「10月8日、瑶子さまは、都内の一流ホテルで、高級輸入車ディーラーB社の関係者たちとの食事会を楽しまれていました。
当日、常に瑶子さまの傍らにいたのがB社の代表を務めるT氏です。
食事会に参加していたB社のスポンサーらの目には、瑶子さまが同社のアイコンのようにも映っていたのではないでしょうか」(T氏の知人)
昨年には、髪を金色に染めた瑶子さまがB社の企業ロゴ入りTシャツをお召しになっている写真が流出。ご活動にあたって中立性を重んじなければならないとされる皇族が一企業に“肩入れ”することを問題視する声も上がった。
三笠宮家関係者はこう語す。
「一連の騒ぎに関して、姉の彬子さまが瑶子さまの振る舞いに激怒されたと聞きます。それにもかかわらず、瑶子さまは今年の夏にはB社が関わるチャリティイベントに参加するため私的に渡米されています。『お止めになったほうが……』と進言する者もいたのですが、瑶子さまがお考えを変えることはなく、強行突破のような形で参加されたそうです」
瑶子さまがこれほど頑なになられる背景には、“特殊な事情”があるからではないかと指摘するのは宮内庁関係者だ。
「昨年11月、三笠宮妃百合子さまが薨去されてから、三笠宮家の家名や祭祀の継承者がどなたになるのかが注目されていました。本来なら母の信子さま、姉の彬子さま、そして瑶子さまの3人で話し合われることです。しかし母娘間には深い亀裂が生じているため、一堂に会される機会がなく、宮内庁幹部や側近が間に入り、意見の調整が行われてきたのです。
当初は各々が独立の生計を営むという形が検討されたこともあったのですが、結果的には信子さまが『三笠宮寬仁親王妃家』を創設されて当主に、彬子さまが三笠宮家の当主となられることが皇室経済会議で決定しました」
同時に、支給される皇族費に関して信子さまが3千50万円、彬子さまは約1千67万円の増額となったが、瑶子さまは変更がなかった。
「どこか、『私はないがしろにされている』というお気持ちがあったのではないでしょうか。
瑶子さまはかねて、京都にも拠点をお持ちのため家を不在にしがちな彬子さまに対するご不満を抱かれており、彬子さまのご意見が自分よりも優先されることに対する不満を吐露されていたほどです」(前出・三笠宮家関係者)
そのようなとき、瑶子さまの前に現れたのがT氏だったようだ。
「瑶子さまは昨年春ごろに知り合ったT氏と間もなく意気投合し、自分の話を聞いてくれる人物だと信頼を寄せられていったようです。
瑶子さまがかつて非公開でお持ちになっていたSNSのプロフィール欄には《Don’t think.Feel…》(考えるな、感じろ)と記されていたこともありました。これはT氏の座右の銘であり、T氏が《Don’t think.Feel…》と書かれたマグカップを使用していたことからも、つながりの深さを感じます。
ただあまりに親密になりすぎると、ロゴTシャツ騒動のときに上がったような“瑶子さまが特定企業の広告塔のようになっている”という批判が再燃しかねないので、心配です」(前出・T氏の知人)
こうした不安の声を、瑶子さまはどう“感じて”いらっしゃるのだろうか――。