かつて「どげんかせんといかん」のフレーズで注目を集め、宮崎県から地方創生の大きな波を起こしたのが、元宮崎県知事の東国原英夫氏(68)だ。

「たけし軍団の一員として、『そのまんま東』の芸名でお笑いタレントとして活動していた東国原さんですが、’06年に政治家に転向。

’07年の宮崎県知事選挙では、無所属であることの“しがらみのなさ”をアピールをする選挙活動で初当選を果たしました。

知事就任後は、自らを『宮崎県のセールスマン』と称し、県の知名度向上に奔走。県民の共感を呼び、支持率は常に90%を超える人気ぶり。『宮崎をどげんかせんといかん』という言葉はその年の流行語大賞にも選ばれました」(全国紙政治部記者)

‘13年からは衆議院議員として国政に挑戦し、辞職後はおもに政治評論家・コメンテーターとして活躍。’22年には再び宮崎県知事選挙に出馬するも、現職の河野俊嗣知事に僅差で敗れた。任期満了に伴う次回の知事選は1年後の‘27年1月に控えている。

「4期16年にわたる河野知事の長期政権には、多選批判の声も上がっています。地元経済団体が次回選挙での出馬要請を見送るとの報道もあり、新人候補にとってはチャンスの選挙になる可能性があります。そんななか、関係者のあいだでは“東国原さんが再出馬するらしい”との声も飛び交っています」(地元ジャーナリスト)

果たして東国原氏の“3度目の挑戦”はあるのか。東国原氏を直撃すると――。

「白紙です。ノープランですね。

今後は外野的な立場で政治をウォッチしていこうと思っています。プレイヤーに戻ることはもうないと思います」

現時点では国政を含め政界復帰への意欲はまったくないと話すが、政治家としてやり残したことはないのだろうか。

「いやぁ、それはもう政治家でもそうだし、芸能界でもそうだし、人生全てでやり残したことはありますよ(笑)。結局は、どこで妥協するかということなんでしょうね……」

■「私よりも息子のほうが将来性はあるかもしれません」

現在は宮崎と東京の二拠点生活を送りながら、メディア出演や講演会を通じて、地方分権や若者の政治参加について訴えているという。

「この10数年、全国のさまざまな自治体を回って、地元の方々と意見交換をしてきました。その経験から言わせてもらうと、人口100万人規模の県を横並びで見たとき、あらゆるデータや指標において、宮崎県は全国平均を大きく下回っていると感じますね……」

故郷・宮崎を憂う気持ちは今も変わっていないようだ。一方で、出馬についてはこんな含みを持たせた発言も――。

「出馬宣言をするなら、私よりも息子のほうが将来性はあるかもしれません」

息子とは、前妻の女優・かとうかず子(67)との間に生まれた長男のこと。‘22年の知事選では勤めていた会社を辞めて、選挙対策本部の政策担当として父を支えた。

「当時、息子は東京の野村総合研究所に勤めていたんですが、そこを辞めてでも選挙を手伝いたいと言ったんですよ。私はもちろん反対しましたよ。野村総研なんて入れたら一生安泰でしょう?

でもね、父親の血を引いているのか、やると決めたら猪突猛進で、中途半端なことはしたくないと。

結果的に会社を辞めて、私の選挙を手伝うことになりました。社会人時代から、インターンとして土日に国会議員の政治活動を手伝っていた時期もあったようです。

今は宮崎に移住して、地方活性化に関心を持っているようですね。本人の口から直接聞いたわけではありませんが、そういう行動原理からして将来は政治の世界も視野に入っているのかも知れません。もちろん、我が息子ですから、本人がそう決めたなら私も全力で応援しますよ」

“どげんかせんといかん”という父の思いは子へと引き継がれるか――。

編集部おすすめ