うっすらと暗めの照明のホール内で、佳子さまの真っ赤なワンピースがステージ上で輝いている。11月14日、日本で初めて開催される聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」の日本選手団の結団式に出席された佳子さま。

手話を用いて、

「皆様がこれまでの努力の成果を存分に発揮できるよう応援しております」

と挨拶し、日本代表の選手たちが紹介されると、手話の拍手でさかんにエールを送られていた。

「デフリンピックは、夏季は1924年にフランスで、冬季は1949年にオーストリアで始まった、聴覚障害のあるスポーツ選手たちの大会です。東京大会には、佳子さまが非常勤嘱託職員として勤務される全日本ろうあ連盟が招致や大会運営に深く関わっています。ご公務だけでなく日々のお仕事を通じても、佳子さまは同大会の開催に向けて熱意をもって臨まれてきました」(宮内庁関係者)

デフリンピックはおおむね4年に一度のペースで開催されてきた。佳子さまも大会の成功に向け、関連するご公務に全力を注がれてきた。皇室担当記者はこう話す。

「8月に第42回全国高校生の手話によるスピーチコンテストに出席した際、『多様な文化にふれることは、きっと素敵な機会になることでしょう』と、開催への期待感を述べられていました。9月には今年で8回目となる全国高校生手話パフォーマンス甲子園に臨むため鳥取県を訪問し、はつらつとしたご様子で、手話で学生らと交流されていたことが印象に残っています。

直近では今月6日、『手話のまち東京国際ろう芸術祭』にご出席。デフリンピック開催前に聴覚障害者を支援するご公務に臨むことで、注目度を高めようというご意思を感じました」

佳子さまが出席された冒頭の結団式の翌15日。東京体育館で開かれた開会式には、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、そして悠仁さまと、秋篠宮ご一家が総動員体制で臨まれていた。前出の宮内庁関係者は、その背景について明かす。

「宮内庁は18日、佳子さまが新型コロナウイルスに感染されたため21日まで療養されることを発表しました。しかしそのご回復後には、お一人で空手や卓球などのデフリンピックの競技を観戦される予定です。また、秋篠宮ご夫妻は水泳競技を、紀子さまと悠仁さまが伊豆大島へ泊まりがけでオリエンテーリングのご視察も予定されています。

一つのイベントに秋篠宮ご一家が全力で臨まれるのも特筆すべきことです。大会関係者からは、“皇族の佳子さまがデフリンピックや聴覚障害者の支援に深く関わってくださっていてよかった”という声も聞こえてきます。佳子さまが全身全霊を注がれることで、秋篠宮ご夫妻ばかりでなく、悠仁さまも学業の合間を縫って行事に臨まれることにつながったのだと感じています」

■励ましや注目を糧に自己肯定感を高められて

かつて姉の眞子さんのように、結婚によって自由のない皇室を離れたいのではないかと報じられた時期もあった佳子さま。前出の宮内庁関係者は当時を次のように振り返る。

「手話にしても、大学時代から関心を抱き、独自のご公務として切り拓かれていた紀子さまの影響で始められたものです。大学ご卒業後、皇嗣職大夫の記者会見で、“同世代の女性は懸命に働いているのに、佳子さまは何をなさっているのか”と、独自のご公務の少なさを記者から質問されることもありました。

しかし今思えば、当時は眞子さんの結婚を巡り、猛烈な反発が広がった時期とも重なるころ。佳子さまは皇族としてご自身が何をなすべきか、“自分探し”をされていたのかもしれません。

その後は、聴覚障害者への支援、女性の地位向上を目指したジェンダー問題に関するもの……さまざまな公務を続けられてきました。

皇族として社会にメッセージを発し、人々のリアクションを実感し、佳子さまはおつとめに対するやりがい、手応えを感じられるようになったのでしょう」

秋篠宮ご一家と長年の交流があるジャーナリストの江森敬治さんは、佳子さまのご意欲の“原動力”についてこう感じているという。

「先月の園遊会でも、全日本ろうあ連盟の元理事長と手話で歓談していましたが、佳子さまは聴覚障害者を直接的に支援する行事のほかにも、日常的に手話を用いられています。日本語対応手話、日本手話という2つの手話を流暢に使われ、国民の多くに“佳子さまといえば手話”というイメージを広げています。

またこうしたご活動のみならず、多分野にわたって臨まれている公的な活動で関わる大勢の人々から、佳子さまは有形無形の激励や感謝を感じられているのだと思います。こうした励ましや国民からの注目を糧に、佳子さまは自信を深めつつ、さらに活動の範囲を広げています。これからも大きく成長されていくでしょう」

佳子さまは皇室屈指のご公務に臨まれている。だが、お疲れをものともせず、数を重ねるほどに学び、自信を深められていたのだ。自己肯定感を高め、輝きを増されている佳子さまは、結団式でお召しになったワンピースの赤さのように、飛躍への情熱を燃やされていた。

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