【前編】「60歳まで飛ぶ」葛西紀明(53)が辞めない理由。「悲しすぎて」全部読めなかった母が遺したノートは今も対火金庫にから続く

7日(日本時間)に開幕したミラノ・コルティナ五輪。

スキージャンプのレジェンド葛西紀明の出場は、惜しくもかなわなかった。

「せっかくチャンスをもらっているのに、生かせていない自分がふがいなくて、ムカついています」そう悔しさをにじませた葛西選手。レジェンドジャンパーの挑戦に本誌は密着していた。

2025年6月、初夏のトレーニング施設に金属音が規則正しく響く。バーベルをラックに戻し、深く息を吐いた。汗にぬれたTシャツの背中は、53歳という年齢を忘れさせるほど引き締まっている。だが、葛西選手はこう言う。

「毎日はやってないですよ。毎日やると、逆に筋肉ついちゃうんで」

スキージャンプ界のレジェンド。W杯最多出場のギネス世界記録保持者。そんな肩書からは想像できないほど、現在のトレーニングは淡々としている。ウエートトレーニングは週2回。

瞬発力やバランス、体幹を整えるのが中心で、ランニングは30分ほど。サウナスーツを着込み、黙々と汗を流す。

「苦しいっていうのは、今はそんなにないですね」

かつては200kgのバーベルを担いでスクワットを繰り返し、血へどを吐くような練習で体を作り上げてきた。だが今、同じことをすればどうなるかは、自分がいちばんわかっている。

「若いころと同じトレーニングは今でもできます。ただ、やると体が壊れます」

年齢を重ねた今、求めているのは「量」よりも「質」だ。40代になってから新たな習慣になったのが、毎日のランニング。減量や持久力向上のためだけではない。葛西選手にとって、それは何より大事な“メンタルトレーニング”でもある。

「走りながら、どうやったら勝てるか、今の悩みをどう解決するかを考える。毎日汗をかくことが、若さの秘訣になっているのかもしれません」

トレーニングの一環として取り入れているバドミントンやテニス、バレーボールでも手を抜かない。後輩たちと本気で勝負し、簡単には負けないという。

「みんな、僕には勝てないって思ってます(笑)」

だが、体は正直だ。衰えは「感じない」と言い切る一方で、疲労や凝りは確実に蓄積している。

「首や肩が凝ると、アプローチのポジションがうまく取れなくなったり、視線が上がらなかったりする。腰や膝の痛みで、トレーニングができなくなることもあります」

とりわけ厄介なのが「目」だ。ジャンプ台を滑走中、視線は自然と上目遣いになる。しかし50歳を過ぎたころから、焦点が定まりにくくなった。頭を上げれば空気抵抗が増え、飛距離を失う。

「顔は伏せたまま、目だけで前を見たい。でも、ピントが合わないから、テイクオフが近づくと、もう『むうう……』ってなる」

それでも葛西選手は飛ぶ、いや、飛べてしまう。なぜ、この年齢になってまで挑み続けるのか。答えは、驚くほどシンプルだ。

「何よりもジャンプが好きなんです。

愛している。それは変わらないですから」

積み上げた過酷なトレーニングは、今も体の中に残っている。

「僕の言葉で言えば“貯筋”。若いころに貯めた筋肉があるから、少しやればすぐ戻る」

さらに、長年にわたり世界のトップレベルで戦い続けてきた理由として、身体能力以上に、別の要素を挙げる。

「反応、判断力、対応力。脳で思い描いたことを、体がすぐ実行できる力。それは若いころから備わっていて、今も衰えていない。そういう人は、選手生命が長いのかなと思います」

ミラノ・コルティナ五輪。出場すれば9度目の五輪になるはずだった。53歳の今も、その舞台を現実として見据えている。

「世界一になりたい。オリンピックは世界一です」

夢は変わらない。

2014年ソチ五輪。41歳でつかんだ銀メダルは、日本中を沸かせた。だが、手帳には目標をこう書いていたという。

「金メダルで号泣する」

葛西選手は振り返る。

「あのとき、銀でよかったのかもしれない」

金に届かなかったからこそ、走り続ける理由が残った。これまでのジャンプ人生で、完璧な2本はまだない。

「だから、続けるんです。引退を考えたことは一度もないですね」

50歳を超えても、「なぜやめなければならないのか」がわからなかった。そして年に1?2度、勝ててしまう。「まだできる」、その実感が次のスタート台へと背中を押す。サッカー選手の三浦知良の存在も大きかった。競技は違えど、年齢を理由に挑戦をやめない姿が道を照らした。

「60までやる、という設定は一応あります」

今、いちばんの原動力として挙げるのは「応援」だ。街を歩けば声をかけられ、写真の撮影を求められる。その一つひとつが、力になる。

「ヒーローでいたいんです。応援してくれている人にとっての」

ソチ五輪以降、何かが変わった。金を逃し、悔しさを抱えて帰国した彼を待っていた言葉は、メダルの色を超えていた。

「これは、金以上の価値かもしれない」

もちろん、金メダルは今も欲しい。だが、それ以上に、期待に応えたいという思いがある。近年のシーズンも、決して順風満帆ではない。かみ合わない試合、選考からもれる悔しさ……。それでも課題は見えている。修正できるイメージもある。

それを体に落とし込めるかどうか。それは、飛んでみなければわからない。

「でも、できるって自分がいちばん知っているので」

北京五輪の出場を逃したときも、不思議と冷静だった。ダメな周期も、風と同じ。吹かないときは、待てばいい。ミラノで見えなければ、「また4年後がある」。57歳の自分は、まだ現役のはずだ。9歳から始めたジャンプ人生は、44年になった。母がいて、姉がいて、妹がいて、妻がいて、子どもたちがいる。多くの家族に支えられてここまで来た。近年、60歳を過ぎた自分の姿を考えるようになったという。

「じじいがコーチになるのもどうかなって。今の会社に残っても、65歳まで5年。営業担当になったら、家を100軒売る自信はありますよ」

そう笑いながらも、言葉を続けた。

「でも、やめてしまったらただの人。行き着くところまで行きたいと思っています」

(取材:作道恭子/文:服部広子)

編集部おすすめ