「もともと奥さんはインドネシアの資産家一族のご令嬢で、結婚当時は現地では“逆玉の輿”として受け取られていました。’04年に香港でスカウトされ、台湾などでモデル活動をしていたディーンさんの日本での活動が軌道に乗ったのは結婚後でしたから彼女の精神的な支えは大きかったのでしょう。

しかし奥さんと子供たちはずっとジャカルタで暮らし、多忙なディーンさんは長らく東京を拠点とする別居婚状態でした」

そう語るのは、ディーン・フジオカ(45)を知る音楽関係者だ。

10月18日、ディーンは2歳年上の中国系インドネシア人の妻との離婚を発表。’12年に結婚した妻との間には’14年に男女の二卵性双生児、’17年には第3子が誕生している。スポーツ紙記者は言う。

「’16年に出演したバラエティ番組で夫人とは恋愛結婚だったと明かし、彼女の性格は“ジャカルタの虎って感じ”と告白。“厳しいときは厳しく、根本はすごく愛のあふれる実行力ある人”だとか」

彼を知る制作関係者によれば、離れて暮らしていても子煩悩でビデオ通話するたびに愛を伝えていたというが、別居婚生活には限界を感じていたのかもしれないと語る。

「日本での仕事が絶えないディーンさんは、近年は奥さんと子供たちを日本に呼び寄せて一緒に住むことを願っていたようですね。しかし奥さんは母国愛が強いうえに日本語が話せないそうで、“妻が日本に一時的に来てくれても、住むというのは難しい”とつぶやくことがあったといいます」

夫妻の知人もこう語る。

「日本に住むとなると、奥さんは“ディーンの妻”として注目され自由な生活ができなくなることを懸念していたと聞きました」

ジャカルタをこよなく愛する“猛虎妻”だけに、「日本での同居生活はムリ」と三行半を突き付けたということなのか――。前出の音楽関係者も言う。

「奥さんは子供たちの進学先としてインドネシアや日本以外の国も候補にするなど、離婚の背景には子育てに対する考え方の違いもあったと聞いています」

彼の離婚発表の文面には《今後も私たちは、かけがえの無い子どもたちの成長と幸せのために、父母として力を合わせて歩んでまいります》との一文もあった。

「ディーンさんは以前、ラジオ番組で“どの仕事もタイムカプセルを作っている気持ち”だと話していました。

自分の仕事は、子供が大きくなったとき“不在の父親が何をしいたのか確認できる作品”だと意識して全力で取り組むようにしているそうです」(前出の知人)

一家そろっての生活はかなわなかったが、父として子供たちには変わらず愛を注ぎ続ける――。

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