10月28日で漫画家・芸術家の楳図かずおさん(享年88)が亡くなってから1年が経過する。楳図さんは昨年7月に自宅で倒れて救急搬送され、検査で末期の胃がんであることが発覚し、その約3カ月後に静かに息を引き取った。

‘55年にプロデビューした楳図さんは、『へび少女』や『おろち』などでホラー漫画の第一人者としての地位を確立したあと、’72年に代表作『漂流教室』の連載をスタートさせたほか、‘76年にギャグテイストに溢れた名作『まことちゃん』を発表し、同作での「グワシ」ポーズは子供たちの間で大流行。長年、名実ともに日本を代表する漫画家として活躍していた。

現在、彼の作品の著作権は『一般財団法人 UMEZZ』が管理している。同財団の代表理事を務めているのが、楳図さんの元マネージャーの上野勇介氏だ。

上野氏は最晩年の楳図さんの生活について、このように語る。

「楳図さんは余命が長くないことが分かり、すぐに自身の著作物を管理、さらに発展させていくための財団を自ら設立しました。‘23年に脳梗塞で倒れ、退院後も、さらなる新作に取り組んでいたのですが、今回は末期がんと言われ本格的に“作品を残していくための作業”に着手しました。

楳図さんは自分の作品を残すだけでなく、今まで以上に国内外へ広く発展させていくことを構想していました。そのため、財団の設立は生きることを諦めたというより、『これからは、財団が発展していく様子を眺めて、それを楽しみに過ごしていますから』という“生きる”という意思の表れだったのだと思います」

末期がんと診断された際、『なんか悪い病気が見つかっちゃった』と語っていたという楳図さん。生前から楳図さんはつねに健康に気を遣っており、そのなかには“楳図さん独自の食事法”もあったという。

「例えば、『同じものを連続で食べてはいけない』というものがありましたね。“肉を食べた次の日は魚、その次の日は、また別の食材を…”という感じで、毎日違うものを食べていました。

楳図さん曰く、『牛肉を連続で食べると牛から復讐があるから』ということだそうで、食事が偏ることによって動物や生き物からの復讐を受け、悪い病気になると考えていたようです。そのほかにも、自然食品を売っているお店によく足を運んで、栄養価の高い食材や調味料を購入していましたね」

楳図さんは、病床で財団の今後について考え続けていたほか、語学にも取り組んでいたという。

「病院に行くと楳図さんは『なにかいいニュースはないですか?』と毎回尋ねてくるんですね。財団ができた時もとても喜んでいましたし、日ごろから『ここから先はどんどん上り調子でいきますよー!』と言っていましたから。変わらず、これからのことを楽しみにしている様子でした。

それと、楳図さんは、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語など、数カ国語の語学勉強をずっと続けていました。なので、病院でも『フランス語の勉強を続けたいのでNHKラジオ講座のテキストを買ってきてほしい』と頼まれましたね」

自分の作品の未来について考え続けていたという楳図さん。これからも彼は作品とともに生き続ける――。

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