟さんが大動脈解離で倒れたのだ。
「再建できたのは、すごくうれしいんです。でも、私たち家族が崖っぷちに立っている事実に変わりはなくて。借金は倍になりましたし、お店の規模は当初の店の3倍に。
だから私も優里も、もちろん父も、開業前から超焦ってました。『もう、とにかくやるしかない、できない未来はない』って(苦笑)。そんな気持ちで、父はまたしても休みなく、寝る時間も削って仕事してましたから。無理がたたってしまったんだと思います」(舞美さん)
幸いにも一命を取り留めることができた正悟さん。娘たちから「神様が『休め』と命令してる」と諭され、店の経営もパンの製造も、長女と次女に任せることに。
「父はたまに店に来ては、私が焼いたパンを試食します。『これはあかん』『少しはマシか』と絶対、普通に褒めようとはしません(笑)。だけど、自分が任されるようになって、改めて父の職人としてのすごさがわかるようにも。
妹の言葉を笑みを浮かべ聞いていた、いまや人気店の経営者になった姉は、こう言葉を継いだ。
「最初に私が『みんなで店やろう』と言ったときの目標は、働きづめの父に楽をさせること、引退させてあげることでした。だから、ある意味それは達成できました。
今後の目標は、スタッフの人たちが『仕事って楽しい』と思える、やりがいある職場を提供すること。
誰よりも、優里にそう思ってもらいたくて。妹は西宮のころから、頑固な父の厳しい指導を受け、火災後は他店で修業も。
いま、優里が作るアップルパイや、そのほかすべてのパンは、贔屓目抜きで格別においしいです。だから、もっと自信を持って仕事を楽しんでほしいと、そう切に思ってます」
父と、亡き母の夢をかなえたブーランジェリーは、いつしか姉妹の夢、そのものになっていた。
(取材・文:仲本剛)